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2012年-report-92.

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二等三角点 「富士白山」



『 二等三角点「富士白山」 』 富士山頂 白山岳  (12.06.30)
山頂からは南アルプスの山並みが見える。



富士山の剣ヶ峰にある二等三角点「富士山」5338−05−2801は標高3775.6メートルで、この位置より北へ12メートルのところある岩が3776.2メートルで最高地点になっています。 富士山の山頂、噴火口を取り巻くお鉢には剣ヶ峰とはべつに白山岳といい二等三角点「富士白山」5338−05−3801があり標高は3756.4メートルになっています。 もともと富士山は明治中期の一等三角測量では三角網に入らず一等三角点は設置されなかったのです。 富士山は周辺の山々より極端に高く水平角の測量で高低差による誤差が多くなり、また当時、測量器材や人員の移動、滞在が難しいこともあり最初から一等三角点を置くことは考えなかったようです。

しかし1885年(明治18)には木杭による四等三角点を白山岳に設置し山麓の四つの三角点から前方交会法により水平位置と標高3753.4メートルを求めました。 山麓の四つの三角点は二等三角点「竜ヶ馬場」5338−06−4501、三等三角点「高丸尾」5338−06−7401、三等三角点「出丸尾」5338−16−2001、三等三角点「加婦貴」5338−15−3801です。 この四等三角点については「富士山測站」として国土地理院に点の記が残存しており覘標の欄には「種類 標竿地上 標杭二寸角長二尺 明治十八年八月二十二日構造」とあります。

1887年(明治20)には白山岳の四等三角点から剣ヶ峰の最高点までお鉢にそって導線法による平板測量がおこなわれました。 四等三角点から出発してつぎつぎ平板を据え付けお鉢の要所、要所に立てた目標をアリダードで狙い目標の位置を図上で決定して標高差をアリダードから読み取り最終的に標高3778メートルを求めました。 この測量での剣ヶ峰の最高点は現在の最高点の位置であるかどうかは不明です。 その後、1890年(明治23)、白山岳の四等三角点の位置に三等三角点標石が埋設されていますが、この理由は明らかでありません。 技術的な問題ではなく単に三角点を設置したいという願望か、当時開催された第三回内国勧業博覧会に富士山の模型や地形図原図が出品されたことが、きっかけともいわれています。






『 二等三角点「富士白山」 』 富士山頂 白山岳
標石外形寸法:170×170 GL高 170 mm 


ついで1926年(大正15)、関東大震災後の震災復旧測量にともなう二等三角測量のときに北方に視通のよい白山岳と南方に視通のよい剣ヶ峰の2点が二等三角点として選ばれて観測されました。ふつうの山ならば山頂に1点でよいのですが富士山の場合、火口が大きく反対側から見えないので2点設置されたのです。この2点は現存する三角点で、白山岳の方は二等三角点「富士白山」5338−05−3801で剣ヶ峰の方は二等三角点「富士山」5338−05−2801です。白山岳「富士白山」の方は旧四等三角点から南西12.5メートルの位置で、4メートル高くなっています。この位置に1887年(明治23)設置された三等三角点標石が改埋されました。白山岳「富士白山」の初期の点の記によれば「明治二十三年八月埋石セシ標石ヲ用フ」となっています。一方、剣ヶ峰「富士山」の方は新たな標石が設置されました。

まず山麓東の既設三角点2点(二等三角点「竜ヶ馬場」5338−06−4501と三等三角点「高丸尾」5338−06−7401)の標高を近傍の二等水準点から測標水準測量(直接水準測量)によって求めました。二等水準点は沼津から御殿場、富士吉田経由、大月までの水準路線(服部林蔵測量掛による測量)上にあります。この既設三角点2点と白山岳「富士白山」との標高差を高度角測定法(間接水準測量)により三等経緯儀で山頂、山麓の両方から観測して3756.8メートルと決定し、ついで白山岳「富士白山」と山麓南の既設三角点(三等三角点「印野村猿」5238−76−3401)を与点(既知点)として剣ヶ峰「富士山」の標高3776.3メートルを高度角測定法により決定しています。剣ヶ峰「富士山」の初期の点の記によれば「頂上ノ最高ハ標石ヨリ北方約十米ノ岩ニシテ標石ヨリ高キ事〇米一五ナリ」となっています。この位置も1880年(明治20)に観測された最高点と同じか、あるいは現在の最高点の位置であるかどうかは不明です。


ところが剣ヶ峰「富士山」の三角点標石は設置後30年を経て周囲の岩石が崩壊し標石も露出倒壊のおそれがでてきました。じつは基礎ごと火口内に崩落して亡失してしまったという話もあります。そこで1962年(昭和37)にコンクリートの台座を再製し四捨五入をすれば3776メートルになるよう3775.6メートルという高さに調節され新しい三角点が設置されました。もうひとつの三角点、白山岳「富士白山」も標石が露出し1964年(昭和39)に低下改埋され3756.4メートルになりました。
       出典 : 「日本の測量史・富士山の測量」上西勝也氏 こちら>>
       監修 : 舘沢氏 2012.12ページ修正「加婦貴」 






『 白 山 岳 』





『 火 口 』





『 雪 渓 』





『 朝 南アルプス(北岳・白根三山) 』





『 山頂の石積小屋 』 富士山頂





『 日 の 出 』





『 赤 焼 け 』


2012.6.30 富士登山 (白山岳) 】

今回の富士登山は「五里霧中」だった。 霧に道を失ったのではない心に迷いがあったのだ。 山頂の状況をつかみきれずに出発した。 須走口から暗夜の樹林を歩く。 暗いのは問題はない、しかし途中でルートを失った。 掘れた砂礫の道のような溝を500mも上った。 その先端は砂礫の壁となって行き止まった。 足場を掘って壁を登ったが荒涼とした黒々とした砂礫の河床がいく筋も見えた。 残念ながら元来たルートを戻るしかなかった。 こうなると背負っているザックが重くのしかかる。 何しているのだ自問自答する。

登山道に戻って良く観察すると道が見い出せた丘を越え雪渓を歩く。 風が出てきた寒い、岩陰で長袖を重ね着する。 立ち上がったが荷が重く歩く気にならない。 決断したアタックザックだけで頂上を目指そうと。 重いザックはデポした。 カメラ二台と菓子と500mlのボトル一本でフェザー(羽根)のような軽さにザックは変った。 それからは登山道をたどり雲海を下に見、上限の月が黒々とした稜線に消えるのを見送った。 天の川、多くの星が瞬くいくつもの流星を見た。 夜明けでは砂礫の山肌が赤く染まった。 今回の目的は山頂標石調査である。 白山岳の設置状況の確認である。 山開き前日で人の少ない絶好の日に歩けた。

ところが、下山時にデポした筈の場所を亡失した。 標高2200mから2300mを行ったり来たりと探すが見つけ出せなかった。(約3時間探したが日没近くになり下山、須走交番届出済)


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