庚申山・山内巡り

こうしんさん 1892m NO.004-6
   
二の門 (めがね岩)     

この日の足尾の山に三岳探検隊は、2隊を送り込んだ。(結果的にそうなった。) 三岳探検隊のA隊は親水公園から中倉、沢入、オロ山そして庚申山へ、B隊は親水公園から仁田元沢南岸尾根を歩き、A隊(単独)のルートを下って親水公園への計画だ。 白んできた空に雪雲が流れ風花が舞っている。
【山行日】 2009年 6月 21日 (日)
初の門
【山 域】  足尾
【地 図】  1/2.5万図地理院 足尾
       地形図 庚申山周辺
こちら>>
【天 候】  曇り時々晴れ
【所在地】 栃木県日光市足尾町
【同行者】 ノラさん、山部薮人の2人


【参考ページ】
 「庚申山 古道と丁石」 こちら>>

【コースと所要時間】

 
銀山平(50分)−一の鳥居(60分)猿田彦神社跡(100分)コウシンソウの(20分)庚申山(25分)山内巡り分岐(70分)猿田彦神社跡(60分)一の鳥居(60分)銀山平   歩行時間  7時間25分

 
「南総里見八犬伝・庚申山」 灯篭岩、初の門が描かれている


銀山平 〜 一の鳥居
 庚申山のベストシーズンに、山仲間のノラさんと二人で銀山平に到着した。 駐車場はすでに満車状態で道にも止めてあった。 直ぐに出発、一の鳥居までの林道には庚申山へ向うグループが幾く組も歩かれていた。 ノラさんとは久しぶりに一緒の山歩きだ。 丸石沢、笹ミキ沢を過ぎ、天狗の投石を過ぎると一の鳥居に着いた。 鳥居傍の東屋が倒壊していた、雪の重みか風によるものだろうか、昨年八月の庚申山の帰り道で雷雨に遭いここで雨具を着た。

 ここからの水面沢に沿っての道は、昔からの道で庚申講のが盛んな頃は参詣者が多かったようだ。 猿田彦神社への参道である、道は足尾町遠下(とおじも)から尾根を越えて庚申川に沿った道であった、足尾銅山小滝坑が出来ると新しい道が銀山平の製材所まで出来る。 群馬の根利方面への作業道も作られたようなので、一の鳥居までの参道が程度残っているのかわからない。 しかし、一の鳥居から猿田彦神社への歴史の参道は今も同じようだ。


一の鳥居の東屋が倒壊していた

丁石 「百十四丁目・花柳寿輔」

一の鳥居 〜 丁目石 〜 猿田彦神社跡
 一の鳥居から少し歩くと丁石「百丁目」がある、説明案内板も設置されている。 この丁石を1つ1つ確認しながら歩くとただ黙々と歩くのと違って、昔の人の気持ちになれるように思える。 孝子別れの場、夫婦かえる岩を過ぎると、参道は急になりあと一息である。 道案内の丁石「百十二丁目」を横に見ながら、最終は「百十四丁目」だからあとわずかだとノラさんに告げ汗を拭う。 猿田彦神社は昭和二十一年に焼失した、その石垣に寄りかかるように最終丁石「百十四丁目」がある。 この丁石の寄進者は江戸浅草田町の花柳寿輔である。 花柳寿輔の名を初めて見たときは驚いた、日本舞踊の花柳流の創始者である。 その花柳寿輔の名がこの深山庚申山にあるのである。

猿田彦神社跡には数グループが休み、クリンソウの写真を撮影していた。 


コウシンソウ A

コウシンソウ B

神社跡 〜 コウシンソウ 〜 庚申山】 地形図は、こちら>>
 神社跡の標高は約1480mで、山内巡り分岐は1650mコウシンソウの岩横は約1800mで庚申山・主三角点が1892mとなっている。 まずコウシンソウを見るんだ、一気に高度を300m上げるのだ、しかしそこは体力ないので休みながらとなった。 鉄の角材が付いたハシゴはスリップしそうで嫌な感じだった、新しいクサリが付けられていた。 ルートも一年前からすると少し変わった所が何ヶ所があった。 岩の崩落はこの地形ならあるのは当然だろう、千年も前からこの感じは変わっていないのだろう、この道を日光男体山を開山した勝道上人も歩いた。 その後江戸中期に薬草採りの佐野一信が庚申山への道を整備したとある。(下野国誌 河野守弘書)       佐野一信は、こちら>>



 庚申山の生成が火山で火口近くまで侵食が進んだとしても奇岩怪岩の様は神秘的でガスがそれをよりいっそう幻想の世界に思わせている。 その岩肌にしがみつくようにコウシンソウが見られる、何ヶ所かあるが登山道近くに見られる所があるので山内巡り分岐先の所にいった。 この時期なのだから沢山の見物の人が居るのかと思ったら二人だけで拍子抜けだった。 コウシンソウはいつ見ても不思議な植物でそれ故にこの山になるのかなと思っている。 庚申山の旬があったらこの花の時期なのかも知れない。

