庚申山古道と丁石 探索履歴 | |
![]() 花柳流創始者花柳壽輔の刻字が見られる「百十四丁目」丁石 |
【丁石のある古道】 庚申山信仰・猿田彦神社(跡)への参道起点は日光市足尾町遠下(とおじも)集落にある磐裂神社(いわさくじんしゃ)からである。 磐裂神社も移転されているので正確には最初の位置が起点と考えられる。 現在の磐裂神社に「一丁目」丁石がある。 起点の神社の裏山である備前楯山の南へ延びる派生尾根(三角点「中才」の尾根)を越えた山道である。 この尾根を歩き三角点「古足尾」手前から古足尾集落へと下る古道が参道である。 銅山開発で明治18年小滝坑の開坑時に、幹切から小滝まで新道(銅山便道・小滝路)が開通それ以降の参拝者は新道を通ったという。 新道開通までは古足尾から銀山平、一の鳥居までは庚申川に沿って歩いた。 庚申川は深い渓谷でその斜面は切り立った岩場であり当時の参道は難路であったろう。 銅山開発により小滝坑が開坑されるとそれに伴い周辺整備がされた。 銅山小滝坑が本格化すると木材需要のため銀山平の製材所整備され、その木材運搬のための大規模な鉄索道網が作られた。 そのルートは銀山平から群馬県の根利に至るものでその中間地点にある一の鳥居までと重なるので参道を元に作業道が整備されたとものと思われる。 銀山平の一部も銅山の廃石で作られたと聞くのでその周辺では初期の参道はなくなっている可能性が高い。 庚申七滝の一の鳥居から猿田彦神社(跡)「百十四丁目」丁石までの水面沢に沿った道筋は現在でも丁石が多数見られる事からほぼ同じルートと思われる。 【探索履歴】 【2008.06.22】 一の鳥居から猿田彦神社跡までの水面沢に沿った古道の丁石を探索する。 この日はコウシンソウの写真撮影に庚申山を往復した。 その折に予てから意識していた丁石を確認した。 以前から「百丁目」や「百十二丁目」は目立っていたが、数えたことは無かった。 この日は一の鳥居際の「従是庚申山入口 行程十八丁」、「九十三丁目」から「百十四丁目」までの丁石を確認する。 しかし、毀損しているもの曲がっているものも多数あった。 【2008.06.28】 足尾町中才や遠下集落周辺及び磐裂神社「一丁目」から備前楯山の南の派生尾根を探索する。 小滝集落、小滝坑周辺、銀山平周辺の探索を行う。 この日は「八丁目」、「十丁目」、「五十八丁目」、「六十九丁目」の4基の丁標石をを確認した。 足尾町中才と遠下の間に墓地があり、磐裂神社接している辺りから古道が斜面に残っていた。 神社と中才墓地の間に小沢があり、墓地と神社を分けている。 墓地は草蒸れていた今回はこの辺りは探索していない。 周辺には古河の《山一》の杭が多数ある。 「八丁目」、「十丁目」丁石を磐裂神社裏の尾根斜面の古道(参道)があり九十九に尾根上まで続いている。 この途中に「八丁目」、「十丁目」丁石がある。 下から歩いていると「十丁目」丁石が落葉に埋もれて倒れていた。 そこから五十メートル先に「八丁目」丁石が建っている。 この丁石の上には木に寄りかかった大岩がある。 「八丁目」より「十丁目」が先に見られたと言う事は上部尾根にあったものが転げ落ちたものと思われた。 尾根は備前楯山よりの南への派生尾根だがこの日は三角点・中才までを探索する。 丁石の起点である磐裂神社「一丁目」のデータ収集をする。 「庚申山碑」が以前あったという幹切橋周辺を下調べする。 銀山平の猿田彦神社の中村宮司様へ訪問する。 【2008.08.08】 「庚申山碑」は以前に写真は撮影してあったが採寸していなかったので計測する。 今回「庚申山碑」の周辺の草仮りがしてあった。 備前楯山よりの南への派生尾根から庚申川沿いに下る位置が古足尾周辺のようなので古足尾橋周辺を調べる。 庚申山参道記載の地図は見たことは無いが宇津野の住人にの聞き込みで知った。 手元にあるのは絵図のようなもので、聞き込みによる古足尾へ下るものと合致する。 以前小滝周辺へ下ると考えて旧小滝小学校周辺を見たが、上部が急峻で尾根から小滝へのルートは無理であろうと考えた。 古足尾の橋が新しくなったが旧橋は残っている、住宅も橋のたもとに残っている。 「六十九丁目」丁石は銀山平の国民宿舎かじか荘手前のバンガロウ入口にある。 側に丁標石の説明板がある。 この丁石は状態は良くコンクリートにより地際が固めてあり、周辺整備された状況を見ると何処からか移転されたものであろうか。 「五十八丁目」」丁石は猿田彦神社の中村宮司様へ訪問した際に教えていただいたものである。 「五十八丁目」は銀山平の亀村旅館から猿田彦神社への石段際にある。 丁石のデータ収集をする。 この日は銀山平、一の鳥居間ルートの下調べである。 ルートは不明で丸石沢と庚申川合流点付近の河原に下りて探索をする。 【2008.08.16】 前週に下見をした、銀山平ゲート付近から庚申川に下りて河原の状態を見る。 丸石沢が庚申川に流れ込む所から古道らしき所を歩く。 この道には境界杭(貸71〜貸60を確認)を追って道を進むが道は岩棚で沢などで途切れてロープを使って上下降を繰り返しながら先に進んだ。 途中から絶壁になり古道ルート探索を切り上げた、急な岩場を上がり林道にたどり着く、ここから林道を歩いて一の鳥居へ向う。 一の鳥居際の丁石「従是庚申山入口 行程十八丁」のデータ収集。 一の鳥居から猿田彦神社跡間のデータ収集、探索では「百五丁目」、「百六丁目」丁石と、百十四丁目付近で「丁石基部」を発見。 庚申山荘からの帰路、午後三時頃から雷雨でどしゃ降りになる、水面沢、庚申川や笹見木沢、丸石沢などは濁流となる。 一の鳥居からゲートまでの林道は全路面が川状となる。 本日の庚申山荘には宿泊者10名あり。 古足尾橋付近の山側を探索する。 【2009.06.20】 この日は庚申山への登山とコウシンソウ写真と山内巡りが主目的であったが、丁石「百十四丁目」の写真の撮影も予定した、標石探索時持参のスコップ、ブラシなど、そして百十四丁目の丁石にブラシをかけ、飲み水の封を切り洗い清めました。 猿田彦神社跡石垣際、丁石「百十四丁目」のデータ収集。 |
|
庚申山信仰と参道(旧道)と丁石のインデックスは、こちら>> |
|
栃木の山283+」は、こちら>> 2008.08.16 山部薮人 |