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小太郎山(御料局三角点峰) NO.355 |
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測量の基準点である三角点がそれぞれの峰にある。 明治期の旧宮内省設置の「御料局三角点」の小太郎山、現役の国土地理院設置の「三等三角点」だ。 今回の山行は旧宮内省設置の界標設置状況調査に前週に続き歩いた。 |
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小太郎御料局三角点峰 地形図 日光 / 男体山
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【山行日】 2009年 6月 13日(土) |
【天 候】 曇り一時降雨、陽射す時もあり |
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【山 域】 太郎山 |
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【地形図】 日光 - 男体山
「小太郎山」 こちら>>
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【同伴者】 単独
【関連ページ】旧宮内省 宮界標 こちら>>
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【標石データ】
旧宮内省の設置基準点である、
(明治期)御料局三角点がある。
標高 2328 mは、
(国地院地形図記載の標高)
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【所在地】 日光市
【緯度 経度】
36°48′52.9 / 139°28′45.6
* (緯度経度は、
簡易なGPSによる測定値です)
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【山名 ・ 小太郎山】
小太郎山から隣の太郎山までは約500mの距離がある、太郎山のお花畑が火口であり、外輪山の最高所が太郎山山頂である。 小太郎山はその外輪山から山王帽子山(帽子を置いたような形の山)を結ぶ尾根にある小広いピークである。 小太郎山も火山岩、火山礫が積み重なっているので火山活動によるものだろうか。 この尾根の両側は急峻で光徳と川俣に切れ落ちている峰となっている。 太郎山との間には剣が峰の岩場もがあり、アルペンムードがただよう。 お花畑を取り巻く外輪山の岩峰は見事で特に南峰の外面の垂直な岩壁は圧巻である。 火口は埋まりその真ん中を登山道が通る、お花畑と呼んでいる火口には背の低い笹が地糠のようになっている。
小太郎山や太郎山からの男体山方面の展望は素晴らしく、男体山の容姿はここからが一番と美しいと思っている。 男体山山頂も外輪山のピークだ、小太郎山に向って火口を広げている様は、日光市内から見る男体山と違った起伏にとんだ山容を見る事が出来る。
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「宮 界乙五」の所にある番号刻字の無い界標(宮、界の文字のみ刻字あり) 写真奥が予備石
( 標石は宮界標と言い明治期に旧宮内省帝室林野局測量部が設置した境界石です )
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【ルート選定】
小太郎山へは光徳からハガタテの沢を登るのが主ルートであったが、落石が多く現在は山王峠から山王帽子山経由で歩かれるようだ。 太郎山への途中ののピークとしての中継地の位置づけであろうか。 太郎山経由で小太郎山へは志津への裏男体林道の七曲先分岐から太郎山登山口を利用し太郎山経由で小太郎山へもある、しかし太郎山に登られると小太郎山までは足を延ばされないようで残念である。
今回も、小太郎山(太郎山)へは七曲先の太郎山登山口を選んだ。 登山道は笹で始まるが尾根筋に達すると直ぐにシャクナゲがあり、尾根を縫うように樹林の中を歩く。 尾根は段々と薙(なぎ・ガレ沢)に沿った道となり何ヶ所か薙の縁に出る。 この後樹林の中を掘れた道を黙々と高度を上げ歩くのである。 登山口の標高は1660m位である、お花畑のある外輪山は標高2300mを少し切ったくらいのだから標高差は640m位であるので焦らずゆっくりと歩きたい、途中には崩落地(新薙・剣が峰)もあるが問題は無いと思うが落石転落に注意をしたい。 新薙では六月中旬には、コケモモやイワカガミが咲いて途中にはミネザクラも見られる。 樹林はコメツガ主体だが高度が上がるとダケカンバが目立ち下草はミヤコザサである。
私の今回のルートは高度1850m付近の国有林境界杭「見出標 乙28イ1」から登山道から離れて北東に境界杭を目標に歩く。 (このルートは太郎山への登山ルートではありませんので注意ください。)
このあとは界標を追って太郎山南東斜面薙横尾根、山腹を横切って東斜面尾根を山頂まで歩いた。 太郎山頂から小太郎山頂まで進み、山頂からの戻りは太郎山の外輪山縁から直接お花畑(火口)へ下り、登山道をくだって登山口に戻るルートだ。 (今回の山行は明治の測量の境界杭「宮
界標」の探索調査の為に歩いた。)
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明治の界標ルートは、解明できた、一部詳細はまだ残った。
