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□東京-塩竃高低測量几号彫刻 『市野澤村界標傍新設石標』
栃木・大田原市市野沢
* 毎年夏を過ぎるとつる草が標石を隠す、場所は解っているので周辺の除草した。 その後の標石の傷は増えていなかった。* |
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□東京-塩竃高低測量几号彫刻 『寺子村街道中央大黒天臺石』探索
栃木・那須塩原市寺子
* 陸羽街道沿の小高い所に社あり、急な石段の上に左右に恵比寿・大黒天像あり、右の大黒天台石に几号彫刻を探索したがない。 二体の像ともに倒壊していた。* |
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□東京-塩竃高低測量几号彫刻 『寺子村字黒川壷里程標』の探索
栃木県那須町寺子字黒川
* 「里程標」は聞き込みや探索では見つけられなかった。 石碑はあるが供養塔や記念碑はあるが、、、、。 写真は「明治天皇天覧田植之処」碑である。
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□東京-塩竃高低測量几号彫刻 『横岡村字峯岸地内牛石』
栃木県那須町峯岸
* 牛石の全体拓本を採ろうと現地に到着したが、 牛石が巨大過ぎて今回全体は諦めて「主王神」の部分の拓本を採った。
側面に几号と寄進者、石工名がある。ここは道路から一段上がった所である。* |
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□東京-塩竃高低測量几号彫刻 『寄居村字大久保壷瓢箪石』探索
栃木県那須町
* 前回、周辺を丁寧に探索したが無かった。 現在の瓢箪石碑があるが北10mの所だ。 写真の大岩に線画(猪口と瓢箪徳利)が彫刻されている。今回、拓本を採ってみた。 バイク通行中の地元の方と情報を聞こうと思ったが□東京-塩竃高低測量几号彫刻については得られなかった。* |
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□東京-塩竃高低測量几号彫刻 『寄居村両国界石崖』
栃木県那須町
* 9/10の再訪、前回は到着して5分もしないうちに雷雨で退散した。今回はしっかり確認した。 先の台風や地震により一段下の石垣が一部崩れていた。 一部几号の上部が見えていたが藤蔓などの枝や落葉に埋まっていた。 * |
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□東京-塩竃高低測量几号彫刻 『第十區白河郡白坂村馬頭觀世音大菩薩臺 臺自然石』
福島県白河市白坂
* 白坂の峠付近に碑の隣に「牛頭供養塔」が並んである。*
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□東京-塩竃高低測量几号彫刻 『第十區白河郡皮篭村石地蔵臺石 』
福島県白河市
* 金売吉次兄弟の墓、神社の陸羽街道沿に地蔵がある。 今回の震災の影響もなく鎮座している。 花が手向けられている。几号彫刻も鮮明である。* |
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□東京-塩竃高低測量几号彫刻 『権兵衛稲荷社石祠台石』
福島県白河市九番町 2011.10.01
* 9/10の再訪 *
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『二等水準點 徳二四号』 引馬峠 2011.09.25
福島県南会津郡桧枝岐村
* 引馬峠へは再訪問、明治の二等水準点標石の確認へ歩く。 当時の冠字二等水準点の特徴である球分の無い標石である。 埋石から100年を過ぎた 標石は今も深山に静に健在する。 当時の標石の中でもこの標石は美しい。 詳しくは、こちら>>峠は会津と栃木の奥鬼怒・川俣を結ぶ尾瀬国立公園内の山域にある。 二等水準路線は一等水準路線を補完し正確な地図を作るために測量官は深い山奥へ踏込み測量をした。*
『二等水準點 徳二四号』 明治四十一年八月
撰定・埋石・観測 陸地測量手 緒方嘉辰 |
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引馬峠 福島県南会津郡桧枝岐村 2011.09.24
* 引馬峠へは、桧枝岐から車で林道を詰め薮化した林道を歩く。越ノ沢橋先のから分岐し沢に沿った、水の流れる廃道を行く。途中から急斜面の薮に取り付く、一気に高度を上げて尾根に一服してから獣道、倒木道を進みチシマザザ薮を幾度も突破する。何度も濃い薮を地図やコンパスを使いながら進む遠望は利かないが時折一涼の風が通り過ぎる。
台倉高山のシュリエットが大きくなってくると県境だ。越ノ沢源流の湿地を巻いて尾根に到達する。 「たばこ注意」のプレート先から県境尾根に沿った高度を保った古道を進むが倒木が多く難儀するが薮よりは楽々だ。 歩き始めてから7時間で峠着。歩く度に薮は濃くなり倒木が増えた、今は歩く人は無いのか。* |
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