ワイヤーからは何度か急な上りがあった。 大岩も現れて巻きながら進む、薮と雑木の1361mのピークに到達(8:35)する。 考えていたより快調に歩けたと思った、葉についた露と汗で全身ずぶ濡れ状態だ。
【1361mからのコースミス】
ここの1361mのピークは今まで二度来ている。 最初に明神ヶ岳に挑戦した時と二回目に来ているのでひと目で懐かしく思えた。 喉を潤わせてからヨガタァに向う、マークが点々と濃い密なクマイザサの中にある。 笹がビニルテープで束ねてあった。 赤布マークも以前付けたもので快調に下る。 途中のヤセ尾根には大岩があるはずである。 しかし大岩はない地図で確認すると間違いに気づく、会話に夢中になっていた。 間違ったのはトッポ沢の左岸(北側)尾根で樹林で見通しはない。 とにかく気づいてからは今まで以上の急な斜面に感じた。 1361m標高点に戻ったのは10時26分、約2時間もロスタイムしてガッカリした。 朝食べていなかったので遅い朝食となった、もちろん氏山さんはビールの缶を開けた。 食べると気力回復した気を取り直して、今度はミスは許されない地図をよく見て進む。 見慣れたヤセ尾根の岩の所を通過した。 「なな」と明神ヶ岳に最初に立ったときに写真を撮ったので間違えない。 白ヤシオの多い峰でやや遅かったが花びらが雪のように白くなっていた。 ヨガタァ手前の帰りの分岐のピークを通過した。 コンクリートの杭の横に塩ビのバイプがある。 休むことなくピークを後にした。 笹が立ち露に濡れた急傾斜を注意しながらも滑べってしまった。 ヨガタァ(主峰手前の鞍部)に無事降り立った。 |

ヨガタァの滝倉沢側 (ミヤコザサ) |

ヨガタァの大滝沢側 (シダ、コバイケイソウ) |
【ヨガタァから明神ヶ岳へ・鹿、鹿、角】
ヨガタァはおだやかな鞍部で滝倉沢と大滝沢(金山沢)がこの所でぶつかり合う。 ガスも切れだし青空が見え出してきた。 上空は風があるのだろうか、鞍部は風もなく湿度が高く汗が自然に噴出す。 ヨガタァこの地名もマタギ語であるようだ、千葉の黒田氏の『山の本・日本の秘峰、明神ヶ岳』にも明神ヶ岳の地名が沢山出てくる。 響きがよく言い当てているように感じた。 ここまで来られて"ヨガッタァ"、獲物が多く捕れて"ヨガタァ"といえる場所なのであろう。 鞍部は静寂と緑の濃い所である、南面の大滝沢側は特に緑が生きいきとしている。 ハルゼミ?、ヒグラシ?が鳴き小鳥のさえずりが絶え間ない自然の中である。
ここから明神ヶ岳三角点の主峰にはただ上るだけである。 途中からは日光の山並みが見られ高度が上がっているのを実感できる。 下草はシダや種々の草花、笹類はミヤコザサが主体で時々クマイザサの藪になる。 ヨガタァと山頂の中間地点のクマイザサをルートを探しながら歩く。 後ろで突然"ワー"というような大声が聞こえた、どうしたと振り返ると氏山さんが"有ったぞー"と叫ぶ。 手には大きな鹿の角が握られている。 何段にも枝の出ている大きな角である。 床の間の刀かけにするような立派なものでした。 一対あればと周りを探したか゛都合よく見つかるわけはあるまい。あめ色の枯葉にまみれていた。 角が落ちていると聞いていたがこんな風に見つかるものかと天からの授かりものに感謝である。 俄然氏山さん元気が出る、程なく山頂に立った。 山頂は草に埋もれた標石が隠れ夏の草生した所になっていた。 山頂の開かれた空間は南のシダが元気良く葉を広げていた。 山名板はこげ茶が少し剥げていたが用を足していた。 三角点峰ではガスが消えて青空が広がって夏の日差しがある。 湯西明神方向はまだガスっている。 |

