白根隠山 前白根山 五色山 金精山 金精峠

界標調査 「界甲四五四支四」と白根山 前白根山の東尾根天狗平方面を


   山部藪人 2009.09.29記

2009年8月から金精峠に今日で4度も上がって来た。 この峠が好きだと言う訳ではないが、旧宮内省日光御料地境界がこの尾根を通っていると考えられるのでやってきた。 今回は五色山先のから前白根山周辺である。  ( 履歴は、こちら>> )

天候が気になるが私は根っからの晴れ男であり心配はない。 家をでは今回の標石ウォッチャーの蘇原さんと一緒で心強い。 日光に来るとガスが濃くなってきた、ライト点灯していろは坂を登る明智平先のトンネル内もガスが入り込んでいる。 中禅寺湖畔もガス、戦場ヶ原から湯元付近からガスが少なくなってきた。 金精峠に丁度6時に到着、ガスも晴れ周囲の山々は見事な紅葉である今年の紅葉は当り年のようだ。

【山行日】     2009年 9月 27日(日)
【地  図】     1/25000図 男体山   地形図は、こちら>>
【所在地】     日光市
【天  候】     快晴・微風  (気温)朝10゜C
【同行者】     蘇原さん
【コースタイム】
小山発(4:00)==蘇さん宅(4:10)==金精トンネル口(5:50-6:00)−−金精峠(6:30-35)−−金精山(7:20-30)−−五色山(8:30)−−(界標調査)−−前白根山(10:10)−−(界標調査)−−界甲四四八・水場入口尾根付近(11:40)−−白根隠山・東峰(12:00-30)−−(界標調査14:00)−−前白根山(14:00)−−国境平(15:10)−−金精神社・峠(16:20)−−金精トンネル口(16:40-17:05)==自宅着(18:30)

【五色山まで】
 毎度の峠までの上りは丸太の階段は何のために作ったのだろうかと思うくらい邪魔に感じられる。 歩行者の為ならもうちょっと何とかならないのかと大股を開いているが女性には大変だろう。 丸太を避けて右左に迂回しているのはそんな関係からだろう。 ハシゴがあっても壊れている作ったものはいつか壊れる、自然の摂理であるが色々のことで一貫性がない。 それでも地元山岳会では補修をしている頭が下がる、ひと段落したら一度は整備に来よう。

 この金精峠へは温泉ヶ岳、根名草山への玄関口であるが、白根山、五色山へも歩く方も多い。 白根山を見るのに五色沼を合わせると絵になると思っている、特に五色山から白根隠山の稜線からは素晴らしい。 今日はそれに始まったばかりの紅葉がある、四日前に中禅寺湖畔の千手ヶ浜を歩いたがその時はツタウルシの紅葉だけだった。 ダケカンバ、ナナカマド、ミズナラなどいっせいに始まった。

 ガスが下から昇ってくる尾根の日光側はすっかりガスに隠れた、笈吊岩(金精山)の下に着たがまったく見えない。 山名板のある金精山ピークに着いた遠望はない。 上空を雲がを群馬側から通過して行く日光側から湧き上がったガスは群馬側からの風で稜線を越えられない。 雲に包まれは一日になるのだろうか不安が過ぎる、昨日も平野から見た日光はガスの隠されていた。 今日は蘇原さんが紅葉の白根山を楽しみにしている、素晴らしい五色山からの景色を見せたいものである。 

 
金精峠                                   国境平

 金精山から一旦下って少し登れば国境平に着いた。 湯元道分岐の国境平には道標がある、そこに今回積雪時道標が付けられていた2009.08.15.に来た時にはなかったものだ。 そのポールには50cm毎の目盛が付けてあった。 この国境平周辺も紅葉は盛りである、ここからの温泉ヶ岳が開けた正面に鍋を伏せたドームのように見える。

 国境平道標に並んだ界標を見ていると二人連れの方が通過していった。 続いて矢板の方が来られた、300名山も完了したと言われていた。 白根山へ行くといっていた、私たちは界標調査で前白根へその先の白根隠山でのんびりすると告げた。 その方と今の教育や新しい民主党政権に期待しているなど熟年の愚痴を話ながら五色山へ上がった。 その方は弥陀が池から白根山へ向った。 