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倒木を取り除き苔を剥がした、「宮 界乙四」界標
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【往路 ・日光修験の寒沢宿を見てから「宮 界標」探索、太郎山経由小太郎山】
新薙に沿った登山道は急な上に荒れたものでこのルートからの太郎山は好きではない。 約40分も歩くと登山道(1868m)に国有林「見出標乙38イ1」がある、ここから道と分かれる。 開かれた国有林の境界に沿って約50m進むと開けた場所に出る。 以前有ったのだろう木材集積中継地のようで鉄索類が錆捨てられていた。 ここには「見出標
乙38」があり、木々に塗られた赤ペンキを案内に「見出標 乙16」まで進む分かりやすい。 ここにある界標(標石)は旧宮内省測量隊が測量し設置したものであり日本の黎明期の測量史に思い馳せながら界標を見て歩く。 薙を越えた所の「見出標
乙16」が有って界標は薙に沿った尾根を太郎山頂に向って設置されている。 ここまでは前週と同じである。
界標調査の前の寄り道である前週先を急ぐあまり観察できなかった日光修験の寒沢宿跡へ向った。 このルートは昔の作業路らしく錆びた打ち捨てられた索道が所々見られる、樹林の中を進むとやがて石油缶にジュース缶の詰まった廃棄物を見ると程なく寒沢宿跡に着く。 寒沢宿跡は樹林に空を作っている、緑のスギゴケのジュータンを敷き詰めている。 先を急ぐと見落として通過てしまう所なので注意が必要である。 火炎の光背を背負った金剛像が目を光らせている気配を感じると気持ちは古にタイムスリップしてしまう。 深山を回峰し祈り悟りを開く境地は私には分からないが思いだけは馳せられる。 金剛像光背の前回刻字の解読出来なかった所を丹念に調べた。 少し離れた所に柱が倒れていた角錐の頭部なのでただの角材ではない、墨書は確認できなかったが祈願柱のよう感じだ。、10年以上は経っているように見えるが。
寒沢宿跡に立ち寄った後は一旦「界乙一六」まで戻ってからは界標調査を始める。 前回は「界乙五」までを確認してある、奥日光森林事務所で教えていただき「界乙四」の存在知ったので今回は意欲十分である。 薙に沿った尾根は再度歩くと簡単に進む、途中で界標の予備品と言うか材料の石柱が2ヵ所あるその状況を再確認した。 「界乙六」、こまでは昨年森林事務所で設置した見出標と赤ペンキが塗られた界標があり刈払いがしたありスムーズであり 「界乙五」までも問題はなかった。 更に「界乙四」も簡単に見つけた、倒木が半分覆っていたが直ぐに確認出来た。 これでこの尾根の界標調査にひと区切りがついた。
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薙の岩場に咲く
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薙の横は岩の重なる苔むした樹林
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「界乙四」の先は太郎山腹を標高を維持しながら直線的に北進して太郎山の東尾根へ、この尾根は宿坊跡の上部となる尾根である。 「界乙四」からの状況は苔むした倒木と岩を乗り越え、巻きながら高度を維持しながら進む大小二つの薙を越す、二つ目は大きな薙で手前の安定した所を探索すれどなかった。 隣の尾根の樹林の様子を見るが、この薙(ガレ沢)なら越えるのは問題は無いようだ。 しかし、界標「界乙 」は発見出来なかったのでこの先どの界標に接するのか不安に思った。 とりあえず薙の中に下りる家ほどの大岩が不安定に見えるが、溶岩の固まった岩盤層それが崩落を抑えている。 薙の上部は二股に分かれていて、右側は溶岩の岩盤でそこにコケモモの白い花が咲き群落を作っている。 それにイワウチワのピンクの花が彩りを添えている。
薙を越えると薮尾根に突入だ、尾根は宿坊跡の上部の標高2000m付近だ。 この尾根は広い薮と倒木の中を探しまわると、上部の折れた御影石が見つかった。 これでこの尾根が境界であることが判明した感じだが、折れて上部欠損しているのでどうしても刻字のある界標を見たい。 それからはそこから登ったり下ったり標高が「界乙四」と同じなのと上下50mの範囲には見つけられない。 あきらめて太郎山頂へ尾根を登り始めると、赤テープを見つける年数は経っているがこんな所に来る人がいると思うと同志を得た気がする。 更に進むと尾根のやや北側についに宮の付いた界標を見る、裏面を見ると「界甲七〇〇」と確認した。 そうすると上部欠損の界標は「七〇一」なのだろうか、もう一度欠損界標の下部を探索したが見つけられなかった。 詳細調査は後日にし再び山頂に向って探索を始めた。
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「宮 界甲七〇〇」
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「宮 界甲六九八」と、猫の耳岩