緑濃くなってきた山頂・山名板 |

日向明神から見た明神ヶ岳・三角点峰 |

ミョージンノタァの木・神が宿りそうである |

三角点峰のシダ群 |
【日向明神へのピストン】 |
山頂のシダの間を通り抜けて南面のミヤコザサ原を下っていく、ブナ、ミズナラ、コメツガの混じる快適な尾根を行く。 どんどん下る余り下ると帰りが大変だからなどと思っているうちに鞍部に着く。 快い風が一瞬吹き抜けてゆく、この鞍部をミョージンノタァという特徴ある木がある。 タァから日向明神を見上げると急峻に思えたが滑るのに注意しながら上がるとあっけなかった。 途中から振り返ると三角点峰が緑に染まって活き活きと見えた。 まず頂上の北峰に上がってみる、大木が朽ちて倒れていた今年の冬に倒れたのであろうか。 直ぐとなりのピークにはコンクリの「山」の刻まれた杭がある。 見下ろすとミヤコザサの開けた鞍部が見える。 直ぐに降りて後続の氏山さんを手招きする。 ここから日向明神の最高部を目指すけっこう大木がある。 終わりかけのシロヤシオの花のジュータンである、木が大木なので花の量も半端でない。 シャクナゲも花は終わった、直ぐに開らかけた空間の出る。 笹原に木組みがあり一本折れているのは那須の鹿又岳と同じだ。 笹に埋もれた標石があった、氏山さんはどっかと腰を下ろして水を美味そうに飲んだ。 日向明神の木の祠があるはずで南に大分下って探したが見つけられなかった。 その代わり大木に出会った。 頂上からは日光方面が僅かに見えるだけで眺望はないに等しい。 少し休んで元来た道を三角点峰へ戻った。 シダ群を見たときは今日の上りは終了と叫んでしまった。 |

日向明神の標石の所 |

日向明神の大木 |
【下山はミッタァの尾根を歩く】
明神ヶ岳山頂を後にしてヨガタァに最速で下り降りた。 ここではミッタァの尾根への確認に地図を確認する。 午前の2時間のタイムロスが絶えず付きまといもうミスは許されない。 確実にピーク、鞍部通過時は確実に地図を開く。 ヨガタァから急な所を笹をつかんでひと上り尾根を進んで、金剛ゾネとの分岐の峰(1405m 塩ビの杭)に着く。 ここで朝の金剛ゾネから分かれて林道の峠(山ノ神戸)へ向う。 ピークには峠への踏跡は無く慎重に方向を定める。 歩きはじめると尾根はわかり易く快調に進む。 この尾根は極端な上り下りの無い尾根で20〜30分毎にピークなどが現れる。 まず1346mに着くブナがあると清涼感がある、葉を通して日差しが差し込みやさしい緑の色が広がる。 ミッタァは昭和にカスミ網猟が禁止するまでの野鳥の捕獲場だろう。 渡りの時尾根を越える野鳥が鞍部を選んで通過する。 そこに網を張って待つのである。 ミッタァのマタギの地名がついている所はヤセた所である。 大きな木が尾根にあり風を受けて気持ちがよい。 |

1346m峰は快適尾根 |
トタンが散乱・小屋倒壊跡? |
ヤセたミッタァの先は尾根は広がった所である、トタン板がグチャグチャになって散乱している。 通過時に踏んでみるとトタンの下に板か柱でも何かありそうで小屋跡?ではと感じた。 雪でつぶされてペチャンコであり数年?経過しているのではないか。 尾根には杭が点々とあるが探せるのは一部である。 次の1324mには杭がはっきりしている。 広い尾根は踏み跡はない。 深い笹帯は獣道だろうか背をかがめて歩かないと見失ってしまう。 昭和のマタギの道は消えたと思った。 数年の間にこの尾根を歩く人がつけた踏み跡を獣が利用している所だけ残っている。 終盤には大岩の積み重なった尾根があり西側を巻いた明瞭な道が続いている。 峠(山の神戸)へ下る最後のピークは深笹で慎重に通過する。 ピークを抜けると薮があるがカラマツ植林地で明るく、下方には林道も見えて気もうきうきになった。 この斜面にも赤布があった、トッポ沢からヨガタァから山頂へのルートにも同じ赤布を見た。 うるさくなく適時であり感謝した思いもある。 この赤布から山ノ神戸の峠には斜面を下り僅かで到着した。 すでに工事関係の車両は4時頃下って行くのが見えていた。 峠から滝倉橋までは長い距離であわ行くば声を掛けようと下心が芽生えていたので。 峠には4時半前を少し過ぎた時間に降りたった。 峠から見た高倉山、折戸山、今朝歩いた金剛ゾネ(曽根)が前沢から急勾配であるのが見て取れる。 ここからは林道を下るだけなので気は楽であるが、車までは8キロ弱歩かねばならない。 今歩いてきた尾根を眺めながら林道を下っていると前沢が二又(山の神沢、十平沢)になる先でトラックに拾ってもらった。 感謝である。 |

峠上の赤布 |

カラマツの植林と薮 |
(『奥鬼怒山地』によるとトタンの散乱していたのは倒壊した捕鳥小屋との記載がありました。 また峠から少し上がった所にも捕鳥小屋があったようです、今回は確認できませんでした。 峠を山ノ神戸(やまのかみど)と呼び、峠は高倉山と明神ヶ岳の尾根の鞍部で前沢と稲ヶ沢の源頭部にあたる所です。 今は林道の峠になっている。 野鳥の渡り道にもなっている。) |

前沢稲ヶ沢林道の峠 |

こちら地元では高倉山(右)と呼んでいる |