下野國全圖
 し も つ け の く に ぜ ん ず

下野国全図  

      大きさ : 縦88.2×横121.5cm   彩色:3色  作成年:文久元年(1861)
      作者 : 鶴峯彦一郎 作  橋本玉蘭斎 図
      版元等 : 東都書林 出雲寺萬次郎・和泉屋金右エ門・江戸菊屋幸三郎
               ・須原屋茂兵衛他6共版


       鶴峯彦一郎 : 水戸藩の蘭学者 地理学者 測量技師
      橋本玉蘭(五雲亭貞秀) : 江戸の浮世絵師
  
   橋本玉蘭斎は、初代歌川国貞(三代豊国)第一の門人である貞秀(さだひで)の
   別号です。
   貞秀の作画は天保から明治初期に及び、役者絵、美人画、武者絵、団扇絵の作も
   多いのですが、特に幕末、鳥瞰図と横浜絵(幕末に開港した横浜と居留する外国人、
   外国風俗・文物を題材とした浮世絵)の第一人者として数多くの作品を残しています。
   横浜の一覧図をはじめとして、奥羽・関東・東海・京都・大阪・伊勢・西国・九州を三
   枚続、六枚続、十枚続の大画面に、版元を悩ませるほど精密に描写し、地図にかわっ
   て親しめ楽しめる絵図(鳥瞰図、一覧図)を作製しました。
   明治元年には、「大日本国郡名所」を また地図も得意としており、日本図、世界図の
   ほか、本図等の地方図も多数作製していることで知られています。
    主な物に、奥州仙台城細見図、 箱館全図、下野国全図、萬國輿地分圖等があります。



   下野国全図を見ると現在の山名との違いが相当あるのが解りました。

  【足尾】
   庚申山は現在と変わりません。山名の近くにはびっしりと岩の名がたくさん記して
   あります。
   二子山は仁田元沢南尾根か庚申川北側尾根の位置に山名があります。
   銅山の名の山がありますので銀山平ら手前の備前楯山あたりと思われます。
      
   渡良瀬川を挟んで
   北から地蔵嶽、三峯、宝生山、十二嶽が記されています。

  【奥日光、日光周辺】
   白根山は現在の位置に記されています。
   五色山金精山の尾根に赤安山の名がある。
   黒髪山が中禅寺湖の側にその上の湯元の北に湯前嶽の名がある。
   白根山の南の湖の西に温湯岳(黒檜岳あたり)その隣に行者山の名があります。

  【栗山】
   栗山の川保の上に黒岩山その上に赤那岐山が記されいます。
   湯西の上の尾根に尾津利山その上に峠と枯木山が記されています。
   
  【那須】
   山王峠の記載があります。 現在の大川峠付近に上峠(上海岳あたり?)となりに
   中峠(黒滝股山辺りの高み)、大倉(三倉山辺りに)記載で大峠の記載はありません。
   那須は那須嶽の記載一つのみです。(南月山辺りに)


  【塩原、高原、塩谷周辺】
   塩原の山王山の上に監原山がただ一つ記されています。(日留賀岳あたりに?)
   高原山と記されていて位置も現在と同じ位置です。南に鶏山が記されています。

  【県南、東の山名】
   足利には鶏足山、釈ル山、行道山、岩舟地蔵、大平山、尾作山、鳥子山、八溝山
   の山名が見られます。
 

  本図は木版で収蔵は大学、図書館、資料館などにあります。
  栃木:県では、今市市歴史民俗資料館に展示してあるのを確認しています。


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