庚申山 丁石 コレクション V   
   
 
 
【九十三丁目】
丁石「九十三丁目」は、一ノ鳥居から水面沢に沿って登って行くと庚申七滝の分岐にベンチがあり、その少し上にこの丁石がある。 設置は刻字に「文久三亥年四月」(1863)とあり、145年前である。 長い年月をかけて樹木が丁石を包み込んでいる。 
 

調査年月日 2008.06.22 / 2008.08.16
所在地 日光市足尾町 七滝入口の先、左側
      一ノ鳥居〜猿田彦神社跡間
緯経度 E36 39 33.5  N139 22 48.5
設置者 江戸講中寄進者

寸法   730-160-140
標石の形状 加工石
設置年月 文久三亥年四月 (1863年)
刻字
正面 九十三丁目
右面 新栄町 ・・ 福田屋市 ・・(木に接触面読めず)
左面 文久三亥年四月

裏面 仕上げなし 刻字なし
刻字面の状態 刻字面は彫り下げられている
 



 
【九十四丁目】
 
参道(登山道)沿いで気づきやすい丁石である。 九十三丁目の次の続き丁石である。 笹も薄い緩やかな斜面を背に立っている、やや深く建てられている。 丁石頭部表面は白い苔に覆われているが刻字は確認できる。
 

調査年月日 2008.06.22 / 2008.08.16
所在地 日光市足尾町
      一ノ鳥居〜猿田彦神社跡間
緯経度 計測できず(樹木により)
設置者 江戸講中寄進者

寸法   560-170-130
標石の形状 加工石
設置年月 文久三亥年四月 (1863年)
刻字
正面 九十四丁目
右面 新宿上町 ○○○屋仙太郎
左面 文久三亥年四月
裏面 仕上げなし 刻字なし

刻字面の状態 刻字面は彫り下げられている

   



【九十七丁目】
九十四丁目先の木橋を渡ると参道沿いに九十七丁目の丁石がある。 寄進者名は春本屋文吉である。  この丁石は周辺の石で囲まれたように建てられていたと思われるが、倒れていたそれをもう一度立て直した。 長い年月を経て丁石が倒れたり、折損した丁石が見られ修復も必要と思われる。(2008.06.22)

前回倒れていて直した丁石が、今回また倒れて少し傷ついていた以前と同じように建てた。(2008.08.16)
 

調査年月日 2008.06.22 / 2008.08.16
所在地 日光市足尾町
      一ノ鳥居〜猿田彦神社跡間
緯経度 E36 37 45.6   N139 25 35.6
設置者 江戸講中寄進者

寸法   620-180-150
標石の形状 加工石
設置年月 文久三亥年四月 (1863年)
刻字
正面 九十七丁目
右面 鶯谷太栄寺門跡  春本屋文吉
左面 文久三亥年四月
裏面 仕上げなし 刻字なし
刻字面の状態 刻字面は彫り下げられている
 



【百丁目】
参道(登山道)沿いで登山者が丁石に気づき意識するのはこの「百丁目」丁石だろう、側に立つ案内板による事が多い。 足尾遠下の磐裂神社から区切りの百丁目である。 ここまで来れば猿田彦神社まで残す所、十四丁、半時もあれば到着出来るであろう。 当時の参拝者の汗を拭う姿が目に浮かぶ丁石である。

(2008.08.16)記 「百丁目」丁石の正面に靴跡がありやや倒れていたので今回はしっかりと直立させた。 「九十七丁目」と「百丁目」の二つの丁石が被害に遭っていた。 個人作成の山名板と違い貴重な歴史遺産である丁石になんて事をするのだろう。 
 

調査年月日 2008.06.22 / 2008.08.16
所在地 日光市足尾町 百丁目の案内板あり
      一ノ鳥居〜猿田彦神社跡間
緯経度 計測出来ず (樹木のため)
設置者 江戸講中寄進者

寸法   630-180-140
標石の形状 加工石
設置年月 文久三亥年四月 (1863年)
刻字
正面 百丁目
右面 下谷坂本町一丁目 伊勢屋平左ヱ門
    神田猿楽町     田原屋清七 
左面 文久三亥年四月
裏面 仕上げなし 刻字なし


刻字面の状態 刻字面は彫り下げられている
 



【百一丁目】
笹と落ち葉の斜面に「百一丁目」丁石がある。 この丁石の裏面に剥離が見られ修復が必要だ、寄進者の名の判読中であるが剥離で見られないので慎重に確認したい。

この「百一丁目」の刻字で左面の設置年の記載が、「文久三年四月」と亥の字が年の次に刻字されている。 他の丁石は「文久三年四月」となっている。
 

調査年月日 2008.06.22 / 2008.08.16
所在地 日光市足尾町   一ノ鳥居から1.1K地点
      一ノ鳥居〜猿田彦神社跡間
緯経度 計測出来ず (樹木のため)
設置者 江戸庚申講中 寄進者

寸法   570-160-145
標石の形状 加工石
設置年月 文久三年四月 (1863年)
刻字
正面 百一丁目
右面 ○崎町一丁目 伊勢屋清八
    ○川町      加賀屋文吉 ○は判読出来ず
左面 文久三年亥四月
裏面 仕上げなし 刻字なし

刻字面の状態 刻字面は彫り下げられている、右側から裏面の角が最近の疵と思われる欠けが見られる。
 


   
 
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