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【山行日】 2005年10月22日(土) |
【天 候 】 曇り、小雨 |
【山 域】 那須野ヶ原 |
【所在地】 栃木県大田原市 |
【地 図】 国土地理院 1/2.5万図
大田原地図(富士山)
地図(上野山) |
【 メンバー】 山部単独
【関連HP】 前回の富士山、上野山 |
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【コースタイム】
大田原市元町2・発 11:00=( 5分)=富士見団地内11:10−( 5分)−11:15 富士山11:20−( 2分)
−11:22駐車地11:25=( 15分)=11:40駐車地 −( 5分)−11:45上野山11:50−( 10分)−
12:00駐車地12:10=( 15分)=12:25金剛寿院(那須の与一の墓所)12:40=(矢板IC)=14:20自宅着
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【富士山(大田原)】
大田原の午前中の仕事完了で、市内の富士山へ写真を撮影に向う事とする。近くなので直ぐに富士見団地へ到着した。前回も仕事の途中で富士山へ清掃工場側から南から団地内の道を登って来た。地図で確認して檜林と雑木林の所が富士山として帰った。
今回また写真がないのでもう一度やって来た。今回は西側の通りから入る、富士理容所先の大谷石とブロック塀の間の道を入って行く。この道は富士山へ西から真直ぐに向う直ぐに山頂に着く。檜林は前回より幾分明るく感じた。檜林は枝打ちがされていたからであろうか。林の中の雑草の道の交差点付近が214mの水準点のようだ。(この山は頂上などない、国地の地図の富士山の所を山頂と勝手に思っているだけなのだが。)見渡すと上野山の山名板がそっと檜の小枝付けて有った。山名板の道の反対側の少し南の雑草地が水準点の位置のようにも思えたが山名板の所がピークとして無難なのだろう。車に戻る途中で地元の方(70歳位)と話が出来ました。その方がここに引越してきた頃、あの川の横の辺りは国有林だったと言っていました。写真を撮影できたのでやれやれとの気持ちで富士山を後にした。 |
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フラッシュを使ったら夜のような写真になった。 ここの床屋さんの角の大谷石の所を入る。 |
【上野山】
時計を見るとお昼までにはまだ時間がある上野山へ行ってみようと、金子山は那須野が原ゴルフ場の中なのでここは今日は無理だ。周辺の道は全て走っているので、今回は違うルートと思いハシモ鰍フ前の道から墓地の横を通り、進むと結局ゴルフ場入口反対側からの道に出てしまいました。そこから高みに向って舗装された道を上がると畑がありその先が上野山であることは直ぐ判りました。下方に桜が並んで見えてました。ラブ犬が尾を振りながら近づいてきました。車から降りて撫でながら言葉を掛けるといつまでもそばにいます。
今日のいでたちは作業着姿で(胸には仕事のプレート付いている)カメラを持っただけ。濡れた草を踏んで山頂を目指した、ラブ犬が距離をおいて後に続いてくる。畑地を過ぎ荒れた林地に入るとラブ犬は戻っていった。林地は前回と何も変わっていない。月のクレーターのような穴が開いている檜の植林地との境のクレーターの小枝に山名板が掛けてあった。戻りは前回の南へ下って桜並木へ向う。シダが生い茂る桜道を車に戻ると、横の畑先から声がする。『何か御用ですかー』女性の方である。畑の管理をしていたようだ、『上野山へ行かせていただきました。』それから立ち話をする。この山へ来られた方は知っている限り10名はいるとか、そこでこの山に来られる方は栃木の山の渋い山を目指している方ばかりですよ説明をした所笑っていました。その女性の方から雑草と一緒に野菜を作るのをここで実践しているとの説明を聞きました。やたらに雑草地に入ってはいけないようです。よく見ると次のキャベツの苗が植えてあって来春を待っていました。 |

このやさしい顔、後を着いて来る |

すり鉢状の中に山名板の小枝が |

シダの茂る桜のある道 |

雑草地にキャベツの苗 |
【那須の与一の墓と神社へ】
墓所は宝持山大本寺金剛寿院、神社は福原八幡を見る。那須の与一は言わずと知れた源平合戦の中扇の要を射抜いた弓の名手である。那須家の菩提寺でもあり、福原八幡宮は守護神として祭られている。 |

この日は講話中で、奥に入らず |

しめ縄の結びが龍の如し |