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晃石山「全国原三角點」標石探索
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関八州大三角測量の内務省地理局標石を探そう
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現在の標石 「晃石山」 埋石M35.12.27 按田宗則 (測量官) (09.12.19 撮影)
更新日 2012.3.16
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【晃石山 全国原三角測點(内務省)標石を探そう】
* 明治維新が成就すると明治政府は我が国の正確な地図作りを開始した。 内務省地理寮により明治八年「関八州大三角測量」を開始した。 明治十年内務省地理寮が改称され地理局が発足する。 明治十一年地理局は「那須基線」を栃木県那須塩原市
- 大田原市間に設置し「関八州大三角測量」の基線とした。 同年、「関八州大三角測量」から全国規模に拡大し名称も「大三角測量」に改称した。
陸軍参謀本部に明治十一年地図課、測量課を設置する。 明治十四年陸軍の最初の三角測量を東京湾で実施する。 明治十五年参謀本部測量部が「相模野基線」(神奈川県)測量、一等三角点100ヶ所選定する。 明治十六年参謀本部一等三角測量及び一等水準測量開始、「三方原基線」(静岡県)測量をする。 明治十七年内務省地理局の大三角測量を参謀本部測量局に統合する。 明治二十一年参謀本部陸地測量部発足、測量局廃止する。
「関八州大三角測量」及び「大三角測量」は明治十一年から十五年の5年間に45点が竣工した。 晃石山標石は「明治十三年 内務省地理局」「全国原三角點」「東経三十九度四十五分五十三秒北緯三十六度ニ十一分三十五秒」と刻字
載頭方錐形標石が設置された。 歴代点の記では埋石を明治十三年と明治十四年十二月の二つの記載があるが不明である) その後参謀本部陸地測量部により明治三十五年十二月ニ十七日陸地測量手按田宗則により盤石二枚の改埋、定方形標石(現在)の改埋の際に標石紛失したその報告が陸地測量手伊藤祐守により陸地測量部にされている。
* 晃石山標石は内務省地理局による我が国の本格的地図測量開始時の証しである晃石山「原三角測點」標石は現在いずこにあるのだろうか。「点の記」によれば「西ノ谷底に転げ落ちていった」「麓の駐在に託した」との記載がありその情報に従って探索中です。 標石・「載頭方錐形」「全国原三角點」「緯度経度の記載」刻字のものは特に測量史上の意義は大きい。 晃石山標石には 標石探索に協力いただける方は山部までご一報ください。
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晃石山「全国原三角點」標石探索履歴 |
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《第20回調査報告》 (12.02.09 山部薮人)
2011年は、東日本震災発生によりボランティア活動やつくば100キロウォーク大会開催のため晃石山「全国原三角點」の探索は休止していた。
本年2.9に県文書館へ出向いた。 明治に開始された鬼怒川改修工事の情報収集のためである。 その際文書館より栃木県の地形図「栃木縣全図・両毛文庫栃木通鑑附録・明治三十七年発行・二十萬分一之尺」、をいただいた。 当時の栃木町
舟橋一也著「栃木縣誌」(明治37年刊)の付録として発行されたものである。 同図の縮尺は20万分1尺、標高も尺で表示してある。
その図で現在の三角点(陸地測量部)の記載はない、それ以前の内務省地理局の「三角測點」(「全国原三角點」と同じ)の記載がある。 晃石山、白山、茶臼岳(那須岳)、男体山、鶏頂山(高原山・釈迦岳)、八溝山(常陸国)に三角測點の△マークの記載がある。 しかし、八幡山、羽黒山(宇都宮市)及び那須基線には三角測點の△マークの記載はない。 当時の地形図に内務省地理局「三角測點」(「全国原三角點」と同じ)が印刷されたものは初見である。 「記號」欄にも、三角測點・△(中に
・)と記載されている。
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《第19回調査報告》 (10.12.19 山部薮人、なな)
ななの気晴らしに、清水寺−桜峠−馬不入山−桜峠−晃石山・神社−「西ノ谷底」−清水寺 を歩く。
いよいよ西ノ谷底探索、谷のマムシも連日の霜で冬眠に入ったと思われオンシーズンになる。 谷の周囲の木々は葉を落とし谷筋も明るくなった。 今日の確認では清水寺−晃石山ルート上の入口案内の赤布確認、今期は前期の少し下部を探索予定です。
* ななも高齢(11歳)になったでも本人(犬)は気は若い。 自宅では毎日散歩しているが、最近は若い頃からしたら息が切れるのが早いような感じだ。 山に連れて行けるのもあと僅かなのか、歩けるうちは連れて行って上げたい。
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《第18回調査報告》 (10.11.27 山部薮人、なな)
今年の夏場は、西ノ谷の探索はせずでした。西ノ谷に『マムシが居るので注意した方が良い』と言われ気持ちの中でどこか心配しているのだ。 晃石山には夏に「なな」の散歩に来た以来である。 大平山から歩いたのだが、紅葉祭りとかで混雑していました。六角堂の所から渋滞で直ぐに戻って、旧肉のエンゼルの道を通って広い県営駐車場へ空いていました。そこから神社へ歩き社殿の裏から尾根を歩いて晃石山まで歩きました。
晃石山標石の所から遠望したかったですが、ガスが薄く懸かりスカイツリーは見えませんでした。標石調査はこの日はお預けでした。「なな」はご機嫌でした、こちらの話は良く聞き指示には忠実です。最近少しハード(スピードで)に歩くと疲れるようです。この日は「なな」の日ですから「なな」のペースに合わせて歩きました。
