徳一二号二等水準点 上栗山


「徳一二号」二等水準点 明治41年(1908) 陸地測量部設置 (2007.10.09山部撮影


【「徳12号」の諸元】   (確認日 2007.10.09、立会人:上西氏、飯島氏、山部
  標高   763.5m (地形図記載の数値) 、763.407m (点の記の数値)
  寸法   125mm ×125mmの角柱       長さ 170mm (地表部のみ)
  刻字   前面 「二等水準 ・ 」  後面 「徳一二 ・ 」(いづれも縦書き) 上面「+」 側面 記載なし
  形状   角柱  上面に球分体がない  角が丸みの形状    (・は、土中で確認出来ず)
  緯経度  36°51′41.1″139°34′48.9″ (GARMIN社製 GPSmap 60CSにより計測)
  材質   黒雲母花崗岩(白御影石)
  状態   良好 上面に赤のペンキ痕あり
  点の記記載の所在地 栃木縣塩谷郡栗山村大字上栗山字細野 俗称ソマリ
  選定・埋石 明治41年5月1日   観測 明治41年5月22日
  地目   道路敷

【現 況】
  水準点標石への現在の市道の入口には東電柱(黒部190 97 10 14 斉藤)がある
  市道入口から約15m位入った左側の法面、当時の道の山側の傾斜地に埋もれていた
  「点の記」の林地への道の入口右側土中にあった
  標石から現在の道の法面上まで4400mm 、 TV共聴柱(NHK若間8 1.7)まで4550mm 、
  林地への道入口から1200mm
  周囲の状況 設置当時の「点の記」よると、明治当時は桑畑があったが現在は無い、檜林となっている
           当時の土道は伐採木や切り株が放置されている。

  保護石 コンクリートで固められている 道側の保護石は上面が欠けている
  保護石(コンクリート)外形寸法  570mm  × 内側寸法 250mm


  
「二等水準 ・ 」の上面は赤ペンキ痕があり   GPS表示は765mであるが地形図では763.5mである。

  
法面に埋もれていた。                        発見後、記録を採取


【上栗山「徳12号」水準点探査】                                                  .
徳12号二等水準点は、地形図では上栗山集落から少し若間よりの所に標石が設置されていた。栃木県今市町(*1)瀬尾 の徳 1号から大笹峠(現大笹牧場)の徳8号を経た水準路線は栗山村上栗山集落に至る。近衛師管陸地測量部発行(明治31年12月)輯製版地形図(*2)によると当時の川俣、檜枝岐への道は鬼怒川の南側を通っていた。この水準路線の測量が行われたのは明治41年であるからほぼ同道になるのだろう。徳12号は2km×12号=24kmだから今市瀬尾から24kmになる。

この日(2007.10.09)、地図・測量・標石の研究家の上西氏と飯島氏と山部は徳12号水準点探索に上栗山集落にやって来た。山部は上栗山水準点の探索には3度現地を踏み探索したが見つけられず半ばあきらめかけていた。今回は標石探索の達人の方々に現地を見ていただいた。地形、当時の地形図、現在の地形図、点の記を参考に探索した。上西氏が水準点のある地点の山側の林相の桑畑から針葉樹に変わる所の道形の所がポイントだと言う。飯島氏は周囲の地形を古図と現在の地形図から探索し、点の記にあった林相の変わる所の作業道の特定に忙しく歩き回る。

飯島氏からこれは桑の木の葉だと声がしたので三人で確認したがそれは古木の山アジサイであった。今から約百年前の桑の木が残っているのだろうか、現在の植林地には立派に成長し約50年生の檜が整然と並び、それでも百年の半分しか経っていない。当時の様子は想像するしかない鬱蒼とした植林地に隣接する当時の道は、落ち葉が積もり切り株や伐採された枝が放置されいる。山部は植林地内から道に戻り点の記に記されてあるであろう植林地入口右側法面の斜面を登山靴で落ち葉や枝そして土を掘り起こした。

何やら硬い石の手応えを感じたしかしそれは縁石のようである、なぞると長い上面は平らで約60cmである。縁石の角からさらに奥に曲がっている、掘り手が変わって飯島氏が土を掻き払う上西氏が”あったこれ”と叫び思わず”やったー”と一同握手をした。皆が予想していた標石と保護石のセットと違い、現代的なコンクリートで保護石を固めたものであった。現在の舗装道にルートが変わった時に保護石を強固にしたのだろうか。その後近くには古木の桑の木も見つかった。(桑の葉の欠刻数がないものでした。) 改めて周囲を見渡すと点の記そっくりの風景に見えるのが不思議であった。三人に至福の充実感を与えてくれた明治から百年を経た「二等水準点」(*3)、「徳一二号」に感謝である。


*1 この地域は2006年3月20日の市町村合併により今市市、栗山村などは日光市となりました。 
*2 近衛師管陸地測量部・明治31年12月25日発行の輯製版地形図です。
    「日光」近衛師管下野國上都賀郡第十八行第二十二段 二十万分一之尺
    (明治20年輯製製版を明治31年に修正再脩)
    ・ 大日本帝国陸地測量部・大正10製版(カラー)「日光」栃木福島新潟縣にも徳号水準路線の記載がある。
    本図は埼玉県の飯島氏より提供いただいたものです。 2007.10.09
*3 「二等水準點」の等の文字は本ページでは、等(たけかんむり)と記しているが、
    現物は草冠(くさかんむり)の等である。徳12号標石の号の刻字が點、号どちらかは確認出来ず。
*4 明治の二等水準点標石で確認したものは、標石クラブ調べよると今回の徳号水準点路線の標石4基と、
    つくば市の国土地理院・地図と測量の科学館の屋外展示標石福24号1基が見られます。07.10.09 現在


【関連ページ】
   * 上西氏の運営するホームページ「三角点探訪」にて、徳号水準路線の存在を知る。 こちら>>です。
      徳号水準路線、引馬峠水準点の原点はここにありました。

   * 「徳号」水準点のトップページは、 こちら>>    栃木の山283+ こちら>>です。