鹿沼今宮の彫刻屋台


この美しい彫刻は泉町の屋台のものです。

国指定重要無形民俗文化財「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」の主役は、彫刻屋台なのかも知れない。時代とともに変遷を遂げて現在の形になった。今宮神社の付け祭りは絢爛豪華、勇壮優美な彫刻屋台が繰り込み、繰り出して町内を練り歩きます。

彫刻屋台は町内保有として、27台が運行可能の状態で保管されています。保管方法は展示場保管、屋台組み立て保管、屋台蔵解体保管など、その町内にあった保管方法がとられています。その内14台は文化、文政、天保の江戸時代に製作のもので、13台は明治、大正、昭和、平成に製作されたものです。屋台は時代を反映しており、塗り屋台または白木屋台といった所に現れています。構造は、内室と芸場の二室になっており、内室には囃子方が乗り込みます。屋台の大きさは間口一間半、奥行き二間半、高さ二間半が標準です。製作において、当時の彫刻師、大工、塗師、金物師の職人の技が結集されていると同時に町民の祭りの心意気が感じとれます。

(鹿沼の屋台はこのほか上大久保町に1台と楡木町に2台の屋台、1台の山車があります。)



屋台は三種類
屋台は、唐破風付き単層館型で白木造彫刻屋台、漆塗彫刻屋台、花屋台の三種類に大別出来ます。(近年、花屋台に彫刻が施され白木造彫刻屋台に変わっている。)

屋台の彫刻師は
14台の江戸時代に造られた彫刻屋台の構造は、唐破風付き単層館型で四つ車。彫り物は、江戸時代は富田宿(栃木県大平町)の彫師集団磯辺氏らの手になるものです。日光五重塔(再建)の彫物方棟梁をつとめた後藤周次正秀のような名工も彫師集団磯辺氏らの手もいます。平成になり地元鹿沼の職人黒崎嘉門によるもの、富山県井波町の井波彫刻協組ほか各地の彫刻師の手により追加、修理が行われています。

明治の頃の写真
     黒漆塗彩色彫刻屋台  石橋町

文化9年(1812年)の製作と伝えられている。彫刻は大正期に至るまで逐次続けられ、
安政期の彫刻は菊の名手、神山政五郎との伝承がある。大正期には、大出常吉、敬一郎親子により彫刻が付け加えられ現在の姿となった。外欄間、障子回りなどは菊の彫物で埋め尽くされ、鬼板の金鶏鳥や全面に小鳥を配して現在見られる鹿沼一の華麗な姿を誇っている。


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