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【 金属付水準点 『 ◎ (金属標) 』 】


金属付水準点 『 ◎ 金属標の球分あり、水準点標石、刻字なし標石 』
茨城県取手市藤代 ふじしろ図書館 小貝川右岸 (2012.04.30)
相馬神社の関係者より近くに標石があると教えていただいた。 球分部分には金属標が取り付けてある。 周囲は保護石が囲む。 周囲を掘ってみたが刻字は見られない。 上面に機械加工の痕がある。 面取りもしてある、金属標部分の打刻などはない。 |
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【 小貝川改修工事基標 『 ◎ BM 内務省 』 】



小貝川改修工事基標 『 ◎ BM 内務省 』 小貝川右岸
茨城県取手市藤代 相馬神社 (2012.04.30)
標石本体 寸法 270×270×280mm 上面彫込円(球分外周)180mmと大形標石です。 形状は国地院一級水準点(交点)標石にやや似ている。 刻字は「内務省」「BM」とシンプルである。
神社関係者にお聞きするが神社に関係ないものだという。 水準点の趣旨を話て大事にしてほしいと話す。
相馬神社のある藤代付近は相馬郡(そうまぐん)の律令制の行政区分で下総国にあった郡名である。 明治維新後に利根川より北は茨城県となる。 千葉県南相馬郡は東葛飾郡となって相馬の名は無くなった。 福島県相馬郡は千葉氏の一族相馬氏が軍功により福島県行方郡に地頭職(荘園)を得た事が起こりとされている。 これが「相馬」の郡名由来のようだ。 相馬神社はその中心地の藤代にあり、社名から創建は古そうである。 |
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【 小貝川改修工事基標 『 ◎ 茨城県 BMNO.5 』 】


小貝川改修工事基標 『 ◎ 茨城県 BMNO.5 』 小貝川右岸
茨城県取手市配松 浅間神社 (2012.04.30)
富士浅間神社に球分のない標石があった。 「BM NO.5」とあるので水準点である。 そのような意味で、陸地測量部時代の二等水準点と同じように見える。 しかし、上部全体が丸く面取りされている、しかし、球分のイメージは感じられない。 基部はコンクリートで固められている。 刻字はやや風化している。
特徴としては、「NO」の下に下線があるがその下にドットが二つ(・・)あるのが解るだろうか、鬼怒川改修工事基標も下線と二つのドットがある。 |
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【 田母沢御料地宮界標調査 『 日光田母沢御用邸総圖 』 旧宮内省 】

『 日光田母沢御用邸総圖 』 大正12年2月
現在の田母沢御用邸自然公園敷地は黄色に囲まれた区域である。
当時の敷地は作図されている所であり、その他は日光植物園になっている。

良く見ると境界に標石らしきものが見える。 これまで田母沢での探索では宮標石は見出だす事は出来なかった。 この図を次回探索のヒントに役立てたい。 |

旧宮内省宮界標記載図 『 日光田母沢御用邸総圖 T12.2 』
栃木県日光市本町 元日光田母沢御用邸 (2012.04.29)
しだれ桜と屋根がすばらしい、この屋根の全てがつながっている一枚屋根だそうです。 田母沢御用邸は1棟の床面積としては我が国最大規模の木造建築物とのことです。 |
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【 小貝川改修工事 基標 『 ◎ 球分あり、刻字なし標石 235×530 球分W90
H30 』 】


小貝川改修工事 基標 『 ◎ 球分あり、刻字なし標石 235×530 球分W90 H30
』
茨城県下妻市肘谷 竈神社 小貝川右岸 (2012.04.22)
球分のある水準点標石のような石を見る。 標石には刻字は見られない。 しかし、良く見ると球分は風化しているが角ばっているように見える。 もしかしたら笠燈籠の基部なのかなとも思った。 |
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【鬼怒川改修 基標 『 ◎ BM No1 』 】

大きな「BM」刻字の標石

鬼怒川改修工事 基標 『 ◎ BM No1 』
茨城県筑西市小川 富士浅間神社 (2012.04.21)
筑西市小川の富士浅間神社は何度も調査したがこの標石に気付かなかった。 今回も帰ろうと何気なく見ると頭だけだした石を見た。 掘ってみると大きな「BM」がある。 裏に「NO.1」と筆記体文字の刻字だ。 茨城縣や基標などの文字は無い。
球分は今はないが、微かに痕跡はある。 |
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