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水準基標 『 延島新田基標 栃木縣 ・ 』 調査
栃木県小山市延島新田 山神社 (2012.02.11)
写真は大木に呑み込まれた標石の彫刻確認のために撮影したものである。 完全に見える面は一面だけ、二面は全く見えない、彫刻があると思われる面の約半分は簡単に確認できると考えていたがはっきりとしない。 写真では文字らしいという程度でこの日の確認は断念し一旦埋め戻した。
この日は完全に見える面の拓本を採った、しかし、文字らしいものは表われなかった。 次回の調査を待ちたい。 |
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水準基標 『 上文挟基標 栃木縣 ・ 』 調査拓本
栃木県上三川町上文挟 稲荷神社 (2012.02.11)
上三川町上文挟の稲荷神社の社殿横に界標を確認しておいたので、この日再調査に訪問した。 ここの基標は地上高があり全体像が確認しやすい。 彫刻文字は深くないが、問題ない。 裏面の「栃木縣」は前面に比して文字が大きい。 |
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水準基標 『 東刑部基標 栃木縣 ・ 』 調査拓本
栃木県宇都宮市東刑部 高尾神社 (2012.02.11)
東刑部(ひがしおさかべ)基標は半分ほど地中に埋没しているものを確認した。 彫刻文字はやや下方にある。 このように当時の基標が残置している事は、当時の国家事業の証人でもある。 多くの基標が神社にある、これは理に適っている。 当時神社は国の管理で簡単に変更は出来ない所である。 神聖な領域でいたずらなどのない所だったので設置場所として選ばれたのだろう。 |
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水準基標 『 東刑部基標 栃木縣 ・ 』 調査拓本
栃木県宇都宮市東刑部 高尾神社 (2012.02.11)
裏面の「栃木縣」で大きめな文字である。 上面には僅かに赤ペンキの痕が残る。 この基標がいつ頃まで実際に使われていたのだろうか。 石質は花崗岩で特にストレスを受ける設置状況ではないので風化などはない。 |
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内務省界標 『 内な9 』 調査拓本
栃木県小山市中河原 JR水戸線と岸福の間 (2012.02.16)
地上高 700mm 彫刻面幅150mmの規定の、な系統の最若番の界標である。 |
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内務省界標 『 内な24 』 調査拓本
栃木県小山市中河原 JR水戸線と岸福の間 (2012.02.16)
この界標はグラグラしていた、また向きが違う確認すると下部が毀損していた。 数字の下に細線が引いてある。 この辺の畑は広いので、トラクターで耕作しているので、倒れてしまったのだろう。 |
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内務省界標 『 内な67 』 調査拓本
栃木県小山市中河原 JR水戸線と岸福の間 (2012.02.16)
栃木県小山市中島 中島河川敷運動場入口外
栃木県小山市中島地区は、茨城県結城市の中心部の向こう側である。 昔は鬼怒川の渡舟場が有ったが今は立派な橋がある。 中島集落から河川敷運動場への堤防沿い民家との境にある。 中島にはあと一基あるその界標は壊れたのだろうか、補修で完全に刻字面はセメントが塗り込まれている。 |
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□三等金属標 『 三等水準点 NO.5250 』 調査拓本
栃木県真岡市 交差点植込内 (2012.02.15)
栃木県内の三等水準点は、2基の金属標がある。 二等水準路線の亡失などの補完のために設置されたようにある。 二つ共、真岡市にある、地理院情報では「改算」となっている。 もしや、亡失なんて事の無い事を祈る思いを持ちながら現地に向かった。 結論はありました。 地理院の地形図は現状とは程遠い、それは長年の感を働かして確認した。 |
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