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2012年-report-47.

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河内郡宮界標 『 界イ1 』 (宮 界イ一 ×)  確認
栃木県宇都宮市飯田町・下荒針町 御料地内第一道路北端  (2012.01.08)






河内郡内宮界標 『 界イ1 』 (宮 界イ一 ×)  確認
栃木県宇都宮市飯田町・下荒針町 御料地内第一道路北端  (2012.01.08)


夕暮れが近づき近傍の方々が犬連れて散歩され始めました。 そのお1人りから桑の木の近くで見たような気がすると聞き早速探索しました。 廃材などがありましたが、頭を出した宮の丸もしっかりとした宮界標を発見しました。 裏の刻字は「界イ一」とあり、イの一番のこの標石が御料地界標の一連番号のスタートのようだ。 標石には目立った損傷も無く埋石されていた。 遥かなる明治の御料地が偲ばれる。 石質は凝灰岩でした。







河内郡内宮界標 『 界83 』 (宮 界八三 ×)  確認
栃木県宇都宮市飯田町 御料地内第二道路  (2012.01.08)





河内郡内宮界標 『 界83 』 (宮 界八三 ×)  確認
栃木県宇都宮市飯田町 御料地内第二道路  (2012.01.08)

御料地には当時の管理道路が3本真っ直ぐに並行して作られていました。 北側から第1,第2,第3御料地内道路と3本の道路に名前を付けました。 第1と第2御料地内道路をつなぐ道に、この「宮 界八三」はあります。 花崗岩で地表部は白く汚れもありません。 上面に欠けた所がありますが、完全な姿です。 周囲は畑地で現在は土ぼこりが舞い上がりそうな雰囲気の所です。






河内郡内宮界標 『 界118 』 (宮 界一一八 )  確認
栃木県宇都宮市飯田町 果樹園と畑の境  (2012.01.08)


果樹園付近にある3本目の宮界標です。 隣の界標番号の続き番号となっています。 上面は角が取れて丸みがあります。 刻字は「×」ではなくて「」となっています。 これはこの界標から北に直角に曲がる事を表しています。 この先の探索は次回としました。






河内郡内宮界標 『 界117 』 (宮 界一一七 ×)  確認
栃木県宇都宮市飯田町 果樹園と畑の境  (2012.01.08)





河内郡内宮界標 『 界117 』 (宮 界一一七 ×)  確認
栃木県宇都宮市飯田町 果樹園と畑の境  (2012.01.08)

頭部を白ペンキに塗られていました、花崗岩に彫られた「宮」が存在感を出していました。 一部欠けた所もありますが状態はよいようです。 果樹園も入り組んで現在もその境界としての役割を担っていました。






河内郡内宮界標 『 界114 』 (宮 界一一四 ×)  確認
栃木県宇都宮市飯田町 果樹園と畑の境  (2012.01.08)


飯田・下荒針町の走り回っていると、ぶどう畑で剪定をしている方を見かけました。 下荒針の松島さんでそのお母さんは集落の長老との事でお聞きしました所、所有地にも界標があるので案内すると言っていただきました。 松島さんのお母様は大正13年生まれですが、私には70歳台と見える方で数年前まで車やバイクを乗り回したと言っていました。

松島さんの畑地は数年前までぶどう畑だったそうです。 約1100坪強の広さでその北側に界標がありました。 御料地払下時の条件が開墾して畑にする事で、松島さんの先々代が1人で開墾されたとのことでした。 現地では案内いただいた通りの場所で界標は見つかりました。 御料地の輪郭が薄っすらと想像することが可能な状態に向かっているような気がしました。




 

御料地関連碑 『 御料地払下記念碑 』  確認
栃木県宇都宮市長坂 長坂公民館前  (2012.01.08)


帝室林野局五十年史によると(四五)栃木縣所在諸御料地の払下及び貸付には、(中略) 次の通りである。
明治三十一年 那須第五御料地を軍馬牧場として軍馬補充部に貸付
明治四十四年 栃木・群馬両県所在御料地を演習地として陸軍省に、種馬所用として馬政局に貸付
大正十年 上都賀、河内両郡所在鹿沼団地四百余町歩を借地人に払下
昭和五年 塩谷、芳賀両郡所在高根沢団地二百六十余町歩を借地人に払下
  同 年 那須郡所在福原団地四百余町歩を借地人に払下
  同 年 河内郡所在祇園原団地百余町歩の一部は栃木縣に、残部を宇都宮高等農林学校に払下 とある。(一部記述を略す)

・記念碑に大正十年払下と刻字内容と、一致している。 五十年史の「河内郡」との記述がこの地を指している事が解る。 しかし、払下面積は記念碑には「払下面積壱百六町六段九畝二十九歩」とある。 五十年史の記載の「払下面積四百余町歩」との差は、上都賀郡の払下面積なのだろうか。






河内郡内宮界標 『 界384 』 (宮 界三八四 ×)  確認
栃木県宇都宮市飯田町 森病院グランド東の雑木薮と畑の境  (2012.01.08)


見当を付けて薮や林の周囲を探し回り「界三八四」を見つけた。 上面を大きく損傷しているが「・ 三八四」は読める、多少手荒な扱いを受けても地中深く埋石されてびくともしていなかった。 明治の官吏はいい仕事していたようだ。 その後周囲を探索すれど新たな発見には至らなかった。  






河内郡内宮界標 『 界375 』 (宮 界三七五 字西原 字番匠内 ×) 再確認拓本
栃木県宇都宮市飯田町 東北道東側道・御料地橋東詰近傍  (2012.01.08)




河内郡内宮界標 『 界375 』 (宮 界三七五 字西原 字番匠内 ×) 再確認拓本
栃木県宇都宮市飯田町
 東北道東側道・御料地橋東詰近傍  (2012.01.08)

昨日の聞き込み調査にて、この地の御料地の存在は確認した。 その物証である宮界標の詳細な調査である。 広い御料地の中にポツンと一基の界標だけがある。 その雰囲気は大きな栗の木があり隣地は自動車屋さんの駐車場だが写真撮影のロケーションは申し分ない。

ここの宮界標は、東北高速道拡幅時に約5m東に移動したとお聞きした。 刻字の向などは確認していなかったようだ。 標石には草刈機の歯形が残っているので今後注意して保存をお願いした。


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