【2193峰へ】 |
ここからはたっぷりの深雪に輪カンが有効である雪が緩んできている。アイゼンは付けたままで外す手間を省く。尾根の途中から高薙山と各ピークを観察、距離を確認する。急激に落ちる尾根の上に聳える厳しき高薙山、ルートの少ない高薙山の名前の由縁が理解できるような気がした。ピークの下には切り立った岩が薙ぎが何本もあり神聖にも見えた。そんな快適な尾根も2193峰の本体に掛かると急登になり輪カンを外しアイゼンのみにして高度を上げる。佐藤さんが鹿の道を繋いで上がった所と思いながら上がるしかし頂上に近づくとまた輪カンを付ける。2193のピークを目指さず北端に向かう帰り道を赤布マークを付けてきた。北端に着くと尾根の北
西の根名草山、大嵐山そしてその尾根、先週の手白山が、また奥鬼怒の山々、鬼怒沼遠く黒岩山、台倉高山も温泉ヶ岳のすぐ右に白根山が凛として聳えている。ここまで来たご褒美の絵がここにある、これからの高薙山までの二つのピークも確認できる。(9:20) |

尾根の向こうに湯元上の外山 |

2207峰 |

1971峰、於呂倶羅山、太郎山 |

右奥が高薙山 |

2193峰の北端 |

根名草山、大嵐山 |
【山頂の薮、そして高薙山頂上へ】 |
2193峰北端からの雪原はズボーと輪カンをつけていても刺さってしまう、コメツガの上にいるのである。慎重に下ると途中からコメツガの細いが密生の樹林に入り手こずる。どうにか隣のピーク(A峰)の頂点の大岩に立つ。ここは抜群の眺望で木々の遮るものはなくしばらく北の景色に見入る。鬼怒沼の上に物見山の尖ったピークが、東には高原山がその前に川俣ダムが光っていた。ヤッホー、ヤッホーと2回叫んでみたが、山奥で返事をしてくれる声は聞こえるはずもなかった。この尾根には猛烈な風が吹きつけて来る、ゴアの雨具のジッパーを首元まで引き上げる。A峰からB峰へは雪が深くなりむしろ先人の苦労した薮は全て雪の下である。ズボーといかぬ様にコメツガのジャングルを強引に一部は雪庇に逃れてピークに到達する。ピークは雪たっぷりの快適で南側の太郎山、上がってきた於呂倶羅山に続く尾根がましたに見える。いよいよ高薙山山頂へ向かう直ぐそこにそんなに遠くなくにある。ここまでルーファンは完璧で迷うことなく最短ルートと思います。この山はいかに薮を恐れず突撃するかでしょう。B峰からはそれほど下らずに少し下がって雪庇を歩きます。シャクナゲとコメツガの木の上を歩いていました。頂上の枯れた印象のある木が目に入って来ました。頂上の南の肩は雪がなくここが例の薮漕ぎも簡単にさせないシャクナゲとコメツガの密生の所だと思いました。しかし今日は無雪期の一割程度の薮で済みました。南の肩(尾根南端)の雪の上に立つといよいよ来たなとの実感した。そこから20m程で山名板に出会う。 |

A峰のピークの大岩 |

B峰のピークの深雪 |

高薙山の山頂を見る |

頂上の薮・A |

頂上の薮・B |

頂上南端から根名草山 |
【高薙山山頂】 |
山名板でこの下に三角点の標石があることが解かった。標石を囲むように樹林が開けている。山名板が4枚掛けてあった。三角点の標石はどこにあるのか解からない。ピッケルを刺しても地表に届かないく見当もつかない積雪は1.2m位あるのかな。木々に囲まれたピークからの眺望はないが陽射で明るい。風が吹きつけ寒くて長居は出来ない。頂上尾根は北に雪庇が発達してゆっくりと下がっていた。南の肩に戻って回りを見渡してカメラのシャッターを切って帰路につく。(10:20−37) |

この裏にKA+TOと書いてあった |

山名板 |

ピッケルも地面に届かない |
古賀志山の会さん、KUMOさん、AKI山さんの山名板と朽ち果てた板と縛っていた針金があった。山部は山名板に山名と標高以外は書かない事とした。以前は設置年月日を書いたが一切必要ないと思うようになった。山名板はみんなのものだから。すでに山名板が付いていると解かっていれば持っていかない事とした。 |
【2193峰ピークへ】 |
下りの薮を通過すると湿った深雪で一歩一歩、A,B峰をこなして2193峰に戻った。北端からピークに向かって開けた頂上部を歩く。無論誰の足跡も無い無垢の雪原である。南の端のピークからは眼前に2207峰が座り、温泉ヶ岳との間に真っ白な白根山が金精山、五色山に乗るように見える。白根山を北側から見るのは根名草山であろうしかしここのほうが近い。これから先のルートに迷う。2207峰は直ぐそこにある。そこまでの尾根は雪庇が凄く発達している。そこから念仏平避難小屋の手前の2274峰までも行けそうである。しかし単独での行動で危険は厳禁である、少し弱気の虫が出始めた。2207峰から東の尾根を下だろうと決める。金田峠の石の祠を見たいここからなら1971峰を越えるだけで見られる。金田峠へ向かうことにする。ここまで途中でパンとホットレモンを飲んだだけだった。腹は空くし先を急いでいたので口に入れなかった、テルモスの白湯を飲んだら少し落ち着いた。(11:27−40) |
【1971峰、金田峠へそして1948峰、帰路につく】 |
上りにつけた赤布マークを外しながら今朝の鞍部まで40分かかったがまだ12時20分位金田峠(きんだとうげ)でコーヒーを飲もうそんな事を考えながら歩く。1971峰への登りはまたしてもコメツガの密薮、シャクナゲは雪の下でおとなしい。南の雪のない岩場のシャクナゲには花芽が沢山ついていた。1971峰のピークの手前の岩場から三岳が鳥瞰できた。三岳は複雑な地形で山屋の好奇心を魅了するのが解かったような気がする。南側の下に刈込湖、後の深い沢を挟んで高薙山の垂直な岩場が見える。ピークからは雪の斜面は急であるが問題なく峠の尾根に降り立った。金田峠の石の祠をさがして広い長い尾根の峠を歩く。木々に熊であろうか爪痕が生々しくたくさん付いていた。峠の中ほどに木の根元に祠がありました。ひっそりと雪をまとっていた。昔は往来があったであろうが、今は静かな大自然の中にある。いつまでもそっとこのまま残しておきたい雰囲気であった。峠から見た北側は西山金山跡方面に沢に沿って道があったのであろうか。山王峠が開通して役目が終わったのであろうか。この峠が禅項行者の夏道との記述をどこかで見たが思い出せない。懐の深い栃木の山がここにある。 刈込湖への下りのルートを探そうと東へ進む。途中解けかかったトレースがあった、前週のふーせんさんのものだろうか。この時期にここに来られるのはどなたであろうか。下降点は1949峰取り付きの所から雪面下りとに決めてから1949峰のピークまで行く。その先の於呂倶羅山へはとても行く気にはなれない。直ぐに戻って雪の斜面を何度かロープを使い安全を期して下った。真っ白い湖面が朝の厳しさから少し氷が解けて水がにじんでいた。帰り道ドビン沢から見えた温泉ヶ岳が白くまぶしく輝き一日中見守ってくれたような気がした。今日のルーファン、天候、フィールド状況すべてが応援してくれた一日だった。先人に感謝、栃木の山に感謝、乾杯である。 |

1971峰から下の刈込湖を見る |

熊の爪痕・新しいのが数ヶ所あった |

金田峠(きんだとうげ)の祠 |