【界標調査】
 前回五色山まで調査したが、五色山の日光側は崩落し笹斜面になっている。 五色山から一旦下って岩尾根を調査する。 そこから裸の尾根を探すが無い、五色と前白根の鞍部で「×」界標を見つける。 そこから草と岩の斜面を調査するが見つからない、尾根上に顔を上げると目の前に界標を見る。 風化が進み直ぐには番号の確認は出来ない、拓本とデジカメ画像で後に「界甲四五四支四」と判明した。 ここからの白根山が素晴らしい。 さらに前白根側15mの所に「界甲四五四支三」を確認、これも強風によるサンドブラストで刻字が薄く拓本を取り刻字を判読する。 さらに次のピークで「界甲四五四」を見る、白根側の表土が流れていた。 表土の残っていた湯元側は背の低い草木が表土を守っている厚さ30cmだ。

 旧宮内省の境界は必ずしも県境や郡界尾根にあると限らない白根山周辺の界標も複雑である。 概ね現在の国有林の境界であるが、県有地、民有地、二荒山神社と色々ある。 各種の地図で判断し設置してある界標を見つけて境界を予測するのである。 道標に「前白根山頂」、ここに界標が有るはずだが、、、数枚の地図を穴の空くほど見ると、標高点から天狗平側にあるらしい。 振り返ると何と凛々しく立っているではないか、るんるんである。 近づくと字名「字白根山」が刻字されていた「宮 界甲四五二」である。

 界標とは関係ないが、前白根山の道標に「奥白根山」とあった。 ここに見えるのは「白根山」ではないか「奥白根山」とは白根山の奥に別な白根山があるのだろうか。 目の前の山に「奥」を付けると言うのはいかがなもの、群馬には二つ白根山があるそれの区別でと思うが、栃木(日光)の白根山には奥がないのが正式。 二つの白根山と区別するのは群馬県の発想だ、栃木の白根山に「奥」を付けることは必要ないだろう。 百名山ボケの思い込みだと思うが、栃木の道標に「奥白根山」はないだろう、誠に残念だ。


前白根山にこんな岩場がある、調査中の蘇原さん

岩棚の上「界甲四五〇」


 さらに界標調査をする前白根山から五色沼方向に界標があるようだ、この時点では日光御料地境界が何処を通っているのかはわからない。 前白根山からどこを通っているのだろう、二人で手分けして調べる、私は前白根山頂から避難小屋への道の北の尾根(草の付いた所)を調べながら下った。 やっと下りきった白根隠山からの延びた尾根先端と前白根の接合点で「×」だけ見える界標「界甲四四八」を見つけた。 蘇原さんに連絡に『おーい、発見したぞー』と声を掛けたが最初は返事がない、二度目でやっと返事が来たが遠い。 声のする方へ向ったが姿が見えない、さらに登山道をと離れ南斜面の崩落したガレた砂礫地を登った。 かなり先の上部に居る、『こちらにあったー』との声である、別々に同時発見である。 そこへ向うがどこからそこへ行けばよいのだろう岩棚にあるようだ、一旦前白根山頂方向に登り返して大岩を上部から巻いて裏側へ、崩落後の斜面を流されるよう歩き着いた。

 前白根の南斜面は前面崩落し所々に大岩がある。 登山道は白根隠山の尾根筋についているので南斜面を下から見たことはなく、白根隠山や避難所へ下る分岐付近から見た前白根山全体を今までは漠然と見ていた。 大岩が積み重なり壮観で新たな前白根山の表情を見た。

 界標「宮 界甲四五〇」であった、下の「界甲四四八」から番号が1つ飛んでいる、また前白根山頂の番号からも番号が1つ飛んでいる。 二人で下の「界甲四四九」を探す448と449の間には大岩が無い、小石と砂礫の斜面である。 大岩は100m下方の樹林縁に落ちている、この付近全体が崩落したのだろう。 周囲の様子から無理と判断した、「宮 界甲四五〇」もよく100年前から崩落せずに残ったものだと思った。

