「徳 号」二等水準路線 (会津・下野を結ぶ)   .
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県境尾根(引馬山・腕蔵三角点)から水準點路線 平五郎山の尾根を見る        「徳二四号」の標石        .   

二等水準點「徳二四号」標石 を引馬峠(ひきばとうげ)で発見   .


 【かつて日本最高所水準点標石と言われていた 「二等水準點 徳二四号」標石を引馬峠で発見した。】
   今回(2007.08.11)私達は、引馬峠で「二等水準點 徳二四号」標石を発見した。 この水準点は明治41年(1908)に陸軍参謀本部陸地測量部が設置した。 発見標石は埋石から今年で丁度100年目にあたる。

 日本最高所水準点と言われる二等水準点( 注 * 1 )標石が栃木福島県境の引馬峠にあった。 その標高は1,895.6メートルの高所に位置し、水準点の点名は「二等水準點 徳24号」である。 現在の日本最高所水準点は野麦峠(岐阜長野県境)「一等水準点 971号」である。 野麦峠水準点の標高は1,672.4739メートルであるから、223メートルも引馬峠「二等水準点徳24号」が高所であった。
しかし、引馬峠「二等水準點 徳24号」は、管理している国土地理院では亡失(見つけられないなど)により約30年前に廃点扱いとされていた。(地形図より消える)

 上西勝也氏(標石・地図測量史研究家、標石グループ同人( 注 *3 )によると「測量・地図百年史・p98」には、『二等水準測量は三角点の標高を求めるため、明治39年までは標石は埋定せず、かわりに標杭や神社の石垣等を使用した。 ・明治40〜昭和15年までに設置された二等水準点は284点であった。 引馬峠にある水準点が見つかれば284点の内ですから極めて希少価値なものです。 当時の一等水準点は球分体のある標石ですが、二等水準点ならば球分体のないGSI展示と同じものか疑問です。手元に大正4年の改正測量標条例の図がないのでわかりません。 飯島さんお手持ちの表にはそれぞれの水準点標石に球分のありなしは明記されていますか。 それから、どなたか戦前に設置された二等水準点標石(球分体のありなしにかかわらず)をご覧になった方はおられるでしょうか。』 とありました。

 標石発見後、引馬峠を含む地域(台倉高山、帝釈山、田代山など)は、2007.8.30成立の尾瀬国立公園成立に伴いその区域内になった。 水準点標石のある引馬峠は、かつて下野國川俣(栃木県日光市川俣)から岩代國檜枝岐(福島県南会津郡桧枝岐村)との峠越えの道があった。 茅葺屋根職人や木工品を背負った交易の人達の歩かれた歴史の道だった。 今回の引馬峠「二等水準点 徳24号」標石発見が地図測量史研究や地域振興に役立つ事を願うものです。

 引馬峠徳24号水準點探索のきっかけは、京都市在住 上西様のWeb「三角点探訪」であり、上西様はじめ標石グループの皆様から多くの情報をいただきました。 発見には山仲間から現地の情報を頂き、第二回探索に千葉県の鵜沢氏の同行を得て発見することが出来ました。 引馬峠へは幾通りの古道筋がありその確認には、@宇都宮氏やToshi氏が詳しく調査をされて情報提供を頂きました。


( 注 *1 )
 水準点とは、三角点が水平位置(緯度経度)の基準であるのに対して、水準点は鉛直位置・高度(標高)の基準である。 三角点の標高を定めるため、二等水準点として設置されたもので引馬峠水準点もその基準点である。 明治三十九年(1906)までは水準点標石を埋設せず標杭(木杭)や神社の石垣が利用された。 徳号二等水準点は、水準點標石設置が始められた頃の貴重な標石である。 この二等水準点は上面に半球分の無い平らなもので数少ない貴重な標石でもある。 ( 注 )この時点で確認出来る「二等水準點」標石はなく今回発見の徳24号が初見であった。
( 注 *2 )
 「三角及水準測量成果摘要 第11巻 陸地測量部 大正6 」 「本頁ニ記載セルモノハ二等水準點ニシテ球分ナシ眞高ハ標石上面の高サヲ示ス」  p202 とあります。

( 注 *3 ) 標石や地図測量史を調査研究グループで、山部薮人も「標石グループ」に参加しています。


【引馬峠で発見した『二等水準点 徳二四号』標石と『徳 号』水準路線のその周辺】
   測量当時の陸地測量部発行『三角及水準測量摘要成果表』によると「二等水準点 徳24号」などの水準測量理由は、「三等三角点 『腕蔵』」(通称 引馬山)など路線付近の三角点の標高確定とあり、当時の深山の道を二等水準路線として測量し周辺の三角点に標高を与たえた。 「徳号」二等水準路線は今市町瀬尾(1等水準点 交4102号)−上栗山−川俣−平五郎山−引馬峠−檜枝岐−白沢村−南郷村(1等水準点 6707号)の線路である。

 栃木福島県境は標高2000m前後の山々が連らなる尾根となっている。 尾根は南会津檜枝岐周辺地域を周囲から隔離し辺境の地としていた。 当時、引馬峠越えの道は南会津檜枝岐から下野(栃木)への最短に結ぶ重要な道であった。 その道の現在は篤志家のみ入山可能な所で当時の道形(踏跡)は薮に消え原生林に戻っている。



