男体山 三本松ルート 2486m   NO.001-6

日光二荒山神社「男体山登拝講社大祭」(2009/8/1〜7)の初日に参加した。 今回は男体山山頂の火口壁西峰にある「二荒山」三等三角点標石の確認も兼ね、登山口を戦場ヶ原の三本松から夜間歩行で山頂に立つ下山は中宮祠へ下った。  
【山行日】 2009年 8月 1日 (土)
男体山登拝講社大祭 登拝門開門 09.08.01
【山 域】  男体山
【地 図】  1/2.5万図地理院(男体山)
       地図(三本松)
       地図(男体山山頂)
【天 候】  深夜中宮祠は曇り、一時時雨あり
       1600m付近にに一面の雲海
       男体山山頂部は快晴
【所在地】 栃木県日光市
【同行者】 蘇原氏(下山時) ・ 山部(登り単独)

【関連ページ】
 日光二荒山のHP
   


【今回の所要時間】

 
三本松(4時間) − 「二荒山」三角点 2327.7m(1時間)太郎山神社(10分)
                  「男体山」三角点 2484.2m
(2時間20分) 中宮祠、二荒山神社

 
所要時間  上り 5時間 10分  + 下り 2時間 20分
   コースタイムは文末に記載です。


【深夜の三本松から「二荒山」三等三角点 ・ 登拝祭に合わせて】
 今年の桐生100`を共に歩いた蘇原氏から、男体山二荒山登拝講社大祭参加の話を聞いた。 山部の男体山に残している課題は沢山あるが男体山に三つある三角点の内「二荒山」三等三角点標石の確認をしようと参加を決めた。 登山ルートはまだ歩いていない三本松からとした、男体山登拝講社大祭とのコラボである。

 週に2,3回顔を合わせている蘇原氏と連絡が取れないまま当日を迎えてしまったので単独で深夜日光に向った。 奥日光二荒山神社に到着し、「男体山登拝講社大祭」の参加料(1000円)を払いお守と記念品のをいただき山門をくぐり境内に入る。 地元であるので知り合いの顔も見える、講に来ていた石橋の柳田柳太郎氏のグループに何年かぶりに再会した。 社で蘇原氏を見つけて頂上で落ち合う相談をしようとしたが見つけられなかった。 境内では登拝講社大祭の写真班になってシャッターを切る。 神事後登拝門が開かれ、修験者姿の講人を先頭にお祓いを受けて登拝門から山頂に発った。 その後一般登拝者が各回50人ぐらいづつお祓いを受けて発っていった。 山部は後一旦二荒山境内から外に出て、山門前に留め置いた車で三本松開拓記念碑へ向った。

三本松から男体山頂上奥宮を目指す
 今頃、松明(たいまつ)のようなヘッデン灯火が男体山中を五山の送り火のように筋を描いているだろうか。 そんな事を考えながら三本松の開拓地記念碑に着いた。 当たり前だが深夜の山麓は真の闇である、ヨタカであろうか鳴声、鹿の警戒声、湿った空気、水玉が光る濡れた笹が不安をつのる。 ルートであるが日光の山には各所に鹿柵がありその門扉の場所を知らなければ中に入れない。 最初の一ヶ所は事前に確認していたので難なく通過した。 駐車した空地は以前のヘリポートと聞いている。


           高さ 2m以上の鹿柵ゲート

胸までの笹原にあったプレート「28」 

 雨具を着込み仕度完了、少し歩いて鹿柵の扉を開き笹原に入る。 さて取り付きの尾根の方角は、道はあるのか、踏跡はと暗夜の樹林の笹原にヘットランプと手持ちのランプで探る。 鹿道(踏跡)は見え無い、胸ほどの笹を漕ぐ、幾つかの小丘を越えると「28」のプレートを見る。 カラマツ林内は鹿道も無く密な笹だ倒木多く歩行は困難、目的の尾根は以前に三本松レストハウス付近から見ていたがどうしても北方向にブレて中々目的尾根に到達出来ない。 それでも約1時間笹原を歩き尾根に乗った事を実感した、「栃木県知事・保健保安林」の標柱を見る。

