栃木の道標と道路元標


道路元標は、大正8年に公布された道路法に基づき、全国の市町村の役所前などに一ヶ所設置されたものです。 道路の起点・終点又は通過地点を明示する標識として設置しました。 道路元標は、里程調査の基準となり、交通・運輸・郵政などの発展・整備に貢献した。 しかし、この道路元標も、昭和27年に施行された新道路法では設置基準がなくなり、その使命が終わりました。 この文化遺産も時の流れに忘れ去られ、市町村の合併などにより栃木県の旧町村の道路元標は過半数が紛失してしまいました。
大正十一年八月の内務省令第20号によると、石材など耐久性の有るものを使い、寸法や文字など内容が細かく規定されています。
栃木の道路元標を訪ねてみました。 現存する道路元標を探すには、当時の設置場所(例規集に記載された場所)に訪問しますが、昔の事なので現況が変わっており見つけるのは難しいものです。 現地の古老の方(大正、昭和初期生まれの方など)に当時の役所の位置や道路状況、移動先などをお聞きすることになります。 当時の栃木県の市町村の数は176であり、その数だけ道路元標が有るはずです。 
現地訪問で分かったことは元標不明の町村が多数あることです。 道路改修などで移設されたり紛失し行方不明になったりしたのでしょう。 当時の例規上の位置に必ずしもあるとは限りません、それはミステリアスであり一巡するだけでも長大な大正ロマンの旅になりそうです。

                                  山部薮人 2010.01.10

       栃木の
「古道と青年團の道標」は、こちら>>  「道路元標」のページは、こちら>>
                   




栃木全三角点確認調査にあたって、那須郡内を調査していた所、大山田村(現・大田原市)で道路元標を見つけました。 「大山田村道路元標」で規格通りの寸法で一目で分かりました。 何度か通った道でしたが今まで気づきませんでした。 鶴居峠から馬頭へ向う道筋です。来目木バス停・折り返し場の所です。
                                   山部薮人 2010.01.10


栃木の道しるべ(指道標、道標)を調査にあたって、
道しるべ(指道標、道標)とは、分かれ道(分岐)の方向を指し示した案内表示です。 里程(距離標)も合わせて表したものもあります。 形状も野仏や道祖神などや自然石に刻まれたものもあり、明治大正昭和初期には青年團の建てた角柱の指導標があります。 近年では国や自治体で設置した、たくさんの道路案内板が設置されています。 ここでは歴史遺産になりつつある昭和期までに設置された道しるべを調査しました。

明治大正昭和初期の青年團は町村ごとに作られた組織です。 青年団の業務として、小学校児童の出席励行、道路普請や手入れ、指導標の設置でした。(各青年團により多少の相違あり) それにより青年團の指導標が県内各所にあります。

道しるべ(指道標、道標)を対象とした調査はあまりしていないようです。 野仏や道祖神と合わせて市町村で調べられた事例はありますが。 多くの道しるべは役目を終えたと判断されたのでしょうか、最近でも消えてしまったもの抜かれて放置されたものがあります。 特に道路改修などにより消えるものが多いようです。 関係者のご協力をお願いしたいものです。 野仏や道祖神などは移設されますが、道しるべに手を合わせる人はいないようです。
                                   山部薮人 2007.03.01

栃木の道路元標を調査にあたって、
道路元標探しは、現場へ足を運んで探す現場主義と思っている。 家であれこれ考えていてもそれは机上のことで家を出て現場を歩く。 2007.01.21間々田の標石を探しに現地に行った、一通り歩いてから近くの小山市博物館へ行ってみた。 そこで小山市文化振興課を紹介されお聞きしたら、内山氏が「道しるべ 失われてゆく街道の遺産「道路元標」のゆくえ」を発表され、それに栃木の道路元標をまとめられているとの情報を得た。 また、小山市在住の池澤氏が三角点や元標の情報をお持ちでメールでご指導いただく、本件の先駆者が居られる事がわかりました。 これまでネット情報と古い地図とで現場へ足を運んでいます。 道路元標はもう少しがんばろうと考えています。
                                   山部薮人 2007.01.31



       栃木の「古道と青年團の道標」は、こちら>>  「道路元標」のページは、こちら>>

                                  最終更新日 2010.1.10