富士山の剣ヶ峰にある二等三角点「富士山」5338−05−2801は標高3775.6メートルで、この位置より北へ12メートルのところある岩が3776.2メートルで最高地点になっています。 富士山の山頂、噴火口を取り巻くお鉢には剣ヶ峰とはべつに白山岳といい二等三角点「富士白山」5338−05−3801があり標高は3756.4メートルになっています。 もともと富士山は明治中期の一等三角測量では三角網に入らず一等三角点は設置されなかったのです。 富士山は周辺の山々より極端に高く水平角の測量で高低差による誤差が多くなり、また当時、測量器材や人員の移動、滞在が難しいこともあり最初から一等三角点を置くことは考えなかったようです。
しかし1885年(明治18)には木杭による四等三角点を白山岳に設置し山麓の四つの三角点から前方交会法により水平位置と標高3753.4メートルを求めました。 山麓の四つの三角点は二等三角点「竜ヶ馬場」5338−06−4501、三等三角点「高丸尾」5338−06−7401、三等三角点「出丸尾」5338−16−2001、三等三角点「加婦貴」5338−15−3801です。 この四等三角点については「富士山測站」として国土地理院に点の記が残存しており覘標の欄には「種類 標竿地上 標杭二寸角長二尺 明治十八年八月二十二日構造」とあります。
1887年(明治20)には白山岳の四等三角点から剣ヶ峰の最高点までお鉢にそって導線法による平板測量がおこなわれました。 四等三角点から出発してつぎつぎ平板を据え付けお鉢の要所、要所に立てた目標をアリダードで狙い目標の位置を図上で決定して標高差をアリダードから読み取り最終的に標高3778メートルを求めました。 この測量での剣ヶ峰の最高点は現在の最高点の位置であるかどうかは不明です。 その後、1890年(明治23)、白山岳の四等三角点の位置に三等三角点標石が埋設されていますが、この理由は明らかでありません。 技術的な問題ではなく単に三角点を設置したいという願望か、当時開催された第三回内国勧業博覧会に富士山の模型や地形図原図が出品されたことが、きっかけともいわれています。
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