米山(よねやま)996.2m NO.800-2
米山の位置は北陸道の開通で米山SAで場所を知った。 子供の頃『米山さんから雲が出た、、』とラジオでなんども聞いた覚えがある。 越後富士とも言われた米山へ行こうと思ったのは明治期の内務省地理局の設置「原三角測点」標石の確認であった。 雪の降らぬうちにと向ったが長岡から北陸道に入りガスが晴れると眼前に雪山が聳えていた。 
【山行日】 2009年 11月 23日 (月・祝) 【天 候】  曇り、時々日が差す
【山 域】  上越 【所在地】 新潟県柏崎市、上越市
【地 図】  1/2.5万図地理院 ・柿崎・高田
       地形図 米山・薬師堂
       地形図 下牧、水野登山口
       地形図 大平登山口

 
【同行者】 単独
【コースのタイム】
 11/23 自宅(4:00)==太田IC==(北関東道・関越道・北陸道)==米山SA( 6:30-7:00)==柿崎IC(7:10)==
水野林道登山口(7:40-50)−−805P・下牧分岐(8:30-35)−−米山山頂(9:10-13:30)−−水野林道登山口(14:30)=柿崎IC(15:20)==米山PA==(北陸道・関越道・北関東道)==太田IC==自宅(10:20)
 日帰り片道300km


この標石を見るために

離れた位置に補点か

さて、何処から歩こうか
米山はPAの近くの小高い山と思っていたが地形図を確認すると山深く見えた。 さて安直に頂上で標石を見るのにはどこからが最短かと調べると登山口は5ヶ所ある、最短は大平(おおだいら)林道口で45分である。 雪が降ると林道は閉鎖され大平口から歩くらしい。 今はまだ南麓の上越市下牧、水野の登山口からは雪が無いように思う。 柏崎ICを過ぎると眼前にどっしりとした雪山が聳える、あれが米山らしい、米山SAで時間調整し予定の南麓へ回りこむ。

「米山」一等三角点

水野林道登山口(林道終点)


水野林道終点から
インターを出て途中のコンビニでパンとお茶を購入し水野へ向う、道路には米山薬師への道標や石仏が見える。 水野集落の神社先からダート道へ入る、少し走るとまた舗装になる最近舗装工事をしたようだ。 高度が上がりほどなく林道終点の広場に到着する。 丸太ベンチが二つあり遠望の先に日本海、柿崎市街地を見下ろす、小鳥の群れが渡りであろうか山から下っていった。 林道終点に「終点標高五七三米」の木標が立ちそこが登山口だ。

雪が見えるが特別な用意は入らない布靴の普段の格好である、荷は拓本道具で重い出発する。 ブナと笹の道は次第に雪濃くなる、この道はこの連休で歩かれていたのであろう雪は踏み固まり歩きやすかった。 風があって大汗をかかずに済んだ、先の空が明るくなってきた。 背の荷が揺れてふらつく紙や道具が動き歩きづらい。 

高度が上がると日本海が見渡せる、海無県に住んでいるとつい海に目が行く。 素晴らしい眺望だ、雪の尾根の上に広大な海が広がる。 この米山は越後の国を上下に分けたという、頸城と刈羽郡境でもある。 その境は大平口からの尾根である、今歩いているのは上越市側の南尾根である。 山頂に立って反対(北)側の柏崎や佐渡ヶ島を早く見たいものである。 高度がさらに上がると雪は30cmで歩きやすい途中一ヶ所痩せた所があったが山としては丁度良い山だ。 海に浮かぶ舟から米山をみたらさぞ秀麗な山に見えるのだろうな。 そんな事を考えているうちに建物の屋根が見えた、米山避難小屋である頂上に到達である。

しばらく独り占めの山頂であったが、柏崎の霜田さんが大平から上られて来た。 色々とこの地域の事や薬師堂の事、鳥瞰する柏崎の事を教えていただいた。 柿をいただき食するうまい、新潟の人は温かい。