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東尾根の傾斜は増しそれと倒木が増え立木細く密になる。 界標探しではあらゆる情報を得ようと樹林の中を目を凝らして終始観察する。 重要な情報の1つに境界を示す赤ペンキだ、これがあれば付近に見出標や界標があるはずで探索範囲が絞れるのである。 「界甲七〇〇」を見つけたのも薙に挟まれたやや広い尾根の北側だった、これはうっすらと立木残っていた赤ペンキ跡である。 このほか小さな赤ビニルテープをこの尾根で3点見たこれは界標に関係ないと思われる。 この尾根に有ったろう思われる修験の回峰道と国有林管理路を歩いた痕跡であろうか。 またこの付近は国有林の管理が奥日光と川俣と二分される尾根であるが国有林であるので界標設置や現在は赤ペンキは必要ないのだろう。 それでも倒木の横に薄っすらと赤ペンキを見た時は境界のラインを見たと思う。(ペンキの付近に必ず界標があるのではないが)
界標間は約30m 〜 50m位であるので一点見つけられないと次への距離は不明となる。 岩と薮そして倒木に調査より歩行の確保と高度を上げるルートを見つけることになりつつある、「七〇〇」の次の界標は偶然に大岩の裏に回り込むとそこに「界甲六九八」が有った。 調査し終わってその場を後にして振り返ると大岩は猫の耳形で有った、印象に今でも明確なので再訪時の良い目印だ。 今日はこの「界甲六九八」を最後に新たな確認は出来なかった。 先日太郎山上部で「界甲六九〇」を見ているの自信の探索も確認に至らなかった。 太郎山山頂に首を出すとひとグループが昼食中だった。 太郎山山頂から小太郎山御料局三角点までへの尾根上にも無かった。
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太郎山頂
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【復路 ・ 小太郎山から太郎山外輪山からお花畑経由で登山口へ戻る】
太郎山山頂での眺望は薄っすらとした雲にせいぜい10キロ先まで、小太郎山頂では雨粒が雨具を着込んで帰路つく。 小太郎山隣の岩場 剣が峰は濡れていたので巻き道を通り外輪山の峰に乗る。 雨は止み陽差しがガスが通り過ぎる、急速に回復するが不安定な天気に変わりはない。 外輪山南峰の外面の垂直な岩は圧巻である。 よし今日はここから直接お花畑へ下ろうと笹原を見ると鹿道がある。 歩き易い難なくお花畑に着く、途中に雪が残っていたが雰囲気は初夏になっている。 広いお花畑ではご夫婦が昼食であろうかシートを広げていた。 この日はこのまま一気に太郎山口へと下って帰路に着いた。
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小太郎山の御料局三角点標石 ケルンの中にあり
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太郎山のお花畑を囲む外輪山、南峰の岩峰
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剣が峰大岩付近 (新薙)
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御婆(婆神) (志津)
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金剛像 (太郎山,小真名子山鞍部寒沢宿跡)
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金剛像 (志津)
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【所要時間】
太郎山登山口 6:00 - 寒沢宿跡 7:20 - 界10 8:18 - 界5 8:33 - 界4 8:39 - 薙・花 9:00-15 - 界甲701? 9:24 - 界甲700 9:33 - 界甲698 10:21 - 界甲690 11:30 - 太郎山頂 11:40 - 小太郎山頂 12:06 - 外輪山 12:18 - お花畑 13:30 - 新薙(剣ヶ峰)・花
12:44 - 登山口着 14:10 (志津小屋・御婆石仏 14:30)
* 太郎山南東、東斜面は登山道はありません、薮、倒木、ガレ場、急斜面通過など危険な所があります、一般には無理です。
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【あとがき】
今回は太郎山周辺の調査の最終回、「界乙四」の存在を奥日光森林事務所で聞いたので今回は必ず見つけようと山に入った。 到木に隠れていたが見つけられた。 「界乙一、二、三」は四から90度曲がり太郎山腹を北進して、太郎山頂と宿坊跡を結ぶ線(尾根)の「界甲」へ結ぶのである。 山腹北進は薙(ガレ沢)と複雑な地形、倒木、薮で到底簡単には見つけられない状況であり今回は確認できなかった。
幸い「界甲七〇〇」を見つけられた、下がった所で上部欠損のミガゲ石をも発見した今日の収穫でした。 しかし、それからは「界甲六九八」以外に新規確認は出来なかった。 前週の「界甲六九〇」を視ておいたのが救いになった。 この付近は再度の調査が必要に思う。
車に戻ってから、「御婆」像を志津に見に行った。 志津は男体山、女峰山、太郎山、(大真名子山)の鞍部にある。 男体山を開いた勝道上人は、この地志津から男体山登頂を果たされている。 その後志津は日光修験回峰行の中心的な宿となっていった。 『志津という地名は出羽三山の婆沢にある地名で、出羽三山の信仰がこの地に入ったのは江戸時代初めと思われる、』と
「里山の石仏巡礼」 田中英雄書にある。
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