第27回 桐生100`ウォーク24

競技日
2003.5.24・Pm5:00 〜 25・Pm5:00
はじめに大会運営をされた桐生走ろう会の方々に心より感謝します。


全員の集合 03.05.24

眼前に人間模様が現出された、見るべき事は見た。
 今はリタイアせんと。

【剛の者】
足尾の通洞駅のチェックポイント(エイドステーション)での上位のA選手の会話。

役 員 :○○さんどうだった。
A選手:あの人、
なにかにとりつかれているようだ ただ一点を見据え、ぐいぐい歩を進める速い歩き。 競歩を思わせる歩き。  A選手はなにかにとりつかれているようだは、その後4回も言っていた。

スタート前のガンバロー
情報収集によると、大会参加のため桐生まで自宅からすでに80キロ歩いて来たひとが居るとのこと。(怪物だー)

チェックポイントからの再スタートで最初に飛び出した人の足を見たら。 見たこともない太い足、踝から膝まで同じ太さで縦に何本もの筋が走るもの。 自分が見た時も確かに、”なにかにとりつかれているような”状態だった。 その方だと思うがどの道にも剛の者が居るものだ。
流石に第27回大会の歴史を感じる。 噂によると30回記念大会は、300キロを計画しようとの声も有るようだ。

元気にスタート
【最高歳参加者との会話】
年齢を尋ねたら答えない。 無理に聞かない。 しかし高齢である。 見るからに矍鑠(かくしゃく)としている。
今までに何度か完歩している。 もちろんリタイヤもあったそうだ。 今年で最後にするとの事。 東京からの参加である。 しかも歩くスピードが遅い訳ではない、むしろ速い方である。 マーカーの役員さんより無論先を歩いている。自分も20年後を考えると、100キロへの挑戦が出来るかはなはだ疑問だ。 
【幼稚園のサポート隊】
第一チェックポイントの水沼駅に、予定時間より45分早く着いた。 遅い夕食のおにぎりを食べてから。
仲間の到着をカメラ構えて待っている。

女性選手の2人連れ到着。 幼稚園の先生と父兄とのことである。 チェックポイントでの確認が済むかどうかの所にママさん風の方が「○○さんおつかれさまー。」と元気な声。

水沼駅で後続者を待つ
表れたのは2、3人のママさんで幼稚園のサポート隊である。 すでに駅のホームに敷物を用意してある。 お疲れ様の連呼、さっそく宴の始まりです。 いいなー・・・・。

我々も今時に無い薮塚本町のおいしい
初物の西瓜のご相伴に預かる。 次のチェックポイントも同様のサポート体制である。 それにしても至れり尽くせりの完璧の幼稚園のサポート隊であった。

神戸の東葉電機CPをスタート
【夜中の電話】
突然音楽が流れた携帯らしい。 途中のエイドステーションでのことである。 本人はいない1分くらいして止まった。 本人戻って携帯の着信確認、再発信する。 まだ起きてる迎えに来てくれる。・・・・・・・。 違うよ桐生だよ。 ・・・・・・・・。  こんなやり取りだった様だ。 B選手:もうだめだー迎えにきてもらえる。 家族:今どこなの B選手:足尾の通洞駅 家族:帰ってくるの明日じゃなかったの B選手:もうだめ 家族:これからなのー。B選手:違うよ明日桐生駅だよ。(本心はいますぐここに迎えに来てほしい。 でも言えない明日の桐生駅がと言ったのが精一杯だ)
【女のおしゃべり】
真夜中のトンネルいよいよ栃木県に入る県境だ。
トンネル手前のエードステイションを過ぎる。
1人長いトンネルを歩く、前の人は闇のなかに消えた。 後方の人とは100m以上の距離があるライトが揺れながら付いて来る。
あと50mでトンネルを出ようとしている。 その時大声の女性の話し声、会話が弾んでいるようだ、むたしか後ろにいるのは男性。女性グループに吸収されたか心配になる。 トンネルはカーブしていて奥は見えないが、声だけは大きい。 この辺で35キロ疲れも出てくる。 それにしても女性は元気、ただの話し好きなのか。 男性で話をしている人は居ない。目的地のチェックポインに向ってもくもくと歩く。 自分には次のチェックポイントまで女性の姿は見えずだった。 銀山平入り口で遠くにライトが4つ揺れるているのが見えた。

