東堂山(とうどうやま)618m NO.165−1
簗瀬山(やなぜやま)332m NO.166−1
成功山(せいこうやま)273.9m NO.167−1
白河の関を見てから午後から那須地区の山を歩く
【山行日】 2003年 4月 19日(日)
【山 域】  那須野が原
【地 図】  国土地理院の1/2.5万図  東堂山の地図 簗瀬山の地図 成功山の地図
【天 候】  曇りそよ風、気温18度C
【所在地】 那須町、那須塩原市(当時は黒磯市)
【同行者】 単独、「なな」犬と歩いた。
【タイム】   白河I/C 10:20  白河の関11:00 追分の明神11:35
       東堂山
        那須町山口林道小倉線分技 11:55
        林道小倉線終点に駐車(12:05) 尾根(12:28) 東堂山山頂(12:43-58) 駐車地(13:19)
       簗瀬山
        東和那須ゴルフ場管理事務所横(14:10) 簗瀬山山頂(14:23-14:40) 駐車地(14:47)
       成功山 (三角点標石は発見出来ず)
        黒磯市鍋掛の団地内に駐車(15:05) 成功山石碑(15:40-55) 駐車地(15:57)
        小山帰着 17:30 西那須インターより東北高速道

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東堂山

山頂



簗瀬山(東和那須GC管理事務所前)

成功山の石碑にて
簗瀬山山頂 ななカワスミさん山名板 成功山の山名板 成功山の山名板
@東堂山
 途中義経伝説の案内板を見ながら、那須町大畑に到着。 川沿いの端の側に林道小倉線の菱形の標識を見て、林道に入る。 集落を過ぎた所で舗装がすぐ終わる。 二つ目の標識から小倉沢に沿って、林道を走り登る。 小倉沢には、最近砂防ダムが沢山作られたようだ。 林道の途中でダムの工事の人が道で、昼食中だったので、手前で林道横に車を止めた。 工事の人がいぶかしげに見ていたが登山靴に履き替え準備にかかる。
 12:05出発。 ダム工事の人と話をして、沢に沿って歩きはじめると直に道が沢と一緒になる。 道は林道でなく作業道だ。 やがて作業道も茨の茂る道になり止る。 いよいよそこから落ち葉の積もる雑木の傾斜面を登る。 この斜面にはマークはないが登り詰めた。 尾根に古い色の消えたテープが1ヶ所有った。 ここの尾根は踏み跡がない。 5分くらい尾根を歩くと雑木から、檜の植林に変わり、尾根の道が明瞭になる。 植林地は暗く見通しはない。 

 最後の登りは、尾根にゴジラのような岩が現れる。 そこを過ぎると頂上の南のピークに着く。 ここが山頂かと周りをうかがうと、ピークの先に石の祠が見える。
到着ですと大きな声で誰もいないのに、高らかに報告する。 檜が周りの視界を完全に遮り、景色が見られない。 石の祠は、高さ1Mぐらいで立派なものだった。 早速゛なな゛をモデルに写真の撮影。 ななはピークと祠の間を、2、3度行ったりして止まってくれない。 何枚かカメラに納め、地図にデータを書き込み下山にかかる。
 下りは元来た道を、忠実にたどる。 林の中から下の小倉沢が明るく見える。 マークしておいた雑木の斜面をくだり、すぐに茨の作業道に出る。 やや下ると小倉沢5号の砂防ダムに着く。 作業の方が竹箒で清掃中、ダムの下の沢で4人の方が石を動かしたり、落ち葉をさらっていた。 ゛なな゛がダムの上に足跡を付けて、作業の人の所に行く。 これはまずいなと思っていたら、人なっこい犬ですねと笑顔で言ってくれた。 挨拶をして車にもどる。

A梁瀬山
 伊王野の里に梁瀬にある梁瀬山。 東和那須ゴルフ場の周りを登り口を探して走る。 地図の道は、コースになっている。 土曜日で、プレー中でなのでコースの中を横切れない。 コース管理の人もコースの上のところが簗瀬山の頂上で、伊王野の町が以前は良く見えたとの事。 管理事務所脇の火の見前に車を止める。
 桜が満開県北は今が見ごろ。 出発管理事務所脇から、雑木の薮に入る。 野犬が居て吠える、かまわず篠竹交じりの薮を進むと野犬は走り去り静かになる。
薮尾根を行くと測量の杭が新しく打たれ、杭の周りの立ち木が伐採されている。 普段誰も入らないようで、踏み跡は薄い。 程なく最高点に到着カワスミさんのプレート発見と声を出す。 ななが大声だったので、振り返る。ザックからまずペットボトルを取り出しななに飲ませるおいしそうにピチャピチャ音を立てて飲む。 
 三角点のない山なので、プレートのある所を頂上とした。 よく見ると5M離れた所の杉の木にも、新しいプレートを見つけた。 このプレートを最近行く山行く山見る、目的はもしかしたら薮人と同じかもしれない。 完登を祈る。

B成功山
 鍋掛の橋を渡り、の交差点を右折する。 今日最後の山ちょっとと軽い気持ちで、成功山へ向う。 雑木の丘で住宅の分譲地で、開発のための道が付いている。 分譲地のプレートに所有者の名があるが、荒れた雑木の林で造成のために開墾してある。 ナビでも調べ何度も林の中を歩き回ったが、三角点標が造成のためか探し出せない。
 二万五千分の地図の成功山は、倉持氏の神社ではなく三角点の所に記してある。 分譲地の方にお聞きすると、石碑のある所を教えられてしまう。 今日は午後6時から、予定があるので帰宅するタイムリミットで、石碑の所に山名プレートを付ける。 先客のプレートがある所を見ると、やはり三角点が探せずここで済ませたと見た。 後日もう一度時間のあるときに三角点を探して見よう。
 地元の小学生と゛なな゛とで、記念撮影をした。 ななが子供達とすぐに仲良くなり、子供好きの性格が出ている。 とても明るい那須ヶ原(黒磯市)の子供達だった。 家に帰るとさっそく、ホームページに書き込みがありました。 ありがとう。 


*白河の関・奥の細道
 今まで白河の関を訪ねた事は、無かった。 いつも白坂の明けの明神の峠を通り芦野に出ていた。 白河インターから白坂を経由して、白河の関に着いた。 途中所々におくのほそみちの石柱がある。 これは観光協会が設置したものだが風情がある。 白河の関は、白河藩主松平定信が現在の地を関跡の確認した。
 坂上田村麻呂の東征のおり祈願した神社。 幌掛の楓:源義家が、安部の貞任を追討のとき、休憩した時幌を掛けたとされる楓がある(前九年の役)。 源義経の旗立の櫻もある。 ・・・ 歴史上のゆかりの句碑、関を示す古関の石囲みなどたくさんの見所がある。 小高い丘の上に空堀があり、当時は、砦か出城があったようだ。 今は神社がある。 この時期かたくりが咲いていた。
 栃木県と福島県境に、追分の明神がある。 ここから那須町の義経伝説、のプレートが散策を楽しませてくれる。 後日ゆっくりと歩いて見たい。
 
 今日は山の前に白河の関を見てきた。 山を何人の人が見たことか、昔奥州と東国を結んだ奥の細道を(旧陸羽街道)を通る。 きっと義経も東堂山を見たのだろう、どんな思い出と考えると夢が広がる。 歴史を感じながらの東堂山だった。 成功山で会った小学生の明るい事、今日は良い一日だった。


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