庚申山 丁石 コレクション W
   
   
 
 
【百二丁目】
丁石碑「百二丁目」は折損し上部部分は遺失している。 百一丁目と百三丁目の間なので百二丁目で間違いないと思われる。 次回は上部の探索を計画している。

調査年月日 2008.06.22 / 2008.08.16
所在地 日光市足尾町 一ノ鳥居〜猿田彦神社跡間
緯経度 計測出来ず(樹木のため)
設置者 江戸講中寄進者

標石の形状 加工石
設置年月 文久三亥年四月 (1863年)
刻字
正面 ・ ・ ・ ・ ・目
右面 ・ ・ ・ ・ ・吉
左面 ・ ・ ・ ・八日
裏面 仕上げなし 刻字なし。
形状 四角柱、上部折損・不明
寸法 550(GL)-160-145

写真は、「目」の上面にも苔が付いているので、少なくても数年経過しているようだ。 上部の欠損部を探さなければと考えている。 



【百三丁目】
「百三丁目」の丁石は、参道(古道)の道筋が大岩を迂回して所にある。 半ばまで落ち葉に埋もれ三の刻字の所で折れている。 大岩に寄りかかって置かれている、今回はそっとそのまま写真を撮影した。

丁石右面に寄進者名「神田豊嶋 ○ 鬼熊」が刻字されている(○は¬に十の刻字です。)。 南総里見八犬伝の庚申山の場の錦絵に「○ 小嶋板」がある、小島板とは小嶋重兵衛で錦絵の彫師で○(かぎにじゅう)の彫師の一派ではないのだろうか。 八犬伝の錦絵を確認中であるが鬼熊の名は現在のところ見つけられない、他の浮世絵を探す必要があるように考えている。 丁石寄進者は浮世絵の版元、彫元にも広がっていたようだ。 南総里見八犬伝・錦絵のことは、こちら>>

調査年月日 2008.06.22 / 08.08.16 / 08.09.14
所在地 日光市足尾町 一ノ鳥居〜猿田彦神社跡間
緯経度 E36 39 52.1   N139 22 21.5
設置者 江戸講中寄進者

寸法   570-180-160
標石の形状 加工石
設置年月 文久三亥年四月 (1863年)

刻字
正面 百三丁目
右面 神田豊嶋 ○ 鬼熊  (○は¬に十の刻字)
左面 文久三亥年四月
裏面 仕上げなし 刻字なし

刻字面の状態 刻字面は彫り下げられている
 



【百四丁目】
笹に埋まり隠れていた「百四丁目」、全体に苔が付いている。 白い苔で刻字が判読しずらい。 丁石の損傷はない、やや斜めである。

調査年月日 2008.06.22 / 2008.08.16
所在地 日光市足尾町 一ノ鳥居〜猿田彦神社跡間
緯経度 E36 39 52.5   N139 22 23.3
設置者 江戸講中寄進者

寸法   630-175-145
標石の形状 加工石
設置年月 文久三亥年四月 (1863年)

刻字
正面 百四丁目
右面 黒○町  深雲庵勘兵衛
左面 文久三亥年四月
裏面 荒仕上げ 刻字なし

刻字面の状態 刻字面は彫り下げられている
 


   
 
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栃木の山283+」は、こちら>>                                          2008.08.16 山部薮人