 コウシンソの所から庚申山山頂は僅かなのでいって見た。 主三角点標石がグラ付いているがケルンの中に立っていた。 以前の山名板は消え新たなものが付いていた。 展望はその先なので歩を進め皇海山や鋸山への尾根(鋸11峰)を見る。 深い松木川の底は雲海が湧き上がり見えなかった、いかにも寒めたい前線が上空にあって下の暖かい空気と反応しているといった感じである。 この分だと午後は雷雨になるかもしれないと思った。 しかし、この日は雷鳴だけで済んだ。






庚申山 〜 山内巡り 〜 宇大ワンゲル山荘
庚申山から下って途中で昼食をとり大岩の山内巡り分岐にくる。 この山中に身を置き自然への畏怖なのか心境は私には解からないが、この近くで勝道上人は修業をしたとされている。 アドベンチャー探検隊よろしく岩肌を縫うように、クサリ、ハシゴ、奇岩をくぐり怪岩を見上げながら感心しきりであった。 思いは南総里見八犬伝の怪猫と犬飼源八の場である、源八が足で押さえているのが木たまが変身した馬である。 木版画の場面にはトウロウ岩や初の門も描かれている、源八はこの後怪猫の目を弓矢で射抜き赤岩の里(足尾町遠下付近か)に戻った。 ロマンチック街道もここまで来ている、ロマンチックの意味とは何なのだろう。




怪猫と対決する犬飼源八、


ガスの中に大怪猫が現れる
 歩を更に進めると二の門(めがね岩)の手前に来ると、にわかに付近はガスが降りてきてふと気配に気づき見上げると、とてつもなく大きな怪猫の影のようなものが覆いかぶさってきた。 内心出た出たと胸騒ぎ、信じて頂きたく証拠写真のシャッターを押した。 ガスはますます濃くなって怪猫の姿は消えて行ったがその後をはどうなったかは知らない。

 クサリを伝い岩棚を進むと眼前に、大きなアーチ橋が飛び出した初めはそう思った、少し時が過ぎるとこれかー「めがね岩」とはと口から出た。(写真はトップにある) 自然が作ったのかと思えるくらいの力作である。 めがね岩とは新しい時代になってからその言われたようだ江戸時代には二の門である、江戸時代にはめがねは高価で庶民には手の届かないものだったようだ。 話を戻そう、めがね岩を過ぎ庚申と彫られた岩を祀った岩屋や奇岩怪岩を伝い歩く、ガスが晴れたら絶景なのだろう、北岳のバットレスを彷彿する一枚のバーンは圧巻である。 火山の岩は一般には脆く崩れ易いのが相場だがこれだけ切り立った崖が形成したのだろう、崩れた岩は下部にある事はあるが長い月日が庚申川に流してしまったのだろうか。

 長いハシゴや橋が架かり岩をつなぐ鬼の耳すりだろうかぐるりと回り込むと、また長いハシゴを登ると尾根の上に出る。 そろそろ猿田彦神社跡方面に下るだろうと思ったが高度を上げ庚申山山頂へ向うのではと思った。 中々笹の下りにならず、見上げる岩は先端は見えない大岩である、落石注意とあるが注意もしようもないので早々に通過した。(自信はないがこの付近が屏風岩と思う) しばらくするとようやく笹原の下りになり、ショートカットしながら下り宇大ワンゲル嶺峯山荘前の水面沢源流部の水で顔を洗った。 クリンソウの咲く猿田彦神社跡に着く、ベンチに休む方に会釈し我らはそのまま下って行く。


猿田彦神社跡 〜 一の鳥居 〜 銀山平
 下りながら庚申山の事、庚申川の対岸の小法師岳、巣神山の事、近くの三角点へのルート、そして足尾町遠下からの古道と丁石のルート、県北の山々へのルートなど話は尽きぬままに一の鳥居から銀山平へ着いた。 銀山平ではかじか荘の庚申の湯で汗を流した。


【コースタイム】
 小山発(6:00)==鹿沼IC===日光清滝IC==銀山平(7:40)−−一の鳥居(8:30)−−百十四丁目・猿田彦神社跡(9:30)−−山内巡り分岐(10:40)−−登山道コウシンソウ岩(10:50-11:00)−−庚申山・1892m・主三角点(11:20)−−庚申山西端展望峰(11:25-30)庚申山−−登山道コウシンソウ岩・昼食(11:50-12:10)−−山内巡り分岐(12:20)−−めがね岩(12:40)−−宇大ワンゲル嶺峯山荘(13:30)−−一の鳥居(14:30)−−銀山平・かじか荘入湯(15:30-16:30)日光清滝IC===鹿沼IC
==小山着(18:00)


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