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2012年-report-71.

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鬼怒川改修工事 内務省基標 『 不 BM NO.11 内務省 キヌ ・ 』



鬼怒川 内務省基標 『 不 BM NO.11 内務省 キヌ ・ 』 鬼怒川左岸 再調査
茨城県常総市三坂町 三坂神社境内 (2012.03.25)


前回の調査時に緯経度の計測を忘れたので再訪問をした。 


鬼怒川改修工事 内務省界標 『 内ホ24 』



鬼怒川 内務省界標 『 内 ○ 24 』 鬼怒川左岸 調査
茨城県常総市水海道・中妻町 浅間神社近傍 (2012.03.25)


内務省界標 『 内 ○ 24 』の茨城県常総市水海道・中妻町 浅間神社近傍とは、内務省基標 『 不 BM NO.10 内務省 キヌ ・ 』のある浅間神社の約1キロ下流にある浅間神社である。 *さて、界標刻字 『 内 ○ 24 』の「○」部分は旧かなの「こ」であろう。 



利根川改修工事 内務省界標 『 内 310 』



利根川 内務省界標 『 内310 』 鬼怒川左岸 調査
茨城県常総市水海道  (2012.03.25)


この界標の設置場所は水海道の鬼怒川であるが、刻字から利根川改修工事のものであろうか。 



【 鬼怒川改修工事 内務省基標 『 不 BM NO.7 内務省 キヌ ・ 』 】







鬼怒川 内務省基標 『 不 BM NO.7 内務省 キヌ ・ 』 鬼怒川右岸 調査拓本
茨城県常総市豊岡町 浜砂原公民館前神社境内 (2012.03.25)


水海道豊水橋2キロ下流の常総市豊岡町浜砂原公民館前神社境内に基標がある。 神社名は不明である。 近くには排水門があり基標付近から堤防上に道路がある。 



【 鬼怒川改修工事 内務省基標 『 不 BM NO.4 内務省 キヌ ・ 』 】






鬼怒川 内務省基標 『 不 BM NO.4 内務省 キヌ ・ 』 鬼怒川右岸 調査拓本
茨城県守谷市板戸井 清瀧香取神社境内 (2012.03.25)


守谷の滝下橋近傍、下流の清瀧香取神社境内に基標あり。 境内からは鬼怒川を見下ろす。 写真の内務省基標「キヌ」の刻字が見える。 鬼怒川改修工事のものとの主張が見える。 ここからは利根川改修工事後の鬼怒川改修工事の証である。

守谷市板戸井 清瀧香取神社の前に鬼怒川が悠然と流れる。 すぐ上流に県道58号線の滝下橋が架かっている。



利根川改修工事 内務省界標 『 内 281 』 】

利根川 内務省界標 『 内281 』 左岸 調査
茨城県守谷市野木崎 がまんの渡し場跡付近 (2012.03.25)


利根川と鬼怒川合流地点へ向かう。 利根川南の千葉県柏市布施弁天付近から新大利根橋(県道47号線)を渡り茨城県守谷市へ入る。 次の交差点を左折しつくばTX線と常磐高速道を目標に進む、守谷SAに香取神社があり浄化センター、明治乳業工場、大利根運動公園がある。 付近が野木崎・下川岸でこの辺が「がまんの渡し場跡」付近である。

運動公園と上流のゴミ処理場の大きな建物との中間地点が、利根川と鬼怒川合流地点である。 地形から見るとこの付近は両河川は蛇行し何度も合流地点が変わったと思われる。 守谷市と柏市の河岸段丘間を悠々と流れていたのだろう。 元来付近から下流は鬼怒川であり、常磐高速道利根川橋付近から利根運河が埼玉県越谷市で江戸川へとつながっている。



【利根川改修工事 内務省界標 『 内 280 』 】



利根川 内務省界標 『 内280 』 左岸 調査
茨城県守谷市野木崎 がまんの渡し場跡付近 (2012.03.25)


がまんの渡し場跡とは、徳川家康が当地に鷹狩りに来た折に、木野崎の椎名半之助家に宿泊した。 当時は鬼怒川はもう少し上部で利根川に合流していた。 家康は大雨のために洪水になった川を渡りたいために、水夫に『がまんしてわたってくれ』と頼んだという謂れから同名という。 大将軍家康は武将を随ってこの地に滞在し椎名家に謝礼に田畑を与えた記録がある。利根川の渡し場である。(守谷市教育委員会掲示板抜粋 H6年3月)

鬼怒川が開削されこの地で利根川と合流され渡し場が1キロ下流になり、野木崎川岸と呼ばれ明治、大正期には茨城県南の波止場として隆盛を極めた。 対岸は千葉県野田市水堀である。

利根川と鬼怒川の合流は堤防上からは芦草が繁茂し見ることが出来なかった。 この辺の界標は利根川改修工事の際に設置されたものである。 



利根川改修工事 内務省界標 『 内 279 』 】



利根川 内務省界標 『 内279 』 左岸 調査
茨城県守谷市野木崎 がまんの渡し場跡付近 (2012.03.25)


この付近の界標「 内 XXX 」を確認すると、利根川堤防の位置づけのようだ。



【 利根川改修工事 旧建設省界標 『 (建) 』 】



利根川 旧建設省界標 『 (建) 』 左岸 調査
茨城県守谷市野木崎 がまんの渡し場跡付近 (2012.03.25)


(建)は、○の中に「建」の旧建設省マークの界標。 □の中に「建」もあるが数少ないめずらしい刻字の界標(河川用地杭)である。



利根川改修工事 内務省界標 『 内 羽3 』 】



利根川 内務省界標 『 内 羽 3 』 左岸 調査
茨城県守谷市高野 浅間神社参道下、公民会前 (2012.03.25)


基標があるとすれば浅間神社であろうと考えたが、社にはなかった。 探索不足かもしけない、駐車地に戻る途中で堤防下に「 内 羽3 」を見つけた。 付近にはこの一本だけである。 表示文字がひらがなではなく漢字であった。 内と羽の間隔が開いているように思うが。



【 旧建設省水準標 『 BM NO.1 ・ 』 】



利根川 旧建設省水準標 『 BM NO.1 ・ 』 左岸 調査
茨城県守谷市戸頭 戸頭神社近傍空地 (2012.03.25)


守谷市戸頭の戸頭神社へ向かう途中の空地にこの「BM NO.1」があった。 今日、利根川右岸で見たものと同列のものであろう。



【 茨城県水準標 『 一等水準点 公+共 No.47 茨城県 』 】



茨城県水準標 『 一等水準点 公+共 No.47 茨城県 』 左岸 調査
茨城県守谷市戸頭 戸頭神社華表前 (2012.03.25)


金属標の水準点である、戸頭神社には基準点があると地形図からみていた。 残念ながら明治の基標は無かったが、茨城県の「公共 No.47 一等水準点」がある。 華表(鳥居)の前である。 目印の黄色のコケシのような表示標があり「47」と記されていた。 



【 道路元標 『 道路元標戸頭村 』 】



道路元標 『 道路元標戸頭元標 』 左岸 調査
茨城県守谷市戸頭 戸頭神社入口 (2012.03.25)


戸頭神社から下方を見ると神社参道先に、角柱の大正期の道標が見えた。 境内探索を完了し石標を見に行くと案の定「大正14年1月建之」の刻字が見えた。 表を見てあっと驚く「道路元標戸頭村」と刻字である。 道路元標規定の形状ではなかった。



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