小川路峠越え秋葉街道・一等水準点標石
長野県飯田市 八幡宿(神社)〜小川路峠


小川路峠 (秋葉街道)


秋葉街道(秋葉道)とは伊那地方の飯田八幡宿を起点として、小川路峠、遠山郷を経て火の神さま秋葉神社への参詣に使った信仰の道であり物流や軍事の道でもあった。。 南アルプス赤石山脈と伊那山地に挟まれ、天竜川に沿った伊那と中央構造線上にある遠山郷を結ぶ小川路峠を越える複雑な尾根は難所だった。 秋葉街道を遠山郷から北に高遠へと表示し小川路峠越えが消えているページがあるが、高遠への地蔵峠越えは裏道であり秋葉山への一般参詣道としては小川路峠越えが秋葉街道(秋葉道)である。

国地院旧版図 1/5万地形図 内務省地理調査所 明治44年測図 昭和8年修正 昭和21年10月発行 地形図の小川路峠付近に『秋葉街道』の記載がある。




秋葉街道・二十一番観音



【秋葉道(街道)小川路峠の水準点調査】
明治政府の地図作りは、内務省から参謀本部陸地測量部に移り全国測量は進み中部山岳地帯へ測量官たちがやって来た。 小川路峠を通過する水準線路は、『従静岡縣遠江國小笠郡大池村・至長野縣信濃國諏訪郡下諏訪町ノ通路』とある。 この線路の一等水準点標石は秋葉街道・小川路峠付近では『明治廿九年十月』に埋石されたとある。 埋石者は測量掛 陸地測量手小西英敏であり、標石には三河國産花崗岩が使用された。

調査集合場所は飯田市の鶴ヶ峰八幡宮前に、一等水準点5321号が埋石されているので、場所としては明確で間違いない。 この水準点5321号は、昭和十年十一月五日に倉持壽吉よにり移設されたものである。 (倉持壽吉は、明治四十年頃から昭和十年代に水準測量に携わった測量官であり、二等水準点聖号の選点埋石など水準点造標作業に従事した。) 飯田市鶴ヶ峰八幡宮から小川路峠までの水準点線路の標石調査に向かう、現在の同号水準点路線は国道251号沿いに変更になっている。 小川路峠を通る秋葉街道の水準点は廃点となっている今回その旧標石の発見が目的の調査である。 車で通れる集落内の道路は拡幅改修舗装道路傍の点はパスして峠道のある権現山麓の観世音堂へ向かう。



路傍の石仏が往時を彷彿させる


観世音堂の前を秋葉街道が通る、そこから道は植林地の中を登って行く、途中に『□5316』がある筈だが、パスして車道を先まで車で進む、尾根に上がると厳重な金属柵のゲートがある開けて林道に入る。 少し走って小広い場所に駐車しその先も林道は続くがここからは歩行とする。 直ぐに卯月山への道を分ける、車でも走れる整備された道は勾配もなくハイキングのようだ。 水準点『□5315』に近づくと調査隊先行のO田氏から標石発見の声がする。 あっけない標石発見に一堂拍子抜けであったが歴史的な標石発見に感激が込み上げる。 欲深なもので次の標石の発見も簡単にと期待をするものだ。 汗馬沢の尾根を過ぎると『□5314』付近に差し掛かり手分けして落ち葉を払い法面の土を足で払うも見つからずで、ここは先送りにし帰りに探索することにし小川路峠へ向かう。 小川路峠前の『□5313』が線路中の最高標高 1553.07mでありぜひとも発見をしたいものである。




落ち葉が積もる尾根道


□5313へは約300m強標高を上げなければならない。 それでも適度に石仏が随所にあって飽きさせない、途中の堂屋敷跡では石灰を焼いた跡の案内札があった、ここから九十九に曲がりながさらに高度を上げる。 尾根を巻くと笹の中に分岐がある。 さらに掘れた道を進むと右側に点の記で見た挿絵の石積と同じ光景が目に飛び込む。 苔む生した水準点標石(□5313)がそこにあった。 100余年の歳月を経てなお健在、どっしりと鎮座していた。 明治の測量人が見た小川路峠越えの秋葉街道は今と同じだったのだろうか。 測量人たちが何度も行き来した道も、昭和43年に赤石隋道、さらに平成6年矢筈トンネルが完成すると歩く人は減り水準点標石や石仏は一部の篤志家以外には忘れかけられた。(秋葉街道は地元の観光協会などで保存活動をされています。)

