枯木山・峠と県境尾根 NO.700-2
その昔、福島栃木県境の尾根に枯木峠があった。古地図の国絵図・下野国(天保6年・1835)に国境を枯木峠の峯とするとある、湯西から会津への道も記されている。歴史の上に名を残す枯木峠である、秘峰・枯木山への登行記録です。現在はどの林道からも遠く踏跡もない。

枯木山のピークから見た栃木県境尾根・後方先は高原山

   【山行日】 2006年 3月18日(土)
   【天 候】 晴れ午後曇り、気温夜間−1.5℃ 昼間 2,3℃体感
   【山 域】 県境尾根(栗山・湯西川 南会津)
   【所在地】 栃木県日光市(栗山) 福島県舘岩村
   【地 図】 国土地理院 1/2.5万図 湯西川
        
地図(白滝沢南岸尾根) 地図(県境尾根と枯木山)
   【メンバー】ノラさん、山部の2人

   【参考HP】 烏ヶ森の住人さんHP「日光連山」の報告はこちらです。
         YoshiさんHP「高原山探訪」の報告はこちらです。

            
黒田さんの報告が「山の本NO.54号 秘峰・枯木山」にあります。

     
【栃木の山283+のHP】2005年10月29日30日の枯木山のページはこちらです。

【タイム】

3/17新栃木駅合流(23:00) == 仮眠・3/18湯西川・駐車地(5:00発) − 安ヶ森ロッジ(5:20) − 948mベンチ(6:00) − 1077m峰(6:45) − 1220m峰(7:30) − 1467.1m(9:00) − 1692m(10:25) − 1720m尾根の端(10:55) − (SSKさんと立ち話) − 枯木山山頂(11:25-45下山) − 1720m尾根の端
(12:05) − 1692m峰(12:20) − 1467.1m峰・三角点(13:15) − 1220m峰(14:01) − 1110m峰(14:30) − 1321m峰手前鞍部(14:35小沢へ下降) − 木ノ沢林道・看板付近(14:55) − 林道口・移木沢仲石橋(15:20) − 湯西川・駐車場(15:40着) == 新栃木駅(17:30)
  歩行時間 約10時間40分      *(小山−約110Km−湯西川)

SSKさんの新しい山名板

会津駒ヶ岳と大戸沢岳 枯木山頂上から 

リベンジの枯木山
 昨年10月末に田代山峠(林道)から県境尾根を歩いた。 その時は頂上尾根を目前に対峙するピークまでで敗退した。 その時は烏ヶ森の住人さんとノラさんとの3人であった。 今回はノラさんと2人で挑戦した。 ノラさんは風邪の病み上がり、山部も直前までの仕事で疲れ気味であった。 東武の新栃木駅で待ち合わせして深夜目的地の湯西川へ向かう。 今回の枯木山へは直前に3/11のYoshiさんに続き3/15に烏ヶ森の住人さんが歩かれた情報で最近の枯木山の様子を知り予定を実行した。


アイゼンが外れそう ( 948峰手前)

1220m峰先のやせ尾根

往路は白滝沢南岸尾根
 湯西川の安が森林道は閉鎖中でバリケードの雪のブロック手前空地に駐車した。 ここがスタート地点である。 前夜の打ち合わせでスタートは夜明け頃5時半と決めておいたが、まだ暗い4時半目が覚めてしまい、ごそごそと準備を始める。 そこへ大宮ナンバーの車がやって来た、その方は直ぐにスターと体制であれあれという間に歩き出した。 直ぐに戻ってきたので『枯木山ですか』と声を掛けると『そうです』とだけ言ってスタートしていった。 我々は予定を繰り上げて5時のスタートとなった。 頭にはヘッドランプ点灯して雪のブロックをすり抜ける。 林道には雪はないこれなら楽々舗装道路歩きである。 しかし路面は縞模様のように黒く凍結していた。 一度滑って完全転倒でも無傷で立ち上がった。 暗さと地図を開きながら歩いていたのでは当たり前だな。

