女体山(にょたいさん)   100m NO.302
十九夜心をまとめ女体講 念仏唱え里人集う
標高は交差点付近水準点が95mとすると地上高20mで105m位か?。
地図に表示無い山は等高線の表示してある高さとしている。(100m-109.9m)
【山行日】 2005年 2月 11日(土) 【天 候】  晴
【山 域】 鹿沼 【所在地】 栃木県鹿沼市磯町
【地 図】 国土地理院 1/2.5万図  宇都宮西部
      地図(女体山)
【同行者】 なな
【関連ページ】 義経伝説:芝塚山

【ルート・コースタイム
鹿沼市北赤塚町・判官塚古墳( 5分 )=磯山神社( 2分 )=磯町女体集落 ( 3分)−女体山( 2分 )−駐車場
コース所要区間歩行タイム 10分 

女体山前の道路は国道293号

女体山の鐘楼
【女体山】
鹿沼の山へ行こうと車を走らせていた。 壬生町内を過ぎると車も少なく稲葉の一里塚を見学する。 次の一里塚は北赤塚だと思いながら北へ向った。 七ッ石を過ぎ一里塚手前の田んぼを見ると立派な古墳が見える。 道端に車を置いて古墳を見学(古墳の詳細は巻末)名を見てびっくり「判官塚古墳」(別名:冠塚)この辺にあるものでは最大級とのことである。 NHKで放送の義経伝説の古墳である。 次に近くの神社を二つ見て次に磯山神社に行く。 以前から名前は知っていたが今回は山の名が付くので行ってみた。 確かに大きな神社でこの辺の中心的な神社のようだ。 500年を越す杉など鬱蒼とした木立に囲まれた所であった。 平地で山では無かった、鹿沼の観光案内ではアジサイで紹介している。

ここからが山の調査の始まりである。 神社の由緒書を見ると付近の神社を合祀したとある。 その中に当山、西の割山、女体神社などが書かれて有った。 鹿沼市磯町に当山、女体という集落があり行ってみた。 当山は黒川の西側の集落で山らしきものはない。 西の割山は何処であろうか地図で確認する。 磯山神社の西の方なのか確かに鹿沼72GCの丘陵の南端に151.4mの三角点峰があり道を挟んで社マークの小高い山がある。 磯山神社から車ですぐの国道に女体交差点である。 交差点の北側に小高い岩山がある、国道沿いで消防の小屋がある。 北広場に車を止めて山を目指す。 道路からすぐに凝灰岩(大谷石)に階段が作られていたが角が取れて坂のようだ。 少し急だが直ぐに鐘楼の所にでる。 ピークには消防の望楼が立っている。 その下に石祠があり、たくさんの石碑が方々にある。  

白雲山の字が見られる

猿田ひこ・千手観音の下に三猿
「白雲山」「猿田彦」の石碑、中でも「十九夜講」のものが多く「女体講」と碑に刻まれていた。 年号は「元禄、夫候、慶應、元治、明治、昭和」長い歴史を感じるに足る物である。 山体は東になだらかに植林地になっている。 西は道路、南は住宅、北は雑木の藪であった。 もちろん山名板などなくふさわしくないと感じた。

山名のは信仰と関わりがあり、地元の方にお聞きするのはもちろんであるが、なにぶん世代交代により地元の言い伝えすら判らない世代になってきたようで「ちんぷんかんぷん」であった。


磯山神社

判官塚古墳
【解 説】
「十九夜講」は、大字や小字あるいは組内(くみうち)単位で組織され、ほとんどが女人講(にょにんこう)です。 毎月十九日の夜、当番の家やお堂に集まります。 般若心経(はんにゃしんきょう)やお念仏を唱(とな)えて燈明をあげ十九夜を勤めます。 十九夜講は本尊如意輪観音の徳を讃(たた)え、安産や子育て、婦人病に対する祈りが行われます。 勤めが終わると共同飲食や雑談の楽しい一時となります。 十九夜講は東北から関西地方に見られます。 栃木県内では約1600体余りが確認され、特に十九夜信仰の篤い地方と言えます。

「白雲山」は群馬県甘楽郡(かんらぐん)妙義山の北の峰を指し、妙義信仰の中心である妙義神社があり、広く火防の神として信仰されています。 鹿沼の山を歩いていると白雲山、紫雲山を多く目にします。 

ついでに、「金剛山」は鹿沼市にある古峰神社で、古峰ヶ原(こぶがはら)山として広く知られています。
 鎌倉時代に修行僧が、日光山の金剛童子を神殿内に安置したため、金剛峰権現と呼ぶようになりました。建武年間(1336〜38)に大和葛城(かつらぎ)の金剛山を分祀(ぶんし)したので「金剛山」・「古峯ヶ原金剛山」と呼ぶようになり、明治2年(1869)の神仏分離令により、金剛童子は日光山に移され、現在の古峰神社となりました。
 火防・盗難除・海上安全・五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神として、東北・関東信越に渡る広い信仰圏を持ち、古峰ヶ原講として村落単位に組織され、代参者を交替に派遣しています。    (河内ふるさと探訪より)
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