標石調査ですが、いよいよオンシーズンになりました。これからは一ヶ所づつ確実に潰していく地味な調査になります。調査場所が絞れたと言えば聞こえは良いが、標石を里へ下ろしたかがはっきりしない現状から今出来ることは「西ノ谷底」調査を丹念行なうことです。
* 第17回と第18回の間に2回拓本のために晃石山往復をしました。「なな」も一回同行しました。 |
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《第17回調査報告》 (10.03.6 山部薮人)
2月は、ふれあいネット収録(地元小山テレビ)があり、「標石の話」をしました。その準備に晃石山標石の拓本を準備などで晃石山を何度か訪問しました。 西ノ谷底の探索はせず。
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《第16回調査報告》 (10.01.23 山部薮人、なな)
山頂で国地院標石確認後、西ノ谷底(沢名:小荷田一号沢・梅ノ木沢)調査。 山頂から沢を下りながら探索、不要雑木を刈り払いし沢内を明るくする。 前回までの探索範囲を20m下部まで広げた。 巻道のマークも残りそれをたどり清水寺からの道に出る。 車に16:30戻る・やや暗くなった。 |
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谷下方は薮が残る |

谷上方を見る、次回は表土を退ける |
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《第15回調査報告》 (10.01.10 山部薮人、なな)
西ノ谷の調査資料作製の為、西山田「かかしの里スライダー施設」付近にて写真撮影をする。
この場所より西ノ谷(布津楽寅雄氏によると梅ノ木沢と言う)の全体を撮影出来る所はない。
西山田の麓のブドウ棚の手入れをしていた小林氏にお聞きしたが、測量、標石の情報はなかった。
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《第14回調査報告》 (10.01.05 山部薮人)
2010.01.03に布津楽寅雄氏にお聞きした事につてい調べてみる。
また、大平町立図書館にて、『とらおの富山史二項 通史ふるさとの神社仏閣』誌ほかを借出する。
同誌P218に書あり、「山田村の神社・晃石神社」の項、『晃石山は下都賀郡随一の高山にして、海抜千八百尺余(四百十九、七米)にして、その脈は、遠く男体山より来たりて西南に走り岩船山などの諸山に連亘する。山頂に日本全国三角測量標点石標を旧陸軍省が建設する。東経百三十九度四十五分五十三秒。北緯三十六度二十一分三十五秒と示している。』です。
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「とらおの富山史二項 通史ふるさとの神社仏閣」誌 |

緯度経度の記述あり |
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《第13回調査報告》 (10.01.03 山部薮人)
地元の郷土史家・布津楽寅雄氏(西山田)と面会、旧富山村の様子や人物など多方面についてお聞きした。その際に、『とらおの富山史二項
通史ふるさとの神社仏閣』布津楽寅雄書(H12.8.1) のご紹介をいただいた。その場にて、『とらおの富山史二項
通史ふるさとの神社仏閣』を見せていただき書中に『山頂に、、、緯度、、、、経度、、、』の標石あり記術があったのでこれが書かれていたという事は、晃石山頂の標石を布津楽寅雄氏が見られていたのかと思いましたまで氏にお聞きすると、後日調査しておくとの事であった。
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《第12回調査報告》 (10.01.01 山部薮人・なな)
晃石山に初詣、清水寺〜晃石神社・山頂まで、西の谷底へのA,B口を確認し約45分で山頂に到着する。本日、標石を確認すると「ICタグ」が埋め込まれていた。地図測量・標石の歴史資産に穴を開けてしまった。なんと言ったらいいのか、コメント出来ないくらいに取り返しのつかない事をしてしまったと感じている。
山頂で草加山の会の方と話をする。その後西ノ谷底のデータを取るために沢筋を下る。 |
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《第11回調査報告》 (09.12.30 山部薮人
川田家訪問、12/28の話の続きと年末の挨拶に伺う
《第10回調査報告》 (09.12.28 山部薮人)
明治期「点の記」の中に「作業間棲宿ノ方法」欄に記載のある『西山田ノ農家ニ依頼シ宿泊スル・・・・西山田七十一番地川田喜惣治方ヲ根宿トナセリ』を確認する。 ここに名前のある川田喜惣治氏や当時の事について川田守夫氏(現当主)に話をお聞きする。 |
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点の記「晃石山」 |
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《第9回調査報告》 (09.12.23 山部薮人)
晃石山麓の西山田にて、「点の記」記載の川田家訪問(小林さんに聞く)、 |
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《第8回調査報告》 (09.12.22 山部薮人)
つくば国地院へ歴代の晃石山「点の記」謄本及び地形図の調査に行く。点の記10枚、地形図8枚購入する。「点の記」にて「巡査に託す」と「西の谷底に」項を確認す。 |
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《第7回調査報告》 (09.12.20 山部薮人)
清水寺から山頂に上り、西ノ谷を下りながら探索する。 |
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《第6回調査報告》 (09.12.19 山部薮人)
