【山行日】 2004年 9月 11日 (土) |
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【山 域】 塩原・塩那道路 |
【地 図】 1/2.5万図地理院・日留賀岳
地図(日留賀岳)
地図(鹿又岳)
地図(塩原白戸・小山宅) |
【天 候】 晴れ、午後からガス |
【所在地】 栃木県黒磯市、塩谷郡藤原町 |
【同行者】 単独 |
【関連ページ】 日留賀岳 (2002.06.02) |
【コースのタイム】 アクセス・全行程
自宅発(1:15)==鹿沼IC(1:45)===(東北道)===西那須野IC(2:12)==関谷のコンビニ(2:05-35)==塩原白戸・日留賀岳登山口・小山宅(3:30)−−林道・13号鉄塔(3:50)−−林道終点(4:20)−−瓢峰・急坂取付(5:05)−−木の鳥居(5:50)−−日留賀岳・1848.8m(7:30-8:00)−−塩那道路・ヘアピンカーブ(9:45)−−鹿の又坂(10:15)−−つらら岩−−1846m峰北トイレ北尾根取付(10:26)−−尾根北端(10:45)−−尾根中央鞍部(10:55)−−1846m峰(11:20)−−トイレ・資材置き場(12:05)−−鹿又岳頂上直下取付点(12:20)−−鹿又岳・1817.1m(12:45-13:05)−−鹿又岳頂上直下取付点(13:20)−−工事現場(13:35)−−1758m峰先(13:16)−−記念碑・プレハブ(13:29)−−ひょうたん峠(13:30)−−記念碑(13:45)−−鹿又岳頂上直下取付点(14:08)−−鹿の又坂・ヘアピンカーブ(14:10)−−立岩−−長者平−−3号橋−−アンドン沢(16:50)==土平==木の葉化石園前(17:10)−(3Km)−日留賀岳登山口・小山宅着(17:55)==塩原・みかえり温泉・入浴==(東北道)==自宅着
歩行時間 13時間20分+45分
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【今回の日留賀岳ルート】
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塩那道路の正式な名称は「一般県道中塩原板室那須線」で現在は一般に供用されていない。 この道がなかったら鹿又岳にはどのルートを考えたらよいのだろうか。 そんな事を考えたことがある、その時思い付いたのが日留賀岳ルートである。 鹿又岳に偵察に塩原からMTBで行ったことがある、「なな」と歩いたしかし遠かった思い出がある。 「なな」を背負ったが嫌がって結局休み休み歩いた。 「なな」この時暑い時期は犬より人の方が体力が有るのが解った。
日留賀岳に前回上がった時は帰り道の比津羅山と合わせての山行で塩那道路までの偵察は出来なかった。 しかし日留賀岳の山頂から踏跡が北の尾根にあるのは見ておいた。
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【スタートは塩原白戸の小山宅から】 |
小山さん宅には日留賀岳への都度車を置かせていただき、いつも帰りにはお茶とカブの漬物まで頂いた所です。 今回は夜中という事を考えて出発の用意を関谷のコンビニでしました。 車も静かに止めてドアも静かに閉めて日留賀嶽登山口を歩きはじめました。 深夜の樹林は静かさと真の闇でランプの明かりだけが光っています。 所々にある祠に手を合わせる余裕もありまわりに気をとられず順調に歩けました。 2度歩いていると道は解かっているのでルートは心配ない。
最初のポイント林道の送電鉄塔塩原線13号柱到着する。(塩原線は蛇尾川ダムの塩原発電所から三依の芝草山先で下郷線までを言う) ここからシラン沢林道を終点まで歩く。 暗夜行路の大山の朝明けの描写のようであった、ここの林道から見る塩原の灯がその一文を思い出させた。 この後の樹林帯は台風の倒木が多数有って乗り越え巻いたりの道になっていた。 水場の分岐も解からずに1514m峰の急な斜面の尾根に掛かる頃には鬱蒼とした自然林の中も明るくなってランプを消した。 1514m峰の南東尾根から東面をやや巻きながらの道はアスナロとブナの大木が自然林を表していると感じられた。 1514m峰の北の鞍部を上がると木の鳥居に着いた、ミヤコザサが取り囲む小スペースで小休止にはもってこいの所で持ってきたのパンを食べた。
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途中の木の鳥居 |

