國絵圖
     く に   え   ず  
    
       国絵図(下野国)  

      
 国立公文書館に保存されている国絵図です。 国絵図(元禄・天保) 江戸幕府の命で、、慶長・正保・元禄・天保の4回、全国規模で国ごとの地図が作成されました。 このうち元禄国絵図は、元禄9年(1696)その作成が命じられ、同15年(1702)までにほぼ全国の絵図が完成しました。
天保国絵図は、天保6年(1835)その作成が命じられ、3年後に完成しました。 1里を6寸とする縮尺(約21,600分の1)で、山、川、道路等が描かれ、街道を挟む形で描かれている黒丸は一里塚です。 郡別に色分けされた楕円形の枠内には村名と石高が、白四角で示された城下町には地名と城主の名前が記されています。 絵図の隅に、郡ごとの色分け・石高・村数を列挙した凡例が記され、最後に国絵図の作成の勘定奉行・勘定吟味役・目付の名があります。




国絵図(下野国、陸奥国・会津領、上野国)を見ると、現在の山名との違いが相当あるのがわかる。 栃木の山名を調べる上でこの国絵図は正確なものであり、参考になります。

【那 須】
 殺生石の記載とその上に那須嶽が記されています。 国絵図は国境がどこを通っているかが書かれています。 陸奥国(白川領、会津領)下野国境は三本鑓(三本槍岳のこと)と書かれています。 国境は下野図では、大峠、大倉山、宇賀嶽(男鹿岳のこと)山王峠へと続いています。 会津図では、三本鑓、大萱峠の峯、宇賀嶽、山王峠となっています。 大佐飛山の記載があります。 小佐飛山も記載されていますが、位置が中三依村の東辺りに記載されています。

【栗山、藤原、高原】
 山王峠から西には太郎嶽、大けなし山、枯木峠の峯、田代山、帝釋山、馬坂山、赤安山へと国境の尾根が記されています。 会津図では、山王峠、荒海嶽、と記されその先は下野図と同じです。 五十里湖の東側に布坂山、南に戸坂山(葛老山の尾根)があります。 高原山と黒嶽(前黒山か)の名がある。
 赤安山から南へは衣が沼山(鬼怒沼山)、外毘沙門山(毘沙門山)、栗山沢の峯(燕巣山か、根名草山か)から白根山へと続きます。 上野国図では、赤安山、北まく山、中まく山、東まく山、かやこ倉、二十せん嶽(湯前嶽か)、白根山へと続きます。

【奥日光、日光周辺、足尾】
 女躰山(女峰山)、男躰山があり、中禅寺湖、さいの湖、戦場ヶ原辺りに赤沼、その先に湯の湖があります。 白根山の側に佛海、六海(五色沼か)が記されています。 白根山の南方に大頭尾山(?)、二子山とつづきます。
二子山から、渡良瀬川を挟んで北から地蔵嶽、三峯山、十二之山が記されています。

 上野国図では、小けさ山、大けさ山(袈裟丸山なのだろうが特定できない)と記され、二子山からは下野国図と同じです。

【県東の山名】
 東の国境は八溝山、尺丈山、鳥子山、婦夫石山、子○○○山、大小山の山名が見られます。

 

  本図は、国立公文書館のものですので、詳細はWeb確認ください。
  http://jpimg.digital.archives.go.jp/kouseisai/category/ezu/kuniezu.html


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