 尾根をたどると鹿柵ネットに出会う、さてゲートはと横移動するとネットに穴を見つける。 ザックを先に入れ潜り抜けた、お礼にネットの穴を塞いで尾根に戻る。(強い糸で作られているネットに穴、鹿の凄い力であけられたものであろうか) 尾根の高度が上がると笹は消え、シャクナゲが出るも歩き易くなる。 樹林の木に赤ペンキマーク(□↓−)が現れる、GPSを見ると1589mの高度である。 点々と赤ペンキがあるので赤ペンキを追ったが暗夜の探索では界標は見つからなかった。 宮界標探索にもう一度この辺に来るような思いもあったので尾根に戻った。 その探索で四角に斜めに色分けされた板を見る、プレート付近の踏跡が旧三本松道だと確信し一安心した。




 しかし、旧道は倒木に塞がれ巻くと道が不明になってしまう、感頼りに尾根を右往左往しながら高度を上げると、またプレートを見て今度こそ旧道を見失う事の無いように慎重に道をたどったつもりでも見失う、そんな事を繰り返すと疲労も溜まる時々水補給しながら、また岩や苔むした倒木を乗り越えて進む。 樹上の葉間に星がきらめいている、高度が上がるり立ちこめたガス帯を抜けると星明かりが増して心休まる、時計を見ると4時近くになっている夜明けが近かい、早く稜線に出ないとご来光を見られないと焦る。 標高2000m近くになると旧道はしっかりと認識出来る、急に樹林が赤く染まり日の出、ご来光だ間に合わなかった。


先の山は皇海山、その手前の尾根は黒檜岳、社山、半月山の尾根、影は男体山のもの

 稜線が近くなると樹種が背の低いコメツガとシャクナゲになり、踏跡道に覆いかぶさりシャワーを浴びる。 一時脱いでいた雨具上着を着けるが汗と葉の水でずぶ濡れである。 シャクナゲの葉に付いた水で手を清める、薮を潜る度に頭まで濡れタオルを頬被りし時々絞りながら前進する。 稜線の岩場に到達すると雲海が周囲の山裾を隠し名だたる山々のピークを引き立てた絶景を愛でる。 「二荒山」三角点峰は先に見える、岩を越しながら進むと目指す三角点標石は岩峰先の平らな所に鎮座していた。 1つの目標三角点確認を達成した、また三本松ルートからの夜間単独歩行であったが無事ここに着いた。 途中での不安など全て払拭させたのは男体山火口壁の西峰からの絶景でした。 男体山山頂の剣や登山者のシュリエットが火口を隔てて見える、その中に二荒山神社で会えなかった蘇原氏は居るのだろうか、今日登ったのだろうか、大声でヤホーと叫んだが返事は返って来なかった。

 
男体山火口壁西峰にある、「二荒山」三等三角点標石


男体山三角点峰へ太郎山神社大岩を越えて
 中禅寺湖から県境尾根までを埋める雲海に男体山の影が大きくどっしりと描かれている。 程なく朝日雲海にあたると上昇気流が発生し雲はガスとなり峰々に昇り始めた、皇海山、白根山など群馬との県境尾根をガスが越え霞み始めた。 しばらくすると男体山にもガスが昇りはじめ山頂が消えた、ゆっくりしても晴れる訳でもないので山頂や太郎山神社へ火口稜線の岩峰を進む。 火口の峰は岩が一部切り立っている所もあるが問題は無い、踏跡もしっかりしている。 山麓に向う薙(なぎ)の始まりの所が何ヶ所もあり薙の下部を界標調査で歩いてたので感慨もひとしおであった。 太郎山神社の立つ大岩手前の岩峰は修験者が直立して合掌しているように見え、これまでの無事に感謝し合掌する。 そこの火礫岩に可憐な花が咲いていた。