2年前に設置の山名板は手持ち用になっていた |
【日留賀岳山頂まで】 |
木の鳥居の先は朝のガスの中、白やしおと道の脇には行者にんにくのしおれた葉が沢山見られる。一旦下って日留賀岳本体との鞍部に向かう。 いつもこの辺は快調で頂上までの160m位は途中3回位の休みでOKであった。 頂上直前の一段下がった尾根の上がった所では高原山が全体の裾野まで見える。 ここから頂上にまでは色々の秋の花が咲いていて写真を撮りながらになる。 日留賀岳到着 7:30
塩原町の最高峰である日留賀岳(1848.6m)は塩原町、黒磯市、藤原町との尾根が合わさる所の少し南に位置している。 この地域の最高峰でわずか差に鹿又岳の南にある18486m峰がある。 前回は2時間50分、今回は4時間ちょうどで予定通りであった。 3D山名板も手持ちタイプになっているようで石の社に置いてあった。 2年の歳月に味が出ていた。
山頂からの眺望は360度ぐるり全開であり、磐梯山、曇り上に飯豊山、雲海から頭をだして芝草山、そして遠く奥鬼怒の山々が浮かんでいる。 下には横川の牧場と家並みが鳥瞰出来る。 すごく近くに見える横川のビジターセンターからは日留賀岳に尾根を詰めれば簡単そうに見える。(見えるだけで実際はどんな状況だろうか。) 今日の主たる鹿又岳が塩那道路のヘアピンカーブの向こうに立っている。(見ていたのは1846m峰でその先のピークであった。) 日留賀岳の西は善知鳥沢(うとう沢)、東は小蛇尾川、南はシラン沢に囲まれてこの3つの沢が急峻な峰を作っている。
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山は秋がどんどん進んでいる。 |

