例幣使街道(日光杉並木)  .
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        例幣使街道・小倉の寄進碑(今市市小倉)    .     

例幣使とは、伊勢神宮の神嘗祭(かんなめさい)に、朝廷より幣帛(へいはく)を奉納するために毎年、朝廷から派遣された使者(勅使)をいいます。毎年恒例の派遣なので例幣使と言いました。例幣使は応仁の乱ごろから中断されていました。その後、東照社(日光東照宮)に宮号が宣下(せんげ)されたのを契機に、正保4年(1647年)から日光に例幣使が派遣されることになり日光東照宮の例大祭(4月17日)にあわせました。同時期に、伊勢の例幣使も復活しました。

日光例幣使のこの時の往路となった道が例幣使街道です。日光例幣使の一行は、4月1日に京都を発し、中山道を通って倉賀野宿(群馬県高崎市)に至ります。倉賀野からが例幣使街道です。例幣使街道は太田、栃木などの宿場を経て楡木(栃木県鹿沼市)に至り、今市で日光街道に合流します。楡木では壬生街道が合流しますので、楡木、今市間は正確には壬生街道ですが、一般に例幣使街道と呼ばれてきました。例幣使街道は往路に用いられ、復路は日光街道、東海道が利用されました。日光例幣使は、1647年から1867年まで日光に派遣されました。


      一里塚(今市市室瀬)
今市追分から鹿沼方面に進むと「室瀬一里塚」があります。
ここまでは民家もありますが、ここから十石坂、地震坂へと
静かな並木街道となります。並木道は車の通行もありますの
で注意して通行します。並木の車での通り抜け見学はここの
例塀使街道が最高です。               .


      切り株(今市市室瀬)
室瀬付近にあった日光並木杉の切り株です。この木は周囲と
比較すると余り太くないものですが、年輪の詰まった立派な
ものでした。 各並木街道は総延長37Km、古いものでは
樹齢380年を越えて台風や自然環境の悪化で倒木などが見
られます。 並木杉の巨木は約12,600本ですから毎年
数10本枯死、倒木しています。           .


      地震坂(今市市明神)
昭和24年12月26日突如今市地方を襲った地震によって杉並木
街道にも被害が及んだ。ここ明神付近の杉並木街道では地す
べりが発生しました。その際杉並木ごとの地すべりとなりま
した。写真の上の段から下の道路近くに移動しました。  .

今市地震は行川流域の明神、室瀬、千本木を中心に今市のほぼ
全域が震度6の烈震で山津波、地すべり、地割れ、崖崩落に
よる川を堰止めるなどすさまじいものでした。      .


    一里塚(今市市小倉)
今市市小倉の一里塚で、街道の両側に塚が築かれていますが
木はありません。この辺は杉並木道が直線となっています。
この先に文挟宿(フバサミ)があり、今市と鹿沼の中間地点
です。                        .


       寄進碑(今市市小倉)
今市市小倉の日光神領の境界で鹿沼側の入口です。ここから日光杉並木街道の荘厳な長い参道が始まります。日光・神橋の起点と同じ寄進碑が置かれています 碑は日光神領の境界に建てられて境石と呼ばれている。

トップに書きましたが小倉から追分の並木道は壬生街道で例幣使街道は楡木まで、京から中山道を通り倉賀野(高崎)から例幣使街道で楡木、そこから壬生街道で今市へ、今市から日光街道と各街道を例幣使は繋いで日光にやってきました。帰りは日光街道を進み、東海道を通って京へ戻ったそうです。

国土地理院のページ「2.5万図」はこちらです。
北緯36度37分7秒,東経139度44分9秒

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