【一丁目】
起点「一丁目」丁石の寄進者は丹後屋安右ヱ門である。 終点「百十四丁目」丁石までの寄進者には江戸の有力商人や歌舞伎役者などの名が刻字されているという。 主な寄進者は舞踊家・花柳流創始者花柳壽輔、役者の市川団十郎、尾上菊五郎など。(花柳壽輔は確認済) |
調査年月日 2008.06.28
所在地 日光市足尾町遠下 磐裂神社
緯経度 N36 37 50.9 E139 25 50.4
設置者 江戸講中寄進者
刻字は正面に大きく(紋)一丁目とあり、下に寄進者の連名ある。
正面「一丁目 丹後屋安右ヱ門 同 房吉 同 長次郎 同 重兵二」
右面「神田須田町 同 卯之助 同 万吉」
左面「文久三亥年四月八日」
裏面には刻字なし。
形状 正面、両側面共に掘り込まれ刻字、裏面は粗仕上
四角柱、上部四角錐形
寸法 1400(GL)-330-170
写真は、一丁目の下の寄進者名、丹後屋安右ヱ門 、 同 房吉、 同 長次郎、 同 重兵二の刻字がある。(房吉以下の名は家族であろうか)
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【八丁目】
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「八丁目」の丁石は磐裂神社裏の尾根に上る九十九道の中間地点にある。 丁石の上には木に寄りかかった大岩がある。 近くに「十丁目」丁石もある。 この二つの丁石によりこの道形が当時の参道(古道)だと確認出来た。 尾根までこの道が続いていた、尾根は明るい薮の無い稜線で尾根筋をゆっくりと登っていくのが参道のようだ。 この先の探索まだまだ続く。
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調査年月日 2008.06.28
所在地 日光市足尾町遠下 磐裂神社裏の尾根との中間地点
緯経度 E36 37 45.0 N139 25 35.7
設置者 江戸講中寄進者
寸法 620-180-150
標石の形状 加工石
設置年月 文久三亥年四月 (1863年)
刻字
正面 八丁目
右面 濱崎道新石町 池田屋長蔵
左面 文久三亥年四月
裏面 荒仕上げ 刻字なし
刻字面の状態 刻字面は彫り下げられている |
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