 廃墟のような焼却場、移木沢の仲石橋を過ぎると、まだ暗い安が森ロッジに着いた。 ここから安が森林道と別れてキャンプ場への道へ進む周囲は一面の雪原である。 948mがまず目標のターゲットであり、白滝沢を見るも渉れそうに無いここは地図の橋まで行かなければならないと林道を奥に進む。 しばらくすると白滝沢に架かる橋があってキャンプ場とか書かれてあった(橋名は不明)。 早速向かいの948mピークを目指して歩き始める、少し登った途中でアイゼンを着ける。 斜面左は植林地となっている、そちらは雪の塊があるので直登した、途中に案内板「山頂」があった。 これまでは気がつかなかったが踏み跡があった(Yoshiさんのだろう)。 尾根に上がるとベンチがあるここが948mピークだ。 ノラさん装着のアイゼンがしっくり行かず何度も締め直す。

 ピークから一旦鞍部へゆっくりと下る、次のターゲットは1077m峰だ。 葉を落とした梢の先は伸びやかに明るい陽射しが尾根に差し込んで来た。 尾根上からは県境尾根、北東には安が森山だろうか白い山が一際朝日に輝いている。 ノラさんのアイゼンの調子が依然不調で、銅線にて追加固定するこの後ノラさんが縛り方を工夫して落ち着いた。 1077mへは一部踏み抜きもあるものの、カラマツ林の影で歩きもまずまずであった。 1077mピークで一服して振り返ると荒海山が名の通り荒々しく見える。

 緩やかに鞍部へ下り見上げると1220mは向かうにつれ大きく聳え立つように見える。 真っ直ぐに進む訳でなく北東尾根の1160mの所に向かう、その尾根には雪庇が発達している、乗り越え尾根に立つと眼前には目指す枯木山の峰が現れた。 1210mのピークから1220mのピークへはゆったりした尾根歩きとなった。 1220mピークには先行の大宮ナンバーの方の足跡がありここで合流した、足跡は点々と枯木山へ向かって着いている。 先の尾根を姿を探したがかった。

1467.1m三角点峰と新しい山名板(SSKさん)

ワイヤの掛かった大木

 1220m峰の木に赤布が付けてあった。 少し進むと何本ものワイヤーが付けられ立ち枯れた大木があった、よく見ると縛られたワイヤーの下からは若木の枝が出ていたので安心した。 
 出発地、枯木山の標高差は1000mを越える、1220m峰を過ぎ高度の半分は上がった。 この尾根までは白滝沢南岸尾根を歩く、1220mで木ノ沢北岸尾根を合わせる。(沢から見て左、右岸尾根と言う表現もあるが、人により沢を上流、下流まちまちである。ここでは南北の表現とした。) 1220mピークの尾根からは日光方面の山が見え出した、とりわけ湯西川集落の上にある明神ヶ岳、高倉山の尾根は新たな方向の近くから見ることが出来た。

 1220mを過ぎてから一旦カンジキ、スノーシューを付けたがしばらくしてから外した。 この日この後は使う事はなかった。 1467.1mの三角点峰への途中の鞍部のヤセ尾根には雪庇があるが問題はない。 枯木山の前衛1692m峰が大きくなって来る、徐々に高度が上がると南側が開けて雪原となる踏み抜きに気を使いながら歩く。 景色はどんどん良くなる。 1467.1mの三角点峰へ着いて一服する、雪の下に標石がどこにあるのだろうと予想するも無駄なことであった。 真新しい標識が付いていた、よく見ると[木ノ沢△2006.3.17 SSK]で今日の日付だ先行の方だろう。 ここでも先を見るも先行の姿は見えずである。

 いよいよ本日の核心部の1692m峰である。 地図の1502mポイント辺りまでは踏み抜き注意の尾根散歩であったが、進むにつれ急な登りと変わる。 寒風にさらされてセキが出る、風邪でもひいたかなー。 途中のシラビソの大木の近くにスノーシューをデポ、これだけでもだいぶ楽になった。 何度か休みながらノラさんに遅れて1692m峰に立つ広い雪原の県境のピークである。 県境の尾根は雪庇の張り出した危険な状態の尾根が連なっていた。 明るい尾根はブナ、ミズナラ、シラビソなどの快適な所で展望台といった所である。 時間は予定通りである、あとは大きく見える雪庇の頂上尾根に上手く上がれるだけになった。


