例幣使とは、伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)に、朝廷より幣帛(へいはく)を奉納するために毎年、朝廷から派遣された使者(勅使)をいいます。毎年恒例の派遣なので例幣使と言いました。例幣使は応仁の乱ごろから中断されていました。その後、東照社(日光東照宮)に宮号が宣下(せんげ)されたのを契機に、正保4年(1647年)から日光に例幣使が派遣されることになり日光東照宮の例大祭(4月17日)にあわせました。同時期に、伊勢の例幣使も復活しました。
日光例幣使のこの時の往路となった道が例幣使街道です。日光例幣使の一行は、4月1日に京都を発し、中山道を通って倉賀野宿(群馬県高崎市)に至ります。倉賀野からが例幣使街道です。例幣使街道は太田、栃木などの宿場を経て楡木(栃木県鹿沼市)に至り、今市で日光街道に合流します。楡木では壬生街道が合流しますので、楡木、今市間は正確には壬生街道ですが、一般に例幣使街道と呼ばれてきました。例幣使街道は往路に用いられ、復路は日光街道、東海道が利用されました。日光例幣使は、1647年から1867年まで日光に派遣されました。
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