男体山 なんたいさん 2486m NO.001-1
日光二荒山神社の「男体山登拝講社大祭」(2005/8/1〜7)の最終日に歩く。 男体山の山開きは5月5日である、閉山式は10月28日である。 今回は花の中年四人組が駆け上った。 男体山の標高は2486mになりました。 直ぐ側の一等三角点標石は2484.5mの従来通りです。
【山行日】 2005年 8月 7日 (日) | ![]() |
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【山 域】 男体山 | ||
【地 図】 1/2.5万図地理院(男体山) 地図(中宮祠・二荒山神社) 地図(男体山山頂) |
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【天 候】 早朝雨、午前晴れ間曇り、午後雷雨 中宮祠 18℃ 山頂 6℃ |
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【所在地】 栃木県日光市 | ||
【同行者】 臼井さん、滝田さん、須田さん、 と山部の4人 【関連ページ】 日光二荒山のHP |
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【今回の所要時間】 中宮祠−(1時間)−四合目・鳥居・1667m−(1時間20分)−八合目・瀧尾神社−(50分)− −男体山−(2時間40分)−中宮祠 歩行時間 上り 3時間 10分 + 下り 2時間 40分 コースタイムは文末に記載です。 |
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![]() 山頂の社務所(期間中神職在所) 05.07.30 |
![]() 二荒山大神像 |
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【男体山を登る】 |
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本来なら夜間に登ってご来光を見るのもよいのだろうが、今回参加のメンバーはそれぞれ多忙の身で前日も遅くまでそれぞれの時間を過ごしていた。 それでも地元を3時過ぎに出発した。 鹿沼の高速道路上で夜明けを迎えやや靄がある温度の高い朝を迎える。 車の少ないいろは坂を上がってガスの掛かる中禅寺湖岸の中宮祠に到着する。 山部以外の三人は山歩きは尾瀬に続いての二回目になる。 全員無事に登拝することが目的なのでペースを抑えて完登を目指す。 日光二荒山神社の「男体山登拝講社大祭」の入山料(1000円)を受付で払う。 お札と神橋の拝観無料券をいただいた。 何組かのグループが出発して行くのを見る。 すでに開いている登拝門をくぐって出発する。 それでは、中宮祠からの「男体山登拝講社大祭」を歩き、各所の様子を書してみよう。 歩き始めて一合目前後の階段を歩いていると疲れがどうっと出てくる。 今日は頂上まで行けるのだろうかと思ってしまう、いつもそうであるが30分もすれば体も慣れてくればなんとかなるだろうが。 山部を先頭にミヤコザサに覆われた樹林の中を歩く。 樹林の道は木の根の這った土の道である。 何てことは無い普通の踏み跡が多数あり迷う事はない。 時折姿は見えないが鹿の鳴く声だけが物悲しく聞こえた。 しばらく同じ様な所が続く樹林の道は観音薙と50m位離れて平行しながら登っていく。 体がなれた頃には林道に合流する。 ここが三合目である。 三合目からの舗装された林道は男体山の南面にある大薙の治山砂防工事の作業道である。 舗装するほど工事は恒常化している。 バベルの塔でもあるまいし自然に対して砂防ダムで何をしようとしているのであろうか。 日曜日の今日も作業車に何台かあった。 さて林道を四人が横になって他愛ないゴルフの事、尾瀬の話などしながら歩く。 だらだらの林道歩きも鳥居が見えて林道歩きは終了した。 ここからミヤコザサの間の掘れた土の道を歩く、程なく五合目の小屋に着いた。 ここで一服する、前日自宅冷凍庫で凍らせて持参したペットボトルの水が乾いた喉を潤してくれた。 天候はいっこうに晴れ間がないガスがかったものだが、良く取れば暑くなく好都合だ。 五合目の笹原からガレ場そしてコメツガの樹林の巻き道を歩く。 以前の観音薙の上部は今は樹林の中になった。 それは恒久化して樹林の道はすっかり決まってしまった。 七合目付近のガレ場は好きなところである、岩に足を掛け次の岩のどこに足を乗せるか。 小川を渡る時の石の上の八艘飛びのようで楽しい。 また中禅寺湖が眼下に見え高度感もあってご機嫌なガレ場だ(薙ぎ) この日はガスが掛かりすっきりしなかったがガスの上に社山のピラミッドが印象的だ。 |
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![]() 最高点の2486mの大岩 |
![]() 九合目を過ぎて砂礫地を歩く |