1720m頂上尾根南端から田代山を見る

頂上尾根直前から下方を見る・右はアサズマ沢

 見上げる枯木山の南北に連ねる尾根には東側に雪庇が大きく迫出している。 情報によるとルート上には雪庇が行く手を塞がっているようで、ピッケル、アイゼン、確保用のロープ持参で万難を排して望んでここまで来た。 しかし先行者のキックステップの跡は雪面に足場を付ている。 しかしアイゼンはつけていない、ストックからピッケルの跡に変わっている。 ルート上の所だけ雪庇は崩れ落ちたのだろうか痕跡は一切なかった。 ここで滑落したらアサズマ沢の谷底まで一直線で痕跡もないだろう。 我々はアイゼンをつけているので難なく登り通過した。 この県境尾根は栃木側は極端な切れ落ち込みに雪庇が付いている、会津側は樹林帯である。 夏には対峙する峰まで来たがここからそこまでは露岩の峰で歩けるような状態でない、尾根をつなぐのは次の機会になるのは当然に思われる。 田代山の白い雪原が見え、その先に白いピークの頭が見える帝釈山だろうか。

 枯木の尾根は雪庇の見本のようなもので、何層にも重なり迫出し幅も大きい。 雪庇の根はどこなのだろうか、樹木があるので見当は付くが無数に入る亀裂が壊れそうである。 樹木の下をくぐろうと足を踏ん張った途端に大腿部まで踏み抜いてしまった、亀裂の上に雪が被っていたのである。 前方から大宮ナンバーの先行者が頂上から戻って来た。 挨拶をして顔を見て『ノラさん、、、』二人は知り合いだった、以前に尾頭峠から三依山の途中でお会いした方という。 単独で歩かれ栃木の山も完了、会津、越後の山を最近は歩いているという。 越後の山の話などしばらくの間山談議に花が咲いた。 終始追いつけず歩く姿さえ確認出来なかった。 無雪期に見た枯木山の尾根はラクダのコブが在ったはずだが雪庇の尾根はほぼ水平に感じた。

 枯木山の山頂はこんもりとした所でピークの雰囲気ぴったりの所である。 ここには雪庇はなぜ出来ないのだろうか、尾根北端のピークは尾根を越える風だけでなく色々の方向から吹き付けるからなのだろうか。 ここにも新しいSSKさんの山名板が掛けられていた。 木製のものと木の字の消えたトタンの板が針金で絡げられていた。 前回持ち帰った枯木山の山名板は枯木山にふさわしい枯木に掛けた、生長しないだろうがロープは長めにした。 枯木頂上に立ってはじめてこの山に親近感が湧いてきた、想像以上の眺望にも感激だ。 北の白い山並みは飯豊山だろうか、会津駒ヶ岳、大戸沢岳も沢の奥まで見えました。 会津の山々、大嵐山も近い、那須、鹿又岳、高原山と続く、日光連山その前には明神ヶ岳、、白根山も頭を湯前嶽(温泉岳)の上に見せている。 しばらくの時、至福の鳥瞰を楽しむ。 


SSKさん・頂上尾根でお会いする

雪庇の張り出した尾根を歩く


ノラさん

山部


下山へ
 11時45分、荷をまとめて下山開始である。 頂上を踏んだということで気持ちが楽になると足取りも速くなる。 ズボズボと足を取られながらも急ぐ、1692mの県境尾根の眺望に別れを惜しみながら先を急ぐ。 しかし、つけが回ってきた、足が攣ったしばらく休みゲータレードを飲む。 回復してからデポしたスノーシューを回収して再び歩きはじめる。 三角点峰の手前のカーブピークはやや巻いて通過し小ピークを越えて一登りで1467.1m峰・三角点峰に到着する。 急がなくても良いほぼ予定通りの時間であるが何故か急いでしまう、それが結果的には休み時間を増やしてしまう。 ペース配分を考えなくてはダメだなーまだ青い。 戻りの尾根はおおむね小さなピークがあっても下り主体で快調に進む、南の下方には湯西川のスキー場と前山を見下ろす、ワイヤの掛かった木を通過すると1220mの分岐のピークにやって来た。

