【丁石・一丁目】
「一丁目」丁石は庚申山登山口である日光市足尾町遠下、磐裂神社(いわさくじんじゃ)の敷地にある。 磐裂神社は明治期に鉄道敷設や銅山施設建設に伴い、足尾町中才から移転された。 古道(参道)は庚申山猿田彦神社(跡)までは中才からのスタートである。 「一丁目」丁石は以降の他の丁石より大きく立派な石碑である。 寄進者の丹後屋安右ヱ門は「庚申山碑」書の松翁(行者)と同人である。
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調査年月日 2008.06.28 / 2008.08.08
所在地 日光市足尾町遠下 磐裂神社社殿の左側
緯経度 N36 37 50.9 E139 25 50.4
設置年月日 文久三亥年四月八日 (1863.4.8)
刻字概要 正面に (紋)、一丁目 下部に寄進者名
正面 (紋) 一丁目 丹後屋安右ヱ門 同 房吉
同 長次郎 同 重兵二
右面 神田須田町 同 卯之助 同 吉
左面 文久三亥年四月八日
裏面 刻字なし。
形状 正面、両側面共に掘込に刻字であり、裏面は粗仕上
形状 四角柱、上部四角錐形
寸法 1400(GL)-330-170
一丁目の丁石つづき・丁石(一・・・六十九丁目)コレクションUは、こちら>> |
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* この碑の設置された文久三亥年 (1863)は江戸時代末期であり、この五年後には年号が明治戌辰元年 (1868)になる。 時代が明治へ変わるこの時期にも庚申山信仰・講は盛んだった。 設置者の丹後屋安右ヱ門の人物像は現在調査中です。
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【庚申山碑】
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「庚申山碑」は、慶応元年五月(1865)に江戸講中二十三人と地元足尾宿の頭取福田真右衛門の寄進により起点の磐裂神社・庚申山参道口設置された。 書は松翁、石工は日光町の八十平作と記されている。 その後、明治20年に銅山小滝坑が開坑され小滝路の開通により、参道(旧道)は利用されなくなりました。
後にこの「庚申山」碑は、昭和25年に庚申山地区が日光国立公園編入時に幹切橋畔小滝入口に移設された。 平成9年に碑周辺の道路改修により現在の庚申アンダー近くの銀山平入口に移動された。
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調査年月日 2008.06.28
所在地 日光市足尾町切幹 銀山平入口(切幹アンダーから
小滝方面に約100メートル右上)
緯経度 N36 37 22.5 E139 25 33.1
設置者 江戸講中三十三人 足尾宿 宿頭 福田真右衛門
書 松翁 石工 日光町 八十平
設置年月 慶應元乙丑年五月(1865)
寸法 約4100-1700-700
刻字
正面 庚申山 開立江戸講中 ほか刻字あり
(正面下部) 寄進者の名多数刻字あり
右面/左面 刻字なし。
裏面 慶應元乙丑年五月 ほか多数刻字あり
標石の形状 自然石 |
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