【山行日】 2005年 7月 30日 (土) |

上海岳の標石 05.07.30 |
【山 域】 奥那須・男鹿山塊・県境尾根 |
【地 図】 1/2.5万図地理院(栗生沢)
地図(大川峠・1259m)
地図(上海岳)
地図(荻野釜沢線分岐・通行止の所) |
【天 候】 早朝雨、午前晴れ間曇り、午後雷雨 |
【所在地】 栃木県黒磯市 福島県田島町 |
【同行者】 山部単独
【関連ページ】大萱峠のトップ
上海岳周辺の日本山岳会コメントは、こちら>>
男鹿岳-3 (2005.07.18)
日本山岳会の記念事業はこちら>>
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【コースの所要時間】
大川峠−(1時間10分)−1422峰−(1時間20分)−1438峰−(1時間50分)−
−上海岳(休憩 15分)−(1時間25分)−1422峰−(55分)−大川峠
歩行時間 上り 4時間20分 + 下り 2時間 20分 コースタイムは文末に記載です。 |

「上海岳」 1438峰先より仰ぐ 05.07.30 |

山頂より歩いた尾根を見る、奥は男鹿岳 |
【大川峠〜1422峰〜上海岳へ】
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二週間前の男鹿岳に続いて大川峠に来た。 数日前に日本山岳会の地理クラブ(略・AGC)の遠山氏からメールがあり、大川峠へ再訪の連絡があった。 県境を歩こうと常々考えていたので、予定の男体山がなくなったので県境尾根ならと大川峠から上海岳歩きを選んだ。 前回から二週間経ちその間にだいぶ雨が降ったので栗生沢からの林道が心配だったが問題なかった。 「日本山岳会100周年記念事業の中央分水嶺踏査」があるのは知っていたが、現在進行形で栃木・福島県境が日本の中央分水嶺と改めて知った。
誰もいない峠にメモを書いて出発した。 尾根の取り付きは刈払われており明瞭だ。 早朝の雨に笹は濡れている。 上下共に雨具下着はランニング用のパンツとナイロンの半袖シャツの軽装だ。 予備の長袖も化繊ダクロンと靴下のみ、持ち物は菓子パンと水3gと頭にはタオルを結ぶ。 歩き始めて直ぐに蒸し暑さもあって汗と露でずぶ濡れ状態、汗は流れにまかす。 ゆっくりと尾根を登ると途中のピークに「山」の図根点の標石がありここからは歩いてきた尾根が見える。 ここから雑木の薮に入る、シャクナゲ、アスナロ、野生のブルーベリーとチシマザサが主体である。 AGCの方のピンクのマークの案内と刈払いで順調に歩いた。 1422m峰の手前には道形を思わせる溝があり手強い密なチシマのトンネルとなっている。 そこから15m程の急斜面は男鹿岳西斜面と同じ太い密ヂシマザサである。 ここもAGCの方の刈払いで楽に上がれた。 1422m峰は平らなピークで背丈を越えるチシマザサである、ここで北西に進路を変える。 見通しが無いピンクのマークを見失うが少し下り尾根下の溝でマークが現れた。 溝の手前の2本のアスナロの大木の所で給水する。 凍らせて持参したペットボトルからの水で生き返った。 ここからは時々はるか前方にこんもりとしたピークが見られる、笹に覆われた丸いピークで目指す上海岳だと地図で確認する。
重大な問題発生だ。 スカスカするので足元を見ると右足の靴底が無い、まくれて今にも完全に剥がれそうである。 どっかと腰を下ろして修理開始、2号保護Vテープでぐるぐる巻いて修理する。 100mも歩かないうちにテープはなくなってしまう。 今度は予備の靴紐で縛りその上から銅線で巻いて修理する。 用意が良いのに我ながら関心する。 しかし喜びもつかぬ間で今度は左足が剥がれる。 銅線を1/2
に切り詰めて両靴を修理する。 修理の為のタイムロスは合計1時間くらいを使ってしまう。 修理した銅線は薮に引っかかるし滑るしどうにもならない。
1438m峰先でマークは消えるもちろん見える道は無い薮を掻き分けると踏み跡らしきものがある所もある。 尾根はやせてアスナロなどの木の上を何ヶ所も歩く。 目指す上海岳は笹に覆われが見える、その先の空は嫌な感じになってきた。 とにかく急ぐ山頂付近の笹は背が低く快適だった。 あっけなく笹原を突破山頂に着く。 開かれたピークの一角に標石が置かれ何年か前に測量した残骸があった。 雷鳴が黒滝股山方面から聞こえる。 まだ黒雲は見えないが三倉、大倉山方面に積乱雲が発達しているりが見える。 あれは来ないだろうが周辺全体が靄って来たのでせわしい。 写真撮影、山名板設置、食事補水、靴修理と矢継ぎ早である。 とにかく上海岳の頂上に到達出来て達成感はある。 これが薮山歩きの醍醐味である。 |