高原山(日留賀岳頂上下) |

塩那道路につなぐ尾根(ピークが藤原、塩原、黒磯の境界) |

左に続く尾根の先にヘアピンカーブ(日留賀岳から撮影) |
【鹿又岳へ向かう】 |
日留賀岳の頂上から北尾根へ明瞭な踏跡を下る、マークは古くからあるようでまずは明瞭である。 こんなに歩いていたのかと思った、しかし進むに連れて上からではルートは見えなくなる。 油断してルートを外すときつい傾斜にコメツガとシャクナゲなどと笹が絡んで横には簡単には進めない。 尾根を外さずにコメツガを巻きながら笹だけの所が強引には良いようである。 しかしマークが細かく付けてあって思った。 これでは塩那道が無くたってこっちがあれば問題ないとこの時点では感じた。 眺望の良い尾根上を歩く今居た日留賀岳が少しづつ遠くなって行く。 その分ヘアピンカーブが近くなっている、下を見ると小蛇尾川の源頭部らしく急激に落ちている。 この尾根は沢側は垂直に岩が切り立っているそこには草木もついていない。 冬のセッピは相当なものを感じさせる、時折小蛇尾川を吹き上げてくるガスが掛かり日留賀岳が隠れるようになってきた。
下にヘアピンカーブが見下ろせる岩の上に着く、あと少しで道に出る。 これは大幅な時間短縮出来そうであると思ったのは浅はかだった。 ここまで案内してくれたマークは無くなった、マークを残していった方も思ったろうマークの意味の無いことを。 マークを付けても絶対と良いくらい同じ所は上がれないだろうと思わせるコメツガ、シャクナゲ、チシマザサの深い急な斜面なのである。 今回は下りなのでそれでも枝に乗ったり、笹だけの所は問題なく斜面を下り切った。 あとは笹の原を道まで歩く。 途中一部笹の中に踏み跡があった、しかし途切れている所を見ると獣道だったのかも知れない。 当然帰りもこのルートを使おうと考えて計画していたが振り返ってあの50mの薮を通る元気が萎えてしまった。
塩那道路に9:45に到達する。
さすが管理された道は歩き易い山側は側壁がブロック積みで山に取り付けないようである。 道の下方には日留賀岳からは向山に続く尾根の1121m峰の影で横川全体は見えなかったが。 鹿又岳へ歩くと良く見えるようになった、直ぐ下に横川放牧場が上方まで開かれている、牛らしく黒い点が固まって動いている。 小蛇尾川から吹き上がってくるガスで日留賀岳から歩いてきた尾根も見えなくなった。 カーブからすぐに「鹿の又坂」のプレートが立てられている。 次に「つらら岩」のプレートがある、崩れそうに見える岩の壁である。 直ぐにまたブロックの側壁が長く続く。 ブロックの壁は二段に高くなって取り付きをさせない。 壁が半分になり直ぐに側壁が切れた、その先に簡易トイレが見えそばに金網などの資材が置いてある。 ここが烏ヶ森の住人さんの取り付き点だなと直感した。
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最高峰の1846m峰の頂上 |
【塩那道路の最高地点・最高峰へ】 |
ザックからペットボトルや食料などを出して大きなビニル袋に全て入れて岩陰に置く。 烏ヶ森の住人さんのページにもありましたがここの登りはさっきの塩那道路に出る前の最後の下りの傾斜は無いがシャクナゲ、アオモリトドマツがバランスよくスクラムを組んで登頂を阻止している。 潜ったり木に乗ったりでどうにか頂上に出たが笹が深く頂上の尾根の移動も簡単にはいかない。 少し進むとその先にまだピークがどっかりとしている、尾根の肩かと思いつつも地図を見る状態で無い猛烈な薮が続いた。 いよいよ本当のピークにたった眺めは最高であった。 しかしここで冷静になると鹿又岳で無いことはすぐに理解出来た。 大佐飛山に次ぐピークである塩那道路沿線の最高峰の1846m峰であることを知った。
ここからは元来たルートを大変でもたどる、直ぐ下の道に向かえば垂直に近いブロックの壁で降りられない。 歩いたルートがハッキリしているのでさすがに下りは上りより時間は掛からなかった。 デポした荷物をザックに詰めて鹿又岳に向かう今度は地図を見ながらで取り付きを探しながらの歩きになった。 鹿又岳の南西尾根、頂上直下、回り込んで沢状の所どこも斜面は急で薮も厳しそうに見えた。 こんな所ではいつもこう考えている、上がれる傾斜なら距離を短くする。
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丸太の三角錘・現在は一本の柱が無い |

三角点標石 |
【鹿又岳を踏む】 |
取り付き点は頂上直下の所で笹が多少濃くてもアオモリトドマツ、シャクナゲの無い所に決める。 道から2m位は立木につかまって上がる。 そこからは笹を分けながら急な斜面を上がる。 笹は背丈1.5m程度の髪のような笹で、さほど硬くなく手で分けれる。 この選択は間違っていなかったさっきの1846m峰のような所は頂上に近い所だけでした。 頂上のアオモリトドマツ(オオシラビソ)の間から見回すと直ぐに解かった、以前から頂上の三角点の所に三角錘のやぐらがあるとあった。 あるある斜めの丸太が他の木々とは違って人工物が見えた。 近づくと三角点は丸太の三角錘のそばにあり直ぐに解かった。 丸太の一本が見当たらない、残った三角錘も少しグラッとした。
どこを見渡しても山名板は無いここまでは中々おいそれとは山好きでも来ないのかも知れない。 山名板の取り付け場所は近くの立木にしました。 鹿又岳の今は丸太があるから山頂は直ぐ解かるでしょう。 ここの頂上付近は冬の厳しい所で矮性化したチシマザサの丈はまるでミヤコザサのように短かくて歩行には快適でした。 冬の厳しさはすごい所とは解かっていても、今の季節にここに居ると厳しさは感じられない。 この山で最高の時期なんだと快適さに満足の時を過ごした。 この周辺の最高峰の1846m峰にも大蛇尾川からガスが上って来て尾根と塩那道路を越え横川へ下って行く。 後を追ってガスがゆっくりと付いて来ているような気がする。
鹿又岳山頂には12:45到達した。
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山名板・1817.1 m |

