奥日光御料局 宮界標 界乙250-260


 宮 界乙二五〇  大崎・西六番付近の尾根 標高1585m)

 

界杭石が七曲、古薙(三角点)付近 の男体山麓を 西から南へと並ぶ、
1600m - 1850mの標高だ、何本もの薙を横切る。「界乙二五〇」から
尾根を中禅寺湖の西六番地に向けて一気に下る。幾つかに分け歩く。


男体山山腹・十一番堀(薙)−妙見堀(薙)間・西六番尾根

 宮 界乙二五○   ( 十一番堀(薙)を望む西六番尾根の縁字 ) 


    調査日 09.03.15 / 09.03.21

緯 度 36. 44. 57.7  経 度 139. 29. 04.8
標 高  1585m

刻字 表面 :界乙二五〇    対面 : 宮

寸法、形状 □120・120mm、
地上高 約160mmの角柱
刻字面 : 160mmm
上面 :×印(150・150mm) 角隅切りあり
宮印寸法 (直径60mmの○印)
標石材質 御影石 

 地形図 :
大崎・西六番上付近の地形図は、こちら>>
     ( ×印が、この標石の位置である。)

 現況 :
「境界標250」あり、西六番尾根の界標
最上部 立木に赤ペンキ 250の書 次の赤
ペンは薙の縁にあり 境界標石ルートはここ
から薙を越え対岸の丸山上部へ

・ 今回は十一番堀(薙)を越えず、岩尾根を
1700mまで高巻く、上部には舗装作業道終点
あり(登山道・鳥居の所からの作業道)
西六番地尾根とは、十一番堀(薙)と妙見堀
(薙)間を言う。 ここから眺望抜群。


 宮 界乙 二五一   ( 大崎・西六番尾根の中央部 ) 


    調査日 09.03.15 / 09.03.21

緯 度  36. 44. 54.2   経 度 139. 29. 03.7
標 高  1530m

刻字 表面 : 界乙二五一  対面 : 宮

寸法、形状 □120・120mm、
地上高 約10mmの角柱
刻字面 : 160mmm
上面 :×印(60・60mm) 上面角隅切りあり
宮印寸法 (直径70mmの○印)
標石材質 御影石 

地形図 :
大崎・西六番上付近の地形図は、こちら>>
     ( ×印が、この標石の位置である。)

現況 : 深く氷結し番号確認には難儀する
      鹿の群れが上部へ移動していた。
    


 
 宮 界乙 二五二   ( 大崎・西六番尾根の中央部 ) 


    調査日 09.03.15 / 09.03.21

緯 度  36. 44. 54.2  経 度 139. 29. 03.7
標 高  1480m

刻字 表面 : 界乙二五二  対面 : 宮

寸法、形状 □120・120mm、
地上高 約60mmの角柱
刻字面 : 180mmm
上面 :×印(60・60mm)細線あり 角隅切りあり
宮印寸法 (直径60mmの○印)
標石材質 御影石 

地形図 :
大崎・西六番上付近の地形図は、こちら>>
      ( ×印が、この標石の位置である。)

現況 : 踏跡と思っていたのは獣道(鹿道)だった
      「見出標352」がある。

     


 
 宮 界乙 二五三   ( 大崎・西六番尾根の中央部から妙見堀(薙)側へ下る ) 


    調査日 09.03.15 / 09.03.21

緯 度  36. 44. 47.4  経 度 139. 29. 02.4
標 高  1450m

刻字 表面 : 界乙二五三  対面 : 宮

寸法、形状 □130・130mm、
地上高 約10mmの角柱
刻字面 : 160mmm
上面 :×印(65・65mm)細線あり 角隅切りあり
宮印寸法 (直径70mmの○印)
標石材質 御影石 

地形図 :
踏跡分岐の次標石の地形図は、こちら>>
     ( ×印が、この標石の位置である。)

現況 : 
標石はやや深く、落ち葉に隠れていた

「二五四」、「二五五」の石標なし、254点、
255点(1352m標高点)は、CP杭

      


 
 
 宮 界乙 二五六   ( 大崎・西六番尾根の中央部から妙見堀(薙)側へ下る ) 


