岩井山(いわいやま) 59m NO.295
勧農山(かんのうやま)とも言われています。
渡良瀬と勧農山は静かなり 時の流れの思い廻らせ
渡良瀬川の中にある丘項で、1466年足利長尾氏の初代景人が
足利庄代官としてこの地に居城を構えた歴史的な城跡の岩井山である。
【山行日】 2005年 2月 5日(土) 【天 候】  晴れ 冷たい北西の風が吹く
【山 域】 安蘇(足利) 【所在地】 栃木県足利市
【地 図】 国土地理院 1/2.5万図
       足利南部
      地図(岩井山)
【同行者】 なな
【関連ページ】 大坊山 山川浅間山

【ルート・コースタイム】
岩井橋南詰・案内板−( 1分)−神社−( 2分)−乳房地蔵−( 5分)−山頂−( 1分)−石碑−( 1分)−案内板景景
この日のコース所要タイム 10分  (このほか色々と見て周りましたのでその時間がプラスになります。)

南から山頂を見る

山頂の西側の風景
【岩井山(勧農山)・城跡】
渡良瀬川の中にポツンと島がある。 北側の堤防から橋が架けられている。 渡良瀬本流は岩井山の西に当り南側を流れている。 昭和22年のカサリン台風のより足利で大洪水が発生して多くの犠牲者がでました。 その時渡良瀬川の中にあった岩井山が問題となりました。 国交省のページ参照下さい。(こちら) 仕事で何度か行った事がありました。 今は渡良瀬川は立派な堤防と、河川公園と運動場が整備されすっかり川っていました。 当時の橋はそのままでした。 

橋を渡り堤防を高みに向って右折すると行き止まりその辺に駐車しました。 案内板を読み石段を上がる、直ぐに社務所のような建物(無人)前を通り過ぎると神社の本殿がある。 本殿の横に白い杭に史跡岩井山城跡(勧農山城跡)とある。 その杭の先に乳房地蔵の案内板直ぐに直行する。 そこには6体の普通のお地蔵さんがおりました。 予想していた地蔵さんはどこにも見当たりませんでした。 自分に「バチあたり」と言いながら先のお墓から頂上に向う。 お墓から下を見るとお寺の本堂の屋根が見えた。 お墓は山の南尾根の東側にあり尾根の踏み跡を上がるとまたお墓がある。 少し藪ぽい所があるが笹も久しぶりでうれしい、こんな感じがした。 確かにここを城とすれば西と南は渡良瀬川が自然の備えになっている。 当時は城というよりは館が主だったのだろう。 一つの標石があったのでカメラに納めたが水準点とは違うのかな。 北端には1m位の笹を分けて進む、そこには[金刀平神社]の2mの石碑がある。 終始雑木の林の中で小鳥がさえずるのどかな所でありました。 

先の案内板に地蔵の案内がある。

神社の裏がピーク

岩井山と城跡の案内板

乳房地蔵との案内がありましたが、、、。
【マイタイム】
岩井橋南詰・案内板( 14:50)−神社乳房地蔵( 14:55)−山頂( 15:00)−石碑( 15:02)−案内板( 15:04)=浅間山へ
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