【概要】 |
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【山行日】 2005年 6月12日(日) |
【山 域】 宇都宮市、上河内町 |
【地 図】 国土地理院 氏家、下野大沢 地図(羽黒山)
1/2.5万図 宝積寺 地図(長岡百穴) 宇都宮市長岡町百穴373番地 |
【天 候】 晴れ |
【所在地】 栃木県上河内町、宇都宮市 |
【同行者】 単独 |
【関連 02.01.26の羽黒山のページ こちらです。
ページ】 埼玉県「吉見百穴」のページ こちらです。 |
羽黒山は02.01.26に周辺の山々と一括して歩いた。 その時の羽黒山の写真が一枚だけでその他の山の写真も少なくもう一度と思いドライブに出かけた。 今日は前日光の古峯神社周辺を散策しようと考えていた。 今朝になって宇都宮美術館までの送迎を頼まれた。 日頃家庭を顧みないので引き受けた。 自宅からは新4号国道と宮環状線を走れば40分強で着く距離である。 妻は先日一人で下見に行ったそうだが案の定、道に迷った帰りの新4号国道のスピードが速くて怖いと言う訳だ。 待ち時間は日曜日の午後の3時間半の過ごし方の私的な記録である。
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宇都宮美術館 |

入口の展示品 |
【長岡百穴】
宇都宮中心部から北に連らなる丘陵がある。 丘陵は篠井富屋連峰から南に延びる長いものである。 その丘陵を横断出来る所は限られる。 その一つが長岡街道で日光街道の戸祭から田原への道である。 当時は宇都宮環状線は無かった。 仕事で何度も長岡街道は走った事がある。 その都度「長岡百穴」の前を素通りで走り去っていた。 宇都宮環状線が完成して長岡街道は裏道になった。 長岡百穴には静けさが戻った感じだ。 宇都宮環状線からも百穴は見える、長岡町交差点と宇都宮美術館入口(豊郷団地・帝京大理工学部)交差点の中間地点である。 現在は周辺が整備され百穴の前には広い駐車場もある。
宇都宮丘陵南端のくびれた所を長岡街道が通っている。 丘陵の斜面に砂質凝灰岩(大谷石のようなものの砂まじり、軟らかい岩)が露呈している。 そこに沢山の穴がある訳である、そこが「長岡百穴古墳」である。 県指定文化財の古墳である。 古墳時代のものでお墓である。 宇都宮教育委員会の資料によると『古墳築造当時の原形をとどめるものはほとんどみられません。 特に、室町時代後期の仏像彫刻が、横穴の破壊に拍車をかけた』とあります。 砂質凝灰岩はきわめて加工しやすい岩盤で横穴を掘削するのは容易であった。 横穴の数は52基(西群8基、東群44基)があり、全て南を向いて開口している。 標高は1.6m〜105.7mです。 形は玄室から玄門、前庭部へと続くものです。 埼玉の吉見百穴と同じ時代もので外見は同じです。 この長岡百穴の丘陵の尾根上には瓦塚古墳群(7世紀前半代)がありそれと関わりのあるものとされています。 仏像彫刻は各穴にあり確認できました。 その時に古墳の内壁は削られて原形が変えられたようです。 斜面にたくさんの穴が開かれているのは壮観です。
宇都宮環状線を走られる時には一見の価値ありです。
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長岡百穴(東群) |

室町時代に仏像が彫られた。 |
【羽黒山】
時間つぶしにドライブに長岡からは宇都宮インターへは高架橋が出来てまじかになった。 ETC車の専用出口のある上河内SAには15分もかからないで着いた。 SAを出て一方通行道を走ると羽黒山の入口に着いた。 羽黒山神社まで車で上がってはあっと言うまである。 晴れたが霞がかかり遠望は出来ない、宇都宮までは見えるがその先はガスに消されていた。 古松と老杉の山頂下に到着する。 石段の途中には「夫婦杉」樹齢500年がある。 神社境内から社殿の裏に回りこむと篠竹の薮に踏み跡があり鬼怒川側に下っている。 写真を撮りに蜜嶽神社に向かう、この山はアンテナの山でもある。 山頂から下がった北尾根には下野新聞社のアンテナが2局、NHKFM、建設省無線中継のものがある。 下野新聞社の建屋横に「富士見台」の木柱が立っていた。 古賀志山、飯盛山方面に富士山が見えるであろうか。 三角点標石の側には新しい「栃木の山紀行」さんの新しい板と「K・SEKI」さんの赤い板があった。 蜜嶽神社の飾り彫刻を鑑賞する。 羽黒神社本殿戻って奉納された梵天を見て下った。 展望台に上がったがアンテナばかりが目に入った。 「田楽茶屋・羽黒山荘」の横を下って道まで降りて戻った。 道端にはアザミがたくさん咲いていた。 この後岡本台のゴルフ練習場で時間を過ごして宇都宮美術館へ向かった。
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梵天と本殿 |

三角点標石 |

羽黒山本道 |

アザミと蜂 |

南面のアンテナ群 |

綿帽子 |