日光街道(日光杉並木)   
   
    神橋畔の寄進碑(日光市上鉢石町)       

杉並木の由来が書かれた石碑(寄進碑・神橋畔)を起点に各街道の日光神領境界に建てられました。日光杉並木は神領内の街道を参道に見立てた規模の大きなものであります。杉は日光山内にも沢山植えられ杉木立は日光山内を荘厳なものにしています。

碑文「下野国日光山山菅橋より、同国同郡小倉村・同国河内郡大沢村・同国同郡大桑村に至り、二十余年をへて、路辺の左右並びに山中十余里に杉を植え、もって東照宮へ寄進奉る
      慶安元年四月十七日、従五位下松平右衛門太夫源正綱
 この碑は、嫡男正信が建立したものです。(1648年)


      異人石(日光市宝殿)
明治の頃杉並木を愛した外人が居た。その外人はこの石を石屋に
頼んで座りやすくして毎日、杉並木を観賞していたので異人石と、 .
呼ばれている。                               . 


      銀杏杉(日光市七里)
杉の根元が銀杏の葉が広がっているように根張が八米余におよぶ。
この雄大な根張りから大丈夫という別名「人生杉」とも呼ばれている。


      並木太郎(日光市七里)
並木の中で一番大きな杉であり周囲 5.53m 樹高 38m 材積 33.5立方米
姿美しく端正なことにより、並木太郎というにふさわしい名木であります。 .


    一里塚(今市市瀬川)
日光街道には一里ごとに里程を知らせる一里塚があり、杉並木街道の
一里塚にも杉が植えられています。(一般の一里塚には、榎が多い) .


       砲弾打込杉(今市市瀬川)
瀬川の一里塚から 日光方面へ800mほど進んだ所に そびえる杉が、.
砲弾打込杉です。  戊辰戦争(1868年)の際、板垣退助率いる官軍が
日光に拠る幕府軍を攻撃した際、ここで前哨戦が行われて、並木杉に
当たったものです。砲弾が炸裂する音が昼なお暗い並木の中をこだま
したそうです。今でも並木杉の倒木を伐採すると砲弾の破片が入って
いるそうです。                                  .

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北緯36度45分13秒,東経139度36分15秒 
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