庚申山 南総里見八犬伝 | |
![]() 歌川芳虎(一猛斎芳虎)画 庚申山の場 服部仁氏蔵 |
【庚申山と八犬伝】 「八犬伝」読本は当時の発行部数は年間500部程度であるが、多くの人々は貸本として読まれたようだ。当時は庚申講の隆盛時期でもあり、人気の庚申山信仰・講を「八犬伝」の題材い組み込んだのでろうか。また八犬士の持つ八っの珠玉や怪猫などの妖怪は、庚申山の神霊な雰囲気はこの山域にマッチしていたのであろうか。曲亭馬琴自身は庚申山を歩いたのであろうか。曲亭馬琴は最初から壮大で超長なストーリーを考えていたという。江戸文化と庚申山の当時を探る手掛りに「南総里見八犬伝」を探訪した。 長大な読本の内容は、南総里見家の勃興と伏姫・八房の因縁を説く発端部(伏姫物語)、関八州各地に生まれた八犬士たちの流転と集結の物語(犬士列伝)、里見家に仕えた八犬士が関東管領・滸我(古河)公方連合軍との戦い大団円へ向かう部分に大きく分けられる。 関東公方足利持氏は、謀反を起こし京都将軍家に滅ぼされる。その遺児をいただいて将軍家と対立した結城氏朝もまた落城する。里見義実は、父とともに結城方に参戦していた武士であったが、里見氏を再興するため、忠臣と共に三浦の浜まで落ちのび、龍が現れて安房国へと飛び去ったのを見て吉兆とし、舟で安房国へと向った。安房南半分の領主安西景連らに助力を頼むが、用心した景連に難題を出されて追われる。【安西館の場】 安房の国の北半分は神余光弘の所領であったが、悪妾玉梓(たまづさ)は、光弘の家臣山下定包と密通し、共に謀って光弘を殺し、その地位を得ていた。金碗八郎は弘光の忠臣であったが、上陸した里見義実に定包を討伐するよう請う。 −− <略> −− 【庚申山の場】は『八犬伝』第六輯第六十回から第七輯第六十六回にかけて登場する。 【南総里見八犬伝・庚申山の場のあらすじ】 犬飼現八は下野国の茶屋で休んでいる時、庚申山に怪猫がいて人を襲うと聞く。さらに武芸に秀でた赤岩一角が怪猫を退治に庚申山に出かけて無事であったが、帰って来たら人が変わってしまい、子の角太郎を虐待するようになり、子は親戚に引取られたという。 現八は庚申山で怪猫に遭って矢をその片目に射る。 さらに赤岩一角の亡霊が現われ、今赤岩一角の姿で里にいるのは、怪猫が化けているのだと告げる。自分の髑髏を差し出し、故事にならい、親子であれば子の血がしみ込むはずだから、偽一角を信じている角太郎に渡して自分が死んでいることを伝えてほしいという。 現八の矢により片目を患った偽一角は、それを治すために胎児の生胆を求める。角太郎は赤岩家を出されて返壁の草庵で無言の行を繰り返しながら暮らしていたが、偽一角は夫婦となっていた悪女船虫と共に、角太郎の妻雛衣の腹が大きい事に目をつけ、親への孝行だと、礼を重んじる角太郎を責めて雛衣の命をとろうとする。責められた雛衣が自ら腹を刀で差すと、以前に誤って飲み込んだ「礼」の玉が飛び出して偽一角を打ち倒す。角太郎は自分の血を髑髏にたらし、それが父の遺骨であることを知る。偽一角の正体を知って角太郎は、現八の助けを得ながら怪猫を退治し、仇討ちをすることができた。まもなく角太郎は犬村大角礼儀(いぬむらだいかくまさのり)と名をあらためる。 * 2 ![]() 奇岩・怪岩の庚申山 (ガスの中に大怪猫のような岩) 【錦絵、八犬伝「庚申山の場」解説】 この錦絵は歌川芳虎(一猛斎芳虎)画 庚申山の場、赤岩一角に化けた怪猫と犬飼現八 大判錦絵3枚続 嘉永2-3年 板元・小嶋屋重兵衛(○小嶋板)である。 