 


雲間に見える空木岳・薬師岳方面


□5313から小川路峠へは平坦な道が尾根の西側を巻くように歩く、峠手前で少し登ると広い峠へ到着する。 花菱屋茶屋跡プレートと多数の切り株が目に入る、寒い吹き抜ける風は小川路峠に厳しい冬の到来を告げている。 ピークの山影にザックを降ろして遅い朝食兼昼食をとった。

小川路峠に対峙する片方の峰には大きな反射板(アンテナ)があり見学した。 反射板傍には古いコンクリートの堅固な基礎、それに野太いボルトが埋め込まれている。 周囲は仮払らわられているが遠望には立木が邪魔をしていた。 強風にフリースのジッパーを襟まで閉じた。


 
   小川路峠の反射板                   四等三角点『小川路』


小川路峠から風に背を押されながら元来た道を戻る。 途中の四等三角点『小川路』に立ち寄る。 里にある四等三角点と変わらないが、木製の表示杭はこの付近の温度が低く朽ちないで残っているのだろうか。 今回の調査で秋葉街道・小川路峠付近の、旧一等水準点標石2基の現認が出来たことの意義は大きい。 その後再度□5313,□5315を確認しながら下山した。 観世音堂付近の□5316は植林地内に旧点の記と同じ所はあったが埋没したのだろうか発見できなかった。 越久保の神社前□5317、風張の分岐点□5318、牧内の□5319の探索では当時と環境は変化し発見できなかった。 その後飯田市立浜井場小学校にある一等水準点『基57』を見学した。


 
   一等水準点『基57』                   八幡宮前の道標(左・あきば道)


【一等水準点5313号『小川路峠』】
秋葉街道・小川路峠付近の旧線路設置の一等水準点標石調査で確認されたものは『□5313』『□5315』の標石2基であった。 旧線路に残る標石番号は赤石隋道ルートに新設(同番号)旧路線の小川路峠越えルートの標石は地形図から消えた。 しかし、赤石隋道や矢筈トンネルが開通、秋葉街道には手が入らず残されたことにより旧標石が残ったことは幸運と言えるだろう。 この水準点標石が初期の形状であり地図測量史上、貴重な歴史遺産であることを知る人は少ない。 私は□5313に『小川路峠』の称号を与えたい。

一等水準点5313号は、小川路峠越え線路中最高標高に設置されたの標石であり、当時の「点の記」に記されている挿絵の状態を今に残しているのは貴重である。 標石の状態も良くそのまま埋没しないように定期的に保存点検をすべきであろう。
確認されている国内一等水準点中、第二の標高の水準点である。 (一等水準点国内最高第1位は、一等水準点971号『野麦峠』 1672.4739m(運用中)、 この他に二等水準点徳24号『引馬峠』 1895.6m(廃点) がある。 『野麦峠』のページは、こちら>> 『引馬峠』のページは、こちら>>




一等水準点 5313号


【一等水準点5315号】
当時の秋葉街道の小川路峠越えへの道(以下古道と表現)は一部は古道化し、麓の観世音堂から九十九道(植林地の管理道)の斜面を登り切通しを過ぎると現在の林道に出る。 この林道は石仏が各所にあるところや当時の地形図から概ね同じ位置と思われる。 古道は拡幅され林道となっているが、一等水準点5315号はそり林道路端に設置されている。 設置状況は道の山側であり法面ぎりぎりの位置で周囲には松の木が植えられていた、私感ではあるが林道拡幅時に標石を移動した事も考えられる、想像の域であるが。 標石には傷なども無い、廃点とはいえ測量法上の永久標石である永遠に残したい標石である。


一等水準点 5315号


標石形状は旧甲州街道・八王子市『小仏峠下』に似ている。 前面刻字書体共に美しい裏面刻字「五三一三号・五三一三号」も同じで上面の半球体にも傷はない。 文字『點』は、烈点である。 


【メンバー】 標石保存協会神奈川支部 長島氏、武田氏、太田氏、中村の4名

【調査日】
2010年11月23日(祝) 【天 候】  曇り/朝雨・一時陽射しあり
【山 域】 赤石山地  【所在地】 長野県飯田市上堅田周辺
【地 図】 国土地理院 1/5万図 飯田  1/2.5万図 時又
       地形図(飯田市・八幡宮 地形図(□5315付近) 地形図(小川路峠付近) 

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