上海岳の様子、高い樹木は無い |

壊れた靴、耐用年数でした。反省 |

頂上のブルーベリーは酸っぱかった |

積乱雲が見られる、(その後この雲が黒磯に豪雨を) |
【下山:大川峠へ、AGCの皆さん】 |
下山は道筋が解っているので楽である。 ルートを見つけながらとでは雲泥の差である。 まだ遠いが雷鳴に背中を押されて急ぐ。 あっ、また靴底が右足の底が無くなったのが感じとれる。 靴下の感じである。 しかし少ししっかりしている、靴のインナーが破れていないので靴下ではない。 そのまま歩く事とにしたが峠までインナーが破れる事なかった。 Sirioのトレッキングのインナーの丈夫さに助けられた。 途中霧雨が少し降ったが黒雲はこちらに来なかった。 1438m、1422mのピークを通過して図根点標石の所から峠と男鹿岳方向を見るとガスが掛かりだした。 時計を見ると割合と早くここまで来た、あと一息だと一呼吸して大川を見た。 大川の沢音が聞こえるようになりさらに笹を分け進むと、尾根先の峠に愛車と側に黄色のテントが見える。 どんどん下って峠の手前まで来るとAGCの皆さんが峠に居ると直ぐにわかった。 峠の広場では皆さんが拍手でにこやかに迎えてくれた。 挨拶をしてちょうど夕餉の所で、ご馳走までいただきその後カメラで記念撮影した。 AGCk皆さんは人生の先輩で多くの山を知っている方々で目的に向かって真摯にあたっているのを感じた。 山部は今日の上海岳をシャンハイダケだと思っていたが、前記の通りと教えていただいた。 色々なお話もお聞きした、話は尽きないが日の落ちる前に林道を下らなければならないので失礼した。 AGCの皆さんの上海岳その先への踏査の成功を祈る。 |

日本山岳会・地理クラブの皆さん |

中央分水嶺の記録を記した日章旗を囲んで |

雷鳴に終われ急ぐ、奥は男鹿岳 1422峰先 |

雨の栗生沢の集落 |
【下山、帰宅】
萩野釜沢林道の舗装された林道を萩野方面へショートカットのため向かったが、7,8分先で道が消えた。 この林道はまだ開通していなかった。 躊躇なく戻った。 雨が降っていたのは山中だけで田島町はぱらぱら程度だった。 その後尾頭トンネルを越え塩原に入りると雨になった。 ラジオの天気予報では那須地方、高原山は大雨警報が出て豪雨との事だった。 塩原の華の湯へ入寄って汗を流して帰った。
【山の情報】
AGCの皆さんから上海岳先の鞍部が「大萱峠」であるとを聞いた。 維新の会津戦争時水戸藩士がこの大萱峠を通って水戸に戻ったとのことです。 AGCの方が地元の古老から50年ほど前には踏み跡があったと聞いている。 大萱峠は百村街道(もむらかいどう)と言われていたそうです。 栗生沢集落−大萱峠−大川渓谷−百村のルートで大峠の脇街道だったのであろうか。詳しくはAGCさんのHPをご覧ください。 余談ですが大峠、大萱峠、大川峠と大が共通なのは偶然なんでしょうか。 またAGCさんからの情報ですが、黒滝股山は地元では「アノ山」と言っているそうです。 AGCさんによると1360m峰?を黒滝山と言い平野氏所有の『明治9年発行の「若松県第一大区全図」にもこのような表記になっている。 昔の山名は今と相違しています、黒滝股山はアノ山、上海岳は黒滝岐となって県境の山となりそうです?。 大萱峠は姥坂峠、兎峠の呼称である。 大萱峠は男鹿岳から三本槍岳間の最低鞍部1240mである。 |
【コースのタイム】
自宅発(5:05)==鹿沼IC==(東北道)==西那須野IC==山王峠==田島町(6:40)==栗生沢集落==荻野釜沢線分岐・通行止ゲート(6:55)==(大川林道 オーガ沢橋・男鹿沢橋・白糸橋)==大川峠(7:25-8:00)−−「山」標石(8:20)−−1422峰(9:10)−−1438峰(10:30)−−上海岳(13:20-35)−−1432峰−−1422峰(15:00)−−「山」標石(15:30)−−大川峠(15:55-16:50)==田島・旧南会津郡役所(17:45)==塩原「華の湯」(18:20-55)==西那須野IC===(東北道)===鹿沼IC==自宅着(20:30) |