![]() 益子町の道路元標 |
益子町 | 例規上の位置 芳賀郡益子町地内 府県道真岡益子線と益子笠間との分岐点 (益子中央神社前) 現在の市町村名 益子町 |
調査日 現況など | 調査年月日 2006.12.31 |
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道路元標の文字が写真では上手く撮影できませんでした。 暮れの大晦日にふらりと益子町にやって来た、例規上の位置には(益子中央神社前)とある。 さてと調べたが近代的な名の中央神社は無い、車をゆっくりと進めていると新年の飾り付けが済んだ旧町は綺麗になっていた。 鹿島神社前でふと目をやるとありました。 中央神社とは鹿島神社のことだったのです。 神社の柵がやや邪魔のようですが、昔のままの旧町内ですからあって幸いです。 写真は場所がわかり易いように掲載しました。 益子は陶器の里であまりにも有名ですので、ここで縷々説明してもしかた有りませんので益子の町を見下ろす高舘山のことです。 高舘山は高舘城跡(西明寺城跡)で、康平年間に宇都宮氏の家臣紀正隆により築城された。 天正17年(1589)主家の宇都宮氏に背き、滅亡した。 近くには西明寺がある。 天平9年(737)行基開創と伝え、本尊の十一面観音は、聖武天皇の母、藤原宮子が熊野権現から十一面観音の絵像を預かり、それを木彫仏に模写させた。豊前西光寺に安置されていたが、夢のお告げて当院に遷させた。仁王門、鐘楼、本堂(国重)は茅葺き屋根である。 境内(県史跡)は鬱蒼とした森に包まれ、巨樹が多い。承元3年(1209)宇都宮景房が本堂を再建したとき植えたコウヤマキは樹高30mの大木で樹齢750年という。 入り口付近にクスノキの大樹や法華のツバキがある。西明寺の椎林叢はシイノキやアラカシなどの森である。 |
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