 「界四四八」の所に戻り小休止をし蘇原さんに聞いた、『あのような危険な大岩の先でよく発見しましたね』、すると『界標石を探していたのではなく、「×・固着岩石」を平らな面のある大岩を確認していたら、周囲とは色の違う石が目に留まったので確認したら界標だった』と言う。 三角点標石や界標探索は地図や資料などから仮説によるが、一に探す人の感と熱意だけである。 私は南斜面には無いと半ばあきらめていたのである。 蘇原さんに感謝である。

【白根山の写真】

2003.05.03 前白根山

2009.09.27 白根隠山


2009.09.27 前白根山東峰


2009.09.27 前白根山と五色山中間部


【白根隠山】
 界標「界甲四四八」で少し休んで五色沼や周囲の紅葉を満喫する。 私は紅葉ピーク時は日光に来ない人気が引いた頃に来るもう少し早ければ凄かっただろうと思ったことが多い。 今回も紅葉の事は考えてもいなかった白根山に久しぶりに会いに来た感じでの界標調査である。 絵になる白根山と五色沼、周囲の山々そして今回は紅葉の彩りがそえられている。 上の写真の一枚は 2003.05.03前白根からの白根山であるが沼の解氷前の春を待つ写真である。

 他の写真は色々の角度から見た白根山である。 今回は歩く旅ではなくのんびりと周囲を眺めながら楽しい山歩きだ。 今回は界標調査と白根隠山が予定だ、界標調査に時間を費やしたが白根隠山へ行こう。 歩き始めの沼に下る分岐先で年配の(私と歳は変わりないが)夫婦の方からロープウェーへの道を聞かれた、前白根、五色山経由でを考えているようだ。 山は楽しく歩くためには余裕を持たなければと思い五色沼へ降りて弥陀ヶ池からを勧めた。 我々は観測小屋の横を通って白根隠山東峰に着いた。 五色沼越しに見るのと違い真近に白根山がそこにある。 ツアーであろうかにぎやかな団体さんがぞろぞろと斜面を下っているのが見える。 『ヤッホー』と得意の大声で叫ぶが団体さんからは返事はない、下りきった避難小屋へのカーブ付近の小グループから『オーイ』の声が返ってきた、こちらの声は何度もこだまして余韻を楽しませてくれ、なんと言う幸せ至福の時が過ぎる。 日光戦場ヶ原や中禅寺方面は濃いガスで視界はない。 周囲を見渡せば白檜山の先も雲で見えない、五色山の後の山々も見えない、五色沼を囲む白根山と外輪山が我々のいる所だけ快晴を作っている。

 白根隠山にシュリエットで見えていた方がこちらにやって来た、少し前に年配の方が西峰へ向っていったがしばらくして戻ってきた後である。 聞くには、避難小屋経由丸沼側のケーブル駅へ行きたかったようだ、この人でこの時間では無理である湯元に戻っていった。 シュリエットの方は大平町のSHIMOさんで晃石山山名板や関八州三角測量の標石の事などしばらく話が弾んだ隣町の住人さんであった。



【界標探しながら帰路に着く】
 白根隠山を大平町のSHIMOさんと三人で下った、途中で写真の構図の指導を受ける、よい勉強にになりました感謝。 前白根山下で別れ我々は「界甲四五一」の界標調査に入った。 午前中に探し当てた「界甲四五〇」と前白根山頂の「界甲四五二」を直線で結んだ線上を探す、周囲の状況から崩落地ではない大岩の岩棚を見て回った。 『あったぞー』、広い斜面の中で点のような標石を探すのは大変である。 見つかれば直ぐに目はそこに行くが探すとなると中々見えないものである。 本日新たに7基の界標が見つかった、前白根山前後のルートが解明した。

 五色山で白根山に別れを告げて国境平へ戻った。 先の温泉ヶ岳の伏せた鍋形がガスに消えたり見えたりを繰り返している。 今日の晴れていたのは五色沼を囲む地域だけだったようだ。 金精山ではガスが立ち込めてやや暗くなってきた、金精神社のご神体にお礼をしてトンネル入口の駐車場向った。



白根隠山



蘇原さんが発見してくれた宮界標の標石



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