ヨシ焼きはヨシズ生産が盛んになった昭和30年代頃から行われてきたようです。 毎年三月末頃自宅付近まで風に乗った燃え殻が飛んできます。 初めてヨシ焼きの現場を見に行きました。 以前からヨシ焼きをなぜするのだろうと思っていました。 渡良瀬遊水地の世界遺産登録とか、自然保護が話題になっていますが、ヨシ焼きの意味は理解していません。 子供の時父に連れられて古河から釣り船に乗って一日中フナ釣りに行っていました。 親船に曳かれ上流に行き、ヨシ原の入り組んだ細い水路に入り竹竿を立てそれにもやい結んで舟を固定、釣り糸を垂れました。 冬の寒い日だった長閑だったなー。 その頃はヨシ焼きは無かったように思います。 その後焼畑のようなヨシ焼きが始まったようです。
ヨシ焼きはヨシズ生産者の原料管理のためと理解しています。 その後、渡良瀬遊水地の本格的な治水工事が進み、またヨシズ生産の減少など環境の変化はありましたがヨシ焼きは継続してきました。 ヨシ焼きは地域の沢山の人々の理解と労力により続けられてきました。 一部ではヨシ焼きの効用としていろいろ諸説を発表されていますが、昭和30年以前の状態に戻したほうがよいのではと考えられないものなのか。
焼畑とヨシ焼きを別なものとどうしても考えられないのです。 野焼きの効用と温暖化への対策はどうなんでしょう。 ダイオキシンの調査は平成13年、14年に行い、基準以下になっているとのことですが、炭酸ガスなどの燃焼による発生量の問題ではないのでしょうか。 渡良瀬遊水地の約半分の約1500haです。 廃出される炭酸ガス量の設計の発表はあまり見られないようです。
人が自然を完全に管理出来ると、一部の方は考えているのではないしょうか。 ヨシ焼きが動物、植物の環境保全に役立つなどと意見を述べている方がおりますが、ナンセンスそのままが自然なのです。 最悪のたとえですが、貴重な動物、植物を守るからと、尾瀬や日光戦場ヶ原で野焼きを考えるでしょうか。 自然は自然が自然に作り出すから自然なのではないでしょうか。 一旦手を入れると元に戻るには時間が必要ですが、放置こそ自然に戻す最短の方策です。 渡良瀬遊水地のヨシ焼きは、約50年間続けきましたが今後のヨシ焼きを続けるか考える時が来たのではないでしょうか。 一度動き初めてしまった歯車を止めるのは誰が、いつになるのでしょうか。 日本という国は一旦動き始めると必要、不要にかかわらず動き継続してしまいます。 止めようとするには大変なエネルギーが必要です。
ヨシ焼きを見て、あまりにも大規模なものに驚きました。 近くに居た地元の古老が『東京大空襲のようだ』と小声でつぶやいていました。 戦争は体験していませんが、毎年この時期渡良瀬遊水地に東京大空襲がやって来る、逃げ惑う小鳥達を見ると、東京大空襲の写真を思い浮かべ、泣き叫ぶ逃げ惑う人々が脳裏を過ぎります。 また、別な女性は「プラトーン」のようだと言って興奮していました。
(プラトーン・地獄の黙示録はベトナム戦争の映画、アカデミー作品・監督賞受賞。) |
各写真の解説は映画「地獄の黙示録」風にしました。
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