寒川村の昭和40年頃の地図

寒川村

現在の市町村名  小山市
例規上の位置
大字中里地内役場前
府県道栃木古河線
調査日 現況など 調査年月日  2007.01.21



寒川村の元役場は寒川地区ではなく少し北の集落の中里地内にあった。 元役場の前に道路元標があると例規集に記載されている。 中里地内に入ってからまず役場探しだ、寒川公民館、土地改良区事務所、神社、小学校を見て周り、集落北部のJA(農協=写真上)の所にやって来た。 ここが旧寒川役場があった所であるという。 手前の黒い木造の建物は集落のものです。 その先の交差点には石仏が二体ある。 ここも次の探査を考えなくてはならないなー。


【寒川と言えば、寒川尼】
小山朝光の母寒川尼(小山政光の妻)は、かつて源頼朝の乳母を務めた。 文治3年(1187)、小山氏が頼朝に味方して野木宮合戦で勝利したとき、寒川尼はその功績により寒川郡や網戸郷の地頭職に任ぜられる。
古代、和名抄の寒川郡は真木郷・努宜郷・池辺郷からなっていた。 いまの間々田・野木・赤麻にあたる。寒川尼の本名は不明。宇都宮氏や小田氏の祖、八田宗綱の娘で京都で生まれたと思われる。 やがて小山政光と結婚、頼朝の乳母の一人となったのだろう。

政光の死後、尼となって寒川尼(網戸尼とも)と称した。 『吾妻鏡』によると安貞2年(1228)に91歳で死去とある。
 墓は網戸十郎朝村の開基と伝えられる称念寺境内にひっそりと建つ。 朝村は朝光の子で網戸に住み網戸十郎と名乗った。 寒川尼の孫になるわけだ。 そばにはその朝村の墓もある。  (こころのふるさとOYAMAより)

 


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