 大岩の下部に着いてどこから神社に上がろうと大岩を見上げる、火口側に回りこんだが今回は冒険出来ないので深入りしないで大岩下稜線に戻って、今度は外側に回り込むとカモシカの足跡があった、ここだなとガレ場を通って太郎山神社下の治山工事をした所に出た。 太郎山神社で手を合わせ「男体山一等」三角点へ向う、途中の二荒山大神像や奥宮付近には多数の人が居た。 登拝祭初日で山伏姿の講人達が多く、深夜二荒山神社で見送った人達だ。 不眠で歩かれたので疲れがでたのだろう眠そうな疲れきった人達が横になっている。 横を通って半鐘横を通り三角点標石へ、写真の目的は「男体山」標石の上に四角錐が置いてあった写真をどこかで見たので確認に来た。 見た目では「+」に埃が溜まらなくて良いのだろうと思った。

 


待人と再会
 奥宮で関係者揃っての拝礼中である講の人達も奥宮付近に集まってきた、神事を横に見ながら山頂を後にした。 少し下った九合目手前で携帯が鳴った蘇原氏からのものであった四合目に着いた所と言う、登拝祭に来ていたのである。 急ぎ下った四合目で合流する下山後中宮祠から三本松の車まで送ってもらった、三本松で昼食、ヤシオの湯に浸かって帰宅した充実の一日であった。



【コースのタイム】
 
自宅発 (21:30)==鹿沼IC==(東北道・日光宇都宮道路)=清滝IC==中宮祠二荒山神社(23:00 - 8/1 1:50)==戦場ヶ原三本松( 1:30)−鹿柵ゲート(1:35)−−NO.28(1:50)−−尾根:保健保安林(2:20)−矢印赤線(2:50)−−旧道プレート(3:00)−−夜明・休憩(4:20)−−稜線(5:20)−−「二荒山」三角点(5:35-45)−−太郎山神社(6:30)−−「男体山」三角点(6:40)−−奥宮・下山(7:05)−−合目・休憩(20分)−−中宮祠・二荒山神社登拝門(9:40)==三本松(車回収) == やしおの湯日光ICから帰宅


フラッグは界標や三角点の位置で今回とは関係ありません。  黒の点線が今回の歩行軌跡


【備 考】
 今回は事前に観察・調査し、独自に予定ルート設定し行動しました。 当時(昭和年代)の登山道を歩く予定はしていませんでした。 途中で(赤ペンキのあった付近)界標の調査をしましたので、そこで30分程度時間を消費しました。 お守りの2台のGPS機を持参しました、1機は最新機でザックの中でも動作するものでデータ記録用、もう1機は首から下げて地形図を常時確認しています。(旧機は衛星補足が密な樹林により出来ません。) 

 植生 山麓の笹原は倒木が多く歩きづらい背丈は胸まで、鹿道は夜間で確認できなかった。 カラマツの林、小丘が多い。 1500m付近はダテカンバ、一部ミズナラ、シャクナゲあり、笹は消える。 1800〜2000m付近は苔むした倒木が多く急な斜面が現れ岩が見える、樹種はコメツガ、シャクナゲ。 2100m〜稜線はコメツガ幼木とシャクナゲであった。 


【ご注意】  
このルートをお薦めするものではありませんご注意ください。 
 
今回の三本松から男体山へのルートは昭和年代までは歩かれていた。 しかし現状は道筋も倒木などで解からなかった所もありました。(今回は夜間行動で状況把握が限られよく見えなかった事もあります。) 中宮祠二荒山神社からでは掘れた土道(四合目上)や薙内の岩場歩きが多く、三本松からは昼間歩行では快適ルートと感じました。 このルートを使えば志津ルートの長い林道歩きを考えると周回に使えます。

 危険な所も多くこのルートが使われなくなったのは落石事故が発生した事によるようです。 太郎山神社の大岩壁は社(やしろ)手前から砂防工事斜面付近から下って巻きますが滑落・落石注意が必要です。 
 男体山の山頂火口壁の岩場から薙(なぎ・ガレ沢・場)があります、薙は常に落石が発生しますので特に危険です。 強風時は特に危険です。 また現在は歩く人も新マークも見えませんでしたので侘びた薮山です。

 この日は湿度の高かかったのですが、初めから上下雨具着用しましたが全身ズブ濡れでした。(濡れている笹原と稜線付近の露が着いた樹木による) 



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