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八合目の瀧尾神社に着く。 最近道標に刻まれて所に赤の色が入れられて目立つ、各合目には道標があり目安になる。 八合目の瀧尾神社は大岩の積み重なる所である。 今は岩の下を巻いてガレ場に向うが、以前は鎖がある所をよじ登るのである。 その奥に大岩がトンネルを作っている所をくぐって行くのである。 今はここを歩く人はいなくなり岩の土の足跡はすっかりきれいになってい。 ここから一登りすればガレ場が終わって九合目の樹林帯に入る。 この樹林帯もコメツガ主体でダケカンバが少し混じる。 以前より土の道は雨水の流れで掘れている。 土嚢を積んでいるが防げるものでもない。 いつもこの樹林帯は緩やかな登りと感じていたが、今日は傾斜がけっこうあるなと思った。 九合目の道標では休むのが当たり前となって小休止をする。 樹林の中にも階段なのか土留めなのか解らない階段状の丸太が作られている。 足が上がらなくなるとつらいだろう。 丸太を避けるように登山者はなおも樹林の中に入り込む道は広がる。 前に歩いた時より明るい樹林帯の道になった。 樹林の先が明るくなり突然火山礫のある頂上下にでた。 ここでは厳冬期に何度もこの場で敗退した。 一面の雪原とブリザードが一瞬頭を過ぎる。 しかし同伴者の歓声と充実したもう達成したような顔に我に返ると、滝田さんが『オナーだ、』と先頭に立つ。(オナー:ゴルフ用語の意味) 火山の溶岩が連なる渕を歩くとここも土留めか丸太の道が続く、以前はずるずると足が蟻地獄にむぐるようだった。 今日はガスと雲で遠望は無いそれでも戦場ヶ原、竜頭滝、菖蒲ヶ原周辺のみ見える。 頂上が見えると元気になるもので全員頂上の鳥居を潜った。 【男体山、山頂】 奥宮に手を合わせて二荒山大神像前で記念撮影する。 途中で夜歩いた人達とすれ違った人を合わせると 50人位だろうか頂上はどこも人がいる。 歩くと小腹がへるもので何かお腹に入れたいなー、。 取り合えず最高点へ移動する。 大岩を回りこみ三角点標石の所でザックを下ろす、山部以外の人は着替えをする。 山部はびしょ濡れのシャツはそのままである、そのまま乾くのを待つのである。(気持ち悪いと思うでしょうが、山ではその都度着替えていたら替えをいくらあっても限が無い。 寒冷地の目的地到着後か、泊まりの時就寝前に着替えるのである。) 皆さんさっぱりした顔をしている。 ここで冷えたビールで乾杯、紙コップ二杯では少し物足りないが仕方ないね。 ビールの後は思い思いに景色を楽しんだり、小腹におにぎり、パン、大福(山部)を食べる。 丁度その時年配の娘さん三人組が志津小屋から上がって来た、ご主人を置き去りに先着である。 1リットルの凍ったペットボトルを差し上げる。(これで荷物が減って軽くなった、よしよし。) 2484.5m標石が周りをガードされていた。 山頂の標高が2486mが正式に、大岩の大太刀が落雷で落ちていたと聞いていたが登拝祭ためか修復されていた。 大太刀はコンクリートで岩を固めて天を向いていた。 太刀の刃は志津小屋方向を向いているが、歯の向きに意味があるのだろうか。 山頂周辺で一服してから太郎山神社へ行ってみようという事になった。 途中で半鐘を皆で打ってみた、それぞれ打ち方の違いがあった。 奥宮の隣の神社のお札売り場で登拝記念のバンダナを購入する。 後でそこにいた神職の方が下山中、雷に打たれるとは雷には神のご加護もないようだ。 皆さんも雲の動きなど、雷の襲来には注意が肝要ですね。 男体山は火山である麓からは端正な姿を見せるが、大きな火口跡と外輪山、その一部が崩れて太郎山方向に溶岩が流れ出た。 外輪山西の端に三角点(2397.7m)がありいつか歩いてみようと思う。 その途中に日光二荒山神社太郎山神社の社がある。 外輪山の切れ目で垂直な岩の端にある。 中々高度感があり風の強い時は注意が必要だ。 ここから見る志津方面の稜線の上には女峰山の尖った峰が見える。 |
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![]() 日光二荒山神社太郎山神社 |
![]() 一等三角点標石 2484.5m |
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![]() 二荒山大神像の前で |
![]() 冷えたビールで乾杯 |
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【下 山】 頂上で周りを見ると湧き上がる積乱雲(入道雲)が男体山を囲んでいる。 ガスが時々通過する、直感的に後数時間で雷が来る。 夏の日光など栃木県北部は午後は雷が発生して平野部の川筋に降りてくる。 長いは無用である、頂上を踏んで中年登拝隊四人組は元気に下山開始である。 頂上からはじめ溶岩と樹林の間を下った。 ここからは下りという事もあって快調に下った。 いつも下りで見える中禅寺湖も僅かしか見えない、ガスのかかり方が少し早そうである。 急がねば、後ろの三人は解っているのだろうか、そんな事を言ったところでしょうがないただ急ぐことである。 事故もなく全員が登頂出来た事を感謝の合掌をして |