尾根分岐

尾根は雪道


米山薬師・避難小屋・三階節
避難小屋は大型で立派な作りで、ドアを開けると中は整然と綺麗になっていた。 直ぐに上の段にある薬師堂に石段を登る。 国地院の一等三角点傍に上部に×の小標石がある、さらにその上の段に薬師堂がある。 お堂の扉は鍵は掛かっていないが重く開かない。 堂をぐるっと回ると佐渡ヶ島は雲に隠れ見えないが、柏崎市街地や原子力発電所が見える。 米山から延びる尾根の先には頸城の山々さらにその先に上越の山並みはテレビドラマ「天地人」の景色だ。 ドラマの兼続が駆け巡った越後はここなのであろう、雪の付いた山々が越後には一番似合うようである。

米山薬師は日本三大薬師であるそうな、古くから信仰登山の対象であった米山の名も開山の祖の弟子が沖に浮かぶ舟から積荷の米を山に飛ばしたとの故事にあるという。 海上安全、五穀豊穣、病気平癒、雨乞いなどであるという。

帰り際避難小屋を除くと多くの方がお弁当を広げていた。 片付けられていた小屋には何年もの名簿が積まれていた、それが誇らしげに見えたのは越後の人たちのこの米山に寄せる思いのように思えた。

 米山さんから雲が出た いまに夕立が来るやら
 ピッカラ シャンカラ ドンカラリンと 音がする
 ドンカラリンと 音がする いまに夕立ちがくるやら
 ピッカラ シャンカラ ドンカラリンと 音がする

柏崎の民謡、三階節である。 流行歌手小唄勝太郎の声かは分からないが子供の頃聞いた、最初の歌詞だけは記憶にある。 『米山さんから、 』の米山さんの歌詞は米山への畏敬から『さん』を付けられたのであろう、米山が地元との関わりが今更ながらに深いことを知りました。



山頂に立つ、米山薬師堂

雪に埋もれる「原三角測点」


原三角測點・内務省地理局・明治十五年八月 / 陸地測量部 一等三角点標石
この山に上った目的は測量史に残る明治の内務省地理局設置の「原三角測点」標石を見に来た。 その標石はお堂に向って左前に雪に埋もれていた。 どっしりと歴史の証人のようにまた、根付いているようにも見えた。 この山には測量の標石が三つもある、風が強いが各標石の採寸と拓本を取る。 「原三角測点」標石はすでに群馬の白髪岩で見ているので凡その知識はあったが頭部(上部)に×刻字が無いことである。 雲取山(東京都)の「原三角測点」標石には×は有る、米山の標石にはなぜないのだろう、疑問は残る。 また一段下がった現一等三角点標石の近くに小さな標石がある。 この標石は補点なのか、それとも原三角測点の地中標なのか定かではない。 

現在の一等三角点標石がお堂の位置でなく一段下がった所に設置されたのはこの山の信仰がそうさせたのであろうか、「原三角測點」標石も最高所にあるが遠慮して隅に設置されている。 測量そのものには覘標(てんぴょう・やぐらのこと)によるので支障はなかったのだろうが。 旧内務省「原三角測標」に気づかなかった事はないと思うが良く残った。 貴重な歴史の証人である。

お堂再建される前の各標石の位置関係はどうであったのであろうか、地元の方に調べをお願いしたい。

高く積まれた名簿


山頂で会った地元の方


頸城の山々

山頂に立つ避難小屋


帰り
避難小屋前で景色を見ていると、夫婦が同じ水野へ下山するという。 その後をついて行く事にするが、途中で先行することになった。 ブナ疎林にはシラネアオイの葉が見られる。 午後の陽射しで雪は緩み水の滴る道になった、それでも勾配があるので水はどこかに流れていっているのでそれほどでもない。 ヤセ尾根手前でまた後になる。 結局おとなしく後について山頂から約1時間歩いた。
 
      
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