清水寺 - 分岐(10分) - 西ノ谷B入口(10分) - 西ノ谷A入口( 5分) - 晃石神社( 5分) - 晃石山頂( 3分) ゆっくりと歩く。 《清水寺駐車場から山頂まで約35分から40分です。》
本日の作業 山頂で陸地の標石測定、山頂から周囲の三角点への方位角度計測及び写真撮影する。西山田の大平町歴史民族資料館にて、館長さん(文化財審議委員会副会長)と晃石山の標石の事についてお聞きした。
・西ノ谷には、マムシが生息しているので注意との事で、冬季が調査には最適だ。(気温4度)
・前大平町文化財審議委員会関会長が以前、皆川の駐在所や戸長屋敷に標石がないか調べたが発見できなかったとの事である。 戸長屋敷の倉を解体した時の土台石が積んである所を見せていただいた。 西ノ谷の調査をしている事を話をした。 調査協力をしていだけるとのことでありました。
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白石家戸長屋敷、資料館、背後が晃石山
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現在の一等三角点標石
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《第5回調査報告》 (09.12.18 山部薮人)
大平町役場、生涯学習課、図書館にて大平町史閲覧と内務省「原三角測点」標石調査協力を依頼した。博物館長をご紹介いただき、明日午後在館されているとのことであった。 |
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《第4回調査報告》 (09.11.29 山部薮人・なな)
西谷A堆積場の除草、雑木整理をした。(岩の堆積しているA地点が明るくなった) 岩の一部移動する。晃石神社の礎石や石垣の調査する。
* この日は大平山・謙信平駐車し晃石山頂へ山頂でTさんと会う。 晃石山頂下の巻道・縞岩から西の谷を下る。 作業後A堆積場から晃石神社社殿上り、大平山・謙信平へ戻る。
A地点の標高は、315mであった。
* 寒くなってきたのか蚊、昆虫類は見られない、谷には今年の落葉が流れた跡があった。 ごみも沢山見られた。(次回ビニル袋を持参) |
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《第3回調査報告》 (09.11.22 山部薮人・なな)
現在ある「晃石山」陸地測量部設置の一等三角點データと標石拓本採取する。 東の谷、北の斜面調査をする。
* この日は大平山・謙信平から山頂へ。 間の道までにマークを設置し次回現地へ直行可能とした。
この日の気温は低かった。 |
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《第2回調査報告》 (09.10.18 山部薮人)
今回は晃石山山頂から再びロープにて下降する。下部の巻道までは現在は薮と伐採木が散乱しているが急傾斜で岩などが留まることは無いと判断する。 巻道より西ノ谷を下る、巻道より約150m下部に斜度が急な崩落した崖になった所があり、その下部に岩の堆積している所あり。 今回この付近(A点)を調査探索する。 今後しばらくはA点付近を探索する予定である。
岩石溜の上の急崖は付近の地形を観察すると岩の崩落があったと思われる。 その時期であるが標石落下前か後かにより発見出来るか心配だ、下部の岩石溜に標石が有ったなら埋没してしまう事になる。
* 西の谷A堆積場から清水寺・山頂間の道までにマークを設置し次回現地へ直行可能とした。 所要時間清水寺から約50分 |
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《第1回調査報告》 (09.09.26 山部薮人)
晃石山山頂付近の地形は、三角形で北、東、西が谷になっている。 東の谷は檜植林地、北の谷は岩のある谷、西は雑木の谷である。 それぞれの谷は急で岩が山頂から落下すればかなりの距離落下する。 現地調査では約150〜200m下方に岩の堆積した所がある。 神社社殿の下部にも別筋の谷があるが頂上からの谷筋ではない。 いずれの谷も下方の清水寺へ集まる。 晃石山山頂からの谷は最深部の谷で作業道、踏跡はない。
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山頂直下の斜面 - 岩は止らない斜度
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巻道の下部の斜面 - 薄い草の斜面ここも止らない斜度
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山頂下の神社から馬不入山への巻道の露岩(縞曲の美しい岩)付近が本谷筋である。 その道下部150mに岩石溜がある、付近は水は無いさらに下がると水の流れを見る。 雑木や蔓植物、蚊がいた。
* 西の谷B堆積場所から清水寺から山頂への道にマークを設置し次回現地へ直行可能とした。 今回はロープにて確保しながら山頂から谷を降下し道へ出ました。 |
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体を確保して急な斜面を下降する。
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この草の下に岩溜がある。
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この形の内務省標石を探している

写真は内務省標石、群馬白髪岩の「原三角測点」である (09.10.24撮影)
同形の標石が、かつて『晃石山』に埋石されていた。(点の記に記載あり)
【 原三角測點「白髪岩」 】は、こちら>>
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