 先行のSSKさんは元来たルートを戻ったようだ。 下山は烏ヶ森の住人さんのルートと決めていたので木ノ沢北尾根の靴跡をたどる。 尾根から巻き道らしきトラバース、足は相変わらず踏み抜くが下る。 このルートの方が登りでは辛そうに思うがどうなんだろうか。 靴跡は東の尾根へと着いている、木ノ沢林道へ下りる気配はないようだ。 我々は東の尾根を最後まで進んで安が森林道まで一挙に歩くとの案も持っていたので、躊躇なく足跡を追うしかし今まで登ってきた時の跡は1220mのほんの少しで見ていない。 どこから上がって来たのだろう今でもわからない、木ノ沢林道と言っていたと思うが。

 先へ先へと靴跡(ビブラムソール)は1021m峰へ尾根をたどっている。 1021m峰手前の鞍部で靴跡は木ノ沢林道側のカラマツと檜の林の沢を下っている。 地図の沢が二股の所へ向かっている。 ここまで後を追うと見届けたいとの気持ちもあり、ノラさんに下ることを告げる。 アイゼンを付けているので問題はない、そろそろ沢の下方が見える所で山部滑落、5,6m位滑った所の雪面に出ていた木につかまり停止する。 アイゼンを付けているのでアイゼンの歯が引っかからないように滑った、初め尻セードのノーコントロール状態のようだ。 このような沢を最後の最後まで下りてしまうと必ず水と遭遇して登り返す事になるので、途中からややトラバース気味に歩くとSSKさんの靴跡もトラバスしていた。 まあこの程度はここを下る人には常識だろうが。 進むと林道に飛び出した雪に押し倒された案内板の所でアイゼンを外す、ここからは思っていたよりは長い林道歩きとなった。 安が森林道、仲石橋から林道入口の駐車場までは疲れの中にも充実した枯木山の思い焼付け帰途についた。

 今回の山行にあたり快くご一緒いただいた、ノラさんには感謝、感謝である。  山部記
  

1021m峰手前の鞍部、ここから木ノ沢林道へ

カメラを構える山部

枯木峠
 江戸時代の國絵図には下野国(栃木)から会津へ抜ける道は栃木側の横川から会津田島に抜ける山王峠(会津西街道)がある。 その他には湯西川から枯木峠こえる道が記してあった。 そのルートは湯西川の花和付近の尾根から枯木山へ向かう尾根道が記されている。 しかし、今は道の痕跡も見当たらない、現場の尾根は猛烈な薮だ。 古地図の國絵図は江戸幕府が各藩に命じ作られたもので国境が正確に記されている。 それによると国境は「枯木峠の峯から荒海嶽の尾根とある。 田代山、帝釈嶽の名もある。」枯木峠の道は夏道だけだったのであろう。 國絵図に記載はないが川俣(奥鬼怒)から引馬峠を越えて、桧枝岐への道もあった。 いずれも会津と下野・江戸へ通じる交易の道である。 ロマンあふれる栃木北部の山々は魅力いっぱいである。
                                 古地図のページはこちらです。

 スタート地点から一部歩いた安が森林道の峠には、「日本初の峰越林道」との案内書がある。 現在でも会津(福島)と栃木を結ぶ道は僅かである。 林道からも遠くにあり山深い枯木峠、枯木山を秘峰と言われている由縁であろう。 枯木山・峠の存在すら知られないのが普通なのではなかろうか。

過去の記録
 長谷川末夫さんが昭和17年4月湯西川・高手より捕鳥場のある尾根を詰めて小毛無、大毛無(枯木山)をピストンした記録があります。 著書「汽車が好き、山は友だち」があります。 昭和43年5月3日〜5日には、同ルートを「奥鬼怒山地」の橋本太郎さんのパーティーが歩かれています。

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