     調査日 09.03.15 / 09.03.21

緯 度  36. 44. 39.1  経 度 139. 29. 02.4
標 高  1350m

刻字 表面 : 界乙二五六  対面 : 宮

寸法、形状 □120・120mm、
地上高 約110mmの角柱
刻字面 : 180mmm
上面 :×印(60・60mm)細線あり 角隅切りあり
宮印寸法 (直径60mmの○印)
標石材質 御影石 

地形図 :
踏跡分岐の次標石の地形図は、こちら>>
     ( ×印が、この標石の位置である。)

現況 : 
この時期、標石は地表から10cmくらい氷結
している。
春になるとミヤコザサに覆われそうである



 
 宮 界乙 二五七   ( 大崎・西六番尾根 ・妙見堀側 ) 


     調査日 09.03.15 / 09.03.21

緯 度  36. 44. 36.5   経 度 139. 29. 01.4
標 高  1330m

刻字 表面 : 界乙二五七  対面 : 宮

寸法、形状 □125・125mm、
地上高 約130mmの角柱
刻字面 : 180mmm
上面 :×印(60・60mm)細線あり 角隅切りあり
宮印寸法 (直径60mmの○印)
標石材質 御影石 

地形図 :
踏跡分岐の次標石の地形図は、こちら>>
    ( ×印が、この標石の位置である。)

現況 : 258から僅か進んだ所にある



 
  宮 界乙 二五八   ( 大崎・西六番尾根 ・妙見堀側尾根南端の踏跡分岐付近 )


     調査日 09.03.15 / 09.03.21

緯 度  36. 44. 34.6  経 度 139. 29. 01.46
標 高  1316m

刻字 表面 : 界乙二五八  対面 : 宮

寸法、形状 □125・125mm、
地上高 約160mmの角柱
刻字面 : 180mmm
上面 :×印(60・60mm)細線あり 角隅切りあり
宮印寸法 (直径60mmの○印)
標石材質 御影石 

地形図 :
踏跡分岐の次標石の地形図は、こちら>>
    ( ×印が、この標石の位置である。)

現況 : 
踏跡が薙に沿ったものと尾根中央へ分岐する
初回は薙側を歩いたが、赤ペンキは中央へ



 
  宮 界乙 二五九   ( 大崎・西六番尾根 ・妙見堀側、温泉パイプライン付近 )  


     調査日 09.03.15 / 09.03.21

緯 度  36. 44. 32.4   経 度 139. 29. 01.0
標 高  1327m

刻字 表面 : 界乙二五九  対面 : 宮

寸法、形状 □125・125mm
地上高 約180mmの角柱
刻字面 : 180mmm
上面 :×印(60・60mm)細線あり 角隅切りあり
宮印寸法 (直径65mmの○印)
標石材質 御影石 

地形図 :
温泉パイプライン弁小屋付近の地形図は、
       こちら>>
    ( ×印が、この標石の位置である。

現況 :
大崎の保養所付近で二荒山神社中宮祠
レストハウス上に温泉パイプライン道あり、
境界と接点に「界乙二五九」あり


 
  宮 界乙 二六〇   ( 大崎・西六番尾根 ・ 妙見堀側、東熱保養所との境界 )


     調査日 09.03.15 / 09.03.21

緯 度  36. 44. 31.1   経 度 139. 29. 00.3
標 高  1313m

刻字 表面 : 界乙二六〇  対面 : 宮

寸法、形状 □115・120mm、
地上高 約240mmの角柱
刻字面 : 180mmm
上面 :×印(60・60mm) 角隅切りあり
宮印寸法 (直径60mmの○印)
標石材質 御影石

地形図 : 保養所付近の地形図は、こちら>>
       ( ×印が、この標石の位置である。

現況 :
大崎の「東熱日光山荘」と「二荒山レストハウス」
間が境界で、妙見堀(薙)は二荒山神社の敷地
となっている。 この標石は「宮」が神社側、「界
乙二六〇」は保養所側である。
「見出標260」あり


 
  この尾根の界標 

男体山を北から西、更に南へと山腹を界標が切る。
そして山腹の標高1600M付近の界標「界乙二五〇」から尾根を下って大崎・西六番地のクラブの所で、
中禅寺湖につながる。 ここ地域の旧御料地は二荒山神社と接する。
 (男体山の山頂部と社一帯は二荒山神社の所有地という事である。)

江戸期の幕府御用林と神社の境はどうなっていたのだろう、明治期にどのようにして線引きされたのであろうか。  この事は現地調査と並行して調べてみよう。


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