道路上2mの所にあった木に取付マーク |

記念碑の側のプレハブ小屋 |

色づく木々を感じた一日だった |
【塩那道路を歩く、その後下山】 |
鹿又岳から道に復帰して体勢を直す、次を目指した次の目標は男鹿岳である。 今回の予定は家には泊まるかも知れないと言ってきた。 行ける所まで行って遅くなっても歩く覚悟できた。 途中の小屋に泊まっても良い思ってきたので焦りはない。 塩那道路を進むと直ぐに工事の現場着く、バックホーでダダダーと岩を削り掘っている。 どこから来たのと聞かれました。 道を歩いていなかったねとも言われました、どこから来たのか不思議そうにしていました。 日留賀岳から尾根を歩いて来ましたと言うと、日留賀岳そのものを良く解かっていなかったようでした。 実際に工事をしている方達で地元の塩原の人ではないようでした。 とても印象の良い感じでした。 一時工事を中断して通して頂き道を先に進みました。 進む途中の記念碑側の小屋は立派なものでした。(8畳程のプレハブ・窓3面あり) 塩那道路は良く整備されていますが今後どうなるのか、現在管理している県は何を考えているか県民には解りません。
先に進んで歩くが塩那道路の整備状況を見て歩いているような感じがする。 以前のMTBで走った時と違ってガードレールが新しくなっていた。 路面のデコボコが平にならしてあった。 男鹿峠で引き返す事にする。 今朝車を置いて来た小山さん宅で心配したら困るなと思った。 男鹿岳は直ぐ前にあるが横川からのコースを歩けば良く後日としすっぱり残し戻る事とした。
歩くスピードはこの時点で計るとキロ当り14分でゆっくり歩いている。 鹿又岳が最高点でひょうたん峠からの戻りは登りになるがペースは変わらない。 工事現場に戻り着くと元請会社の若い監督の方が居てどこから来たと聞かれたので、『日留賀岳からでこれから塩原へ戻る』と話す。 塩那道路ではなく日留賀岳から来た事が好印象のようでこれからでは日が暮れるだろうから車に乗っていくように薦められる。 時間もあるから歩いて行くので帰り道で追いつかれたらお願いする事で塩原に向かった。 結果は途中の「アンドン沢」手前で追いつかれた。 そこから車で塩原の木の葉化石園前まで送っていただいた。 感謝である元請会社の方のこの道は自分達が管理しているとの自負を感じた。 塩原側の第一ゲート(AM8:00開門PM6:00閉門)の開閉も担当しているとの事だった。
木の葉化石園から白戸の小山さん宅へ歩いた、化石園前の日留賀岳の道標に登山口3Kmの表示があった。 刈取り前の田んぼの写真を撮りながら歩いた。 少し暗くなってきた案の定小山さん宅では心配そうな顔をしていた。 日留賀岳、鹿又岳まで行って塩那道路を歩いて来たといったら安心していたようでした。 小山さんの所には心配を掛け申し訳ない。 これからは入山計画書を窓に表示しようかな。 小山さんの所でダイコンとカブ、人参を購入して家に向かった。 あたりは暗くなってライトを点けた。
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