真夜中のトンネル
真夜中のトンネルはひびく300mくらい離れていたのだろう。 会話はいつまでもズート途切れなく続いていました。 


【元気に歩く】
夜の渡良瀬川に沿って、国道122号線をライトを点けて背中のバックには豆ライトが点滅する。 いよいよ第2ステージに入る。 マーカーの役員さんよりかなり前方だ早過ぎるスピードを落とそうかと考えながらある歩を進めている。
東村の花輪の本宿のところで、先行の人がスピードを緩めたのかだんだん近づいてくる。

ついに一緒に並んで歩く、挨拶をして色々な話を聞いた。 群馬の伊香保の近くの方で、一年中山に行っているとのこと。 この大会に出るのは3回目のようだ、はまってしまったようだライフワークに組み込まれたとのこと。 最近は夏は山登りに出かけるようになった、若い頃谷川岳で岩登り仲間が落石で亡くなった時ザイルは止めたと言った。 人に誘われまた山に行くようになったとのこと。 

秋にまいたけ採り、11月からしのしし、鹿の狩猟に山に入って薮歩きだそうだ。 その方もペースが速い、もっと落とさねばと言いながらつぎのチェックポイントまでご一緒した。 60歳前後の方でした。
【言い訳の話】
このようなに素晴らしい大会に参加出来て幸せを感じました。 自分は今まで色々な競技と大会に参加してきました。
それぞれの大会にはそれぞれの味があり、これまで全力で頑張って参加してきました。

会長挨拶、競技説明
剣道、マラソン(ハーフ、フル)、トライアスロン、デアスロン、MTBと、いろいろの大会に参加してきました。 参加した感激は沢山ありました。 今でも全ての大会に全力で当り競って来ました。 どうしても競ってしまうのです、大会をゆっくりと楽しめないのです。 他の選手と競って力以上のスピードを出してしまうのです。なぜコントロール出来ないのでしょうかいつもそうなんです。

 競技ではどうしても初めそれなりのハイペースで行き最後は精神力でゴールするパターンで競技を組み立てることが多くありました。 しかし100キロにそれは通用しませんでした。  歩きだからと過信した訳でも有りませんが、そんな心がどこかに有ったのかもしりません。 それなりに準備して臨んだこの大会完歩できず、泣いても泣ききれない。 次回こそはと泣きたい気持ちでリベンジを誓った。    −−− この青ざめた薮人を見よ (直木賞もの) −−−

【リタイヤ組の後姿】
足尾の通洞駅から後髪を引かれるように午前5時48分発に乗る。 いやそれぞれの思いを持って乗り込んだ12,3人足を座席に投げ出し他の客のいない(2人いた。)車内に散らばった。 すぐに若いカップルで参加した人は目を閉じた。 誰も話をする人はいない。(桐生から話ながら歩けば話す事なし) 
ゴトゴトと1両だけの渡良瀬渓谷鉄道の客車は、大間々の駅に着いた。 赤いウインドウブレイカーを来た若い人が席をおもむろに立ち上がる。 ゆっくりと誰もいないホームに降りたその姿は痛々しい。 皆の視線を背中に受けながら連絡橋の階段を一歩また一歩上がる、階段の一段一段の高さをこれほど感じながら上がったことは無いくらい踏みしめていた。。 片手に持つた木の杖が痛々しさに花を添えた。 ゆっくりとゴトゴトと渓谷鉄道の客車は桐生に向って動きだした。

資料・写真集

もう肩が痛くなって来た

競技説明

遠方参加者紹介(奈良、広島、兵庫、香川)

この二人第一ポイントでリタイヤ

緑のウェアーがマーカーの坂田さん

陽が暮れた

水沼駅のホームで夕食

記念撮影(スタート前)
 この年のスタートは107名と聞きました。

来年、また桐生でお会いしましょう。