 徳号水準路線の標石設置の所在地

栃木県今市市の1等水準点(交4102号)から福島県南会津郡南郷村(1等水準点6707号)に至る路線
                                                 赤字は発見・確認済
標石番号 (標 高) 「地形図」 設 置 場 所 状 態
徳 1 号( 396.570m)「日 光」 栃木県今市町瀬尾 瀬尾交差点北方      亡失
徳 8 號(1037.084m)「川 治」 栃木県今市町瀬尾大笹原 大笹牧場内 (2007.09.02現地確認)
徳12号( 763.407m)「川 治」 栃木県栗山村上栗山  旧道際 (2007.10.09現地確認)
徳17號(1084.684m)「川 治」 栃木県栗山村川俣    瀬戸合権現付近 (2007.09.02現地確認)
徳18号( 955.247m)「川 治」 栃木県栗山村川俣    川俣大橋付近 亡失  * 探索中 (2010.8)
徳20号(1166.039m)「燧ヶ岳」 栃木県栗山村川俣    楡の木沢林道際 亡失  * 探索中 (2010.8)
徳24号(1895.460m)「燧ヶ岳」 福島県檜枝岐村黒岩山 引馬峠 (2007.08.11現地確認)
徳32号( 939.323m)「檜枝岐」 福島県檜枝岐村      役場前県道 亡失  * 探索中 (2010.8)
徳37号( 725.891m)「檜枝岐」 福島県大川村大桃    巽沢橋際 亡失
徳42号( 588.736m)「糸 沢」 福島県南会津郡伊南村白沢 倭橋 亡失  * 探索中 (2010.8)

 * 多くの地点は測量時に標石を設置していないで、標杭(木杭など)を設置しながら測量をしました。
   ポイントには標石を埋標した。 国土地理院には当時の「点の記」が残されており、上図は抜粋作成した。
 * 設置場所は、当時の旧町村名で記載しています。   * 「  」は1/5万分1地形図の図名です。
 * 『徳18号』『徳20』『徳32』『徳42』は、新情報を得て 2010.8.21 から再探索中である。 詳しくは、こちら>>

   (2007.8.11 / 07.9.02 / 07.9.17 / 07.10.09 / 09.6.27 / 09.7.05 / 10.8.21 / 2011.9.24-25 調査)

発見された「徳 号」二等水準点標石の詳細は、
「徳二四号」 こちら>> 「徳一七號」 こちら>> 「徳一二号」 こちら>> 「徳八號」 こちら>>

探索記、「徳一八號」「徳二十号」 こちら>>

「徳一七號」 瀬戸合権現 前   「徳八號」 大笹原 大笹牧場地内


                       二等水準点について

・明治期の陸地測量部設置の二等水準点は、「測量官の冠字に一連番号で表す」とある。
同じ測量官が担当すれば他所で同一の番号の水準点が存在するということのようです。
水準点番号の欠番ですが、たとえば「徳2〜7」ですが、これらの水準点は全く存在しないということではなく、水準点が標石ではなく標杭(おそらく木杭)であるようです。 (標石グループ 上西氏談)

・明治の三等三角点設置時の三角網図には二等水準路線が記載されているのを見たことがあります。設置目的から、以外と幹線からはずれた村々や峠を通過しているようです。標石が設置された路線はほとんど無く、だいたいが木杭の水準点のようです。かなり以前ですが埼玉県内の陸地測量部の二等水準点の点の記を閲覧したことがありました。それによると、路線のすべてが標石ではなく「木杭」と記載されていました。ちなみに埼玉県内を通過する陸測の二等水準路線で標石の設置されたものはひとつもありません。 (標石グループ 飯島氏談)

・水準測量(水準点)は、三角点の標高を特定するために木杭や標石を設置しその基準点(水準点)から周囲の三角点の標高を得るのであるが、特筆すべきは徳号水準測量路線には三角点標石そのものを路線に組み入れ直に標高を測量していった三角点がある。 三等三角点『平五郎山』は、水準路線が三角点を通過しているもので水準点を兼ねている珍しい三角点でもある。
・全国的に見ても明治の二等水準線路で標石が確認されているものは少ないようです。 現在さらに調査を進めいますが、『徳号』標石以外では、つくば市国土地理院・地図と測量の科学館に展示中の二等水準点標石
『福24号』(当時の設置場所・群馬県利根郡川場村川場)がある。 また、『福11』『福20』『念3』の3点を2010年度に探索し現地確認した。

・徳号水準点標石探索は、標石グループの山岡氏、上西氏、飯島氏、遠山氏の情報・資料を元に探索したものです。 特に、徳号水準路線記載の「下野國、岩代國、所在三角及水準點圖」及び徳24号の「点の記」など貴重な資料を上西氏、飯島氏からのご提供いただきました。 (標石グループ 山部)

・その後、日本最高所水準点は、国地院により群馬長野県境の「渋峠」に埋石された。 詳細は、こちら>>
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【報道・書籍関係】
  ・ 8/17 読売新聞 栃木版、 8/21 読売新聞 福島版、9/14 下野新聞、
                       「岳人」、「山と渓谷」 10月号、「山の本」 秋号 こちら>>


  ・ トップページにもどる こちら 最新の日本最高所水準点、「 渋峠 」は、こちら>>  最終編集日  2010.9.7