赤岩一角は、犬村大角の父親であるが、庚申山において怪猫に食い殺され、怪猫は一角に化けた。現八が半弓を脇に挟んだまま木精(すだま 老木の精)が化けた馬を踏みしめて、偽赤岩一角の怪猫を睨んでいるところ。原本の読本では、怪猫の目に矢が射られているはずであるし、現八はこの場面では怪猫の前に姿を現さない、というように、原本の読本の筋からは少々ずれているが、猯(まみ いのしし)や狢(てん)の化け物たちの驚いた表情が面白く、見ていてワクワクさせる絵である。ただし、解説鈴木重三氏は、「図様の構成は、模倣の多い芳虎だけに、妖猫は馬琴の読本『青砥藤綱模稜案』の北斎の口絵、木魂の馬は国芳の川中島合戦の錦絵から借用、他にも類例が考えられ、全体に散漫感のあるのはその故らしい」(『図説日本の古典19 曲亭馬琴』174頁)(H) * 1 ![]() 奇岩・怪岩の庚申山 (めがね岩) 【八犬伝と浮世絵】 武者絵・物語絵としての「八犬伝」の浮世絵 の解説 <前略> (庚申山の場) 『八犬伝』第六輯第六十回から第七輯第六十六回にかけて登場する偽赤岩一角の化け大怪山猫である。第六十回、文明12年(1480)9月7日夜更け、下野の州庚申山の奥の院胎内賽において、犬飼現八は妖怪主従に行き会い、半弓にて騎馬なる妖怪の左目を射抜いた。この場面の半弓は、楊弓でなくて、暗殺に用いる戦闘用の弓である。その場面の英泉の挿絵(『八犬伝』第六輯巻之五下冊六ウ−七オ)は細かすぎてよく判別できない。 これに対して、庚申山の場 赤岩一角に化けた怪猫と犬飼現八 歌川(一猛斎)芳虎画、嘉永頃 小嶋屋重兵衛板、大判錦絵3枚続 がある。この絵は、『図説日本の古典19 曲亭馬琴』(集英社 1980年)174〜175頁にカラー図版で掲載されており、 <略> なお、「八犬伝」に限ったことではないが、こういった物語絵を描くときに、何らかの形で企画者(プロジューサー)とか、知的相談相手(ブレーン)が存在していたという事を私は、想定している。つまりそれは板元の場合もあろうし、板元の懇意の人物かもしれないし、懇意の戯作者といった場合もあろうし、戯作好きの弟子ということもあろう。絵師が何か戯作の絵(物語絵)を描く際に、「じゃあ、この場面がいいんじゃないか」と示唆してくれる助言者の存在である。 * 3 【出典】 * 1 「八犬伝の世界」 編集 千葉市美術館 発行 愛媛県美術館/千葉市美術館/美術館連絡協議会 より抜粋( 103頁 no.116 ) * 2 「南総里見八犬伝」あらすじ 田辺昌子氏(千葉市美術館) より抜粋( 4頁 ) * 3 「八犬伝の世界」 同朋大学教授 服部仁氏 『八犬伝』と浮世絵と より抜粋( 7頁、8頁 ) * 2008.9.13〜10.26千葉市美術館にて「八犬伝の世界」 * * 庚申山信仰が盛んだった頃の江戸の文化を曲亭馬琴や江戸講中者名を探る <資料リンク> 「曲亭馬琴日記に庚申山の場あり」・浮世絵文献資料館は、こちら>> <資料リンク> 「博物館・美術館の情報」・東京/博物館美術館情報は、こちら>> |
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丁石「百三丁目」へのページは、こちら>> |
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栃木の山283+」は、こちら>> 2008.09.15 山部薮人 |