壬生町の道路元標

壬生町 例規上の位置
下都賀郡壬生町大字壬生地内
府県道宇都宮前橋線と壬生小山線との分岐点

現在の市町村名  壬生町
調査日 現況など 調査年月日  2006.12.24



壬生町の道路元標は例規上の位置にありました。 道路拡張にも少し車道側に出ていますが、当時のまま事故にも遭わず鎮座していました。

壬生城の現在は、本丸跡を残す壬生城は、壬生氏二代目の綱重の築城(文明年間)といわれています。壬生氏五代目の義雄は小田原の北条氏に従い、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐により、壬生氏も滅亡しました。 江戸時代に入り、城主もめまぐるしく変わりましたが、正徳2年(1712)鳥居忠英が入城後、代々鳥居家が城主をつとめました。

この他、城址公園内には壬生藩領を示した傍示杭があります。(写真下)
壬生領傍示杭(石標)は、壬生藩の各街道口に設置した石柱で次のように記載されています。
正面「従是南 壬生藩」 側面「下野國 都賀郡 家中村」

このほか上稲葉村、七ツ石村、羽生田村(以上壬生町)、磯村、楡木宿、亀和田村(以上鹿沼市)、大塚村(栃木市)にも傍示杭が有ったそうです。 壬生藩領は現在の壬生町より大きかったようです。

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