女峰山 にょほうさん 2463.5 m NO.016 三界岳 さんかいだけ 2172.9 m NO.357 帝釈山 たいしゃくさん 2455 m NO.015 専女山 せんにょさん NO.358 |
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![]() 先のピークが女峰山 |
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山部薮人 09.10.07記 | ||||
【山行日】 2009年 10月 4日(日) (3日(土)に志津小屋泊) | ||||
【地 図】 1/2.5万図 「日光北部」地図(女峰・帝釈山) 地図(三界岳・「滝沢」) | ||||
【所在地】 日光市 | ||||
【天 候】 晴 風強い 周囲の山々はガスに見え隠れする。 | ||||
【同行者】 三岳探検隊(ガルータさん、ふーせんさん、大野さん、上野さん、山部) | ||||
【コースタイム】 10/3 千手ヶ浜・千手堂界標調査==志津小屋泊(4:30) ・・・10/4 出発(7:10)−−馬立(8:08)−−荒沢川河原で休憩(8:25)−−水場(9:30)−−唐沢小屋(9:55-10:05)−−女峰山(10:40-50)−−三角点標石峰(11:00)−−尾根分岐(11:25)−−尾根先岩峰・三界岳偵察(12:10-30)−−三角点標石峰(13:30)−−女峰山(14:05-14:15)−−専女山(14:35)−−帝釈山(14:50-55)−−富士見峠(15:30)−−馬立(16:20-25)−−志津着(17:15) 一週間後の女峰山は、こちら>> |
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【志津小屋】 9月半ばに那須のガルーダさんから三岳探検隊メンバーに三界岳山行の提案があった。 一度は踏みたい三角点「滝沢」が三界岳であるので参加したい。 この三界岳は記録の少ない山で私も詳細は知らない、地形図だけでは峰の状態はわからないが、山行日が合えばぜひ参加したいと返信をした。 日程は合致し参加できることに感謝である。 予定日の少し前の天気予報は悪そうとの情報であったが直前には雨は無しとなった。 久しぶりのメンバーは志津に前泊する事になった。 志津小屋には既に二つのグループ(東京と新潟)の方が到着していた。 午後四時半過ぎには夕食をとっていた、私も準備していたら大野さん、続いてガルーダさん暗闇にランプが揺れて上野さんが到着した。 ビールで乾杯、その後薪を拾ってキャンプファイヤーで歓談する。 我ら以外の同宿者は明日は太郎山へとのことであった。 今夜は中秋の名月だった、志津からも流れる雲に入ったり出たりの月が望めた。 夜が更けて、寝るぞと思ったときには我らだけであった、広い二階部に寝たので暖かいしゆったりと出来た。 久しぶりの寝袋、寝しなは暑いくらいで半身を出していたが明け方には中にむぐっていた。 起床は6時、出発は7時に小屋を出た。 |
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![]() 志津小屋にて、宿泊者と団欒 |
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![]() 荒沢川で合流 |
![]() 唐沢宿跡の金剛像と祠 |
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【女峰山・二等三角点峰】 志津から大真名子山を巻くように林道を歩く、志津の標高は1785m、ゲート先の林道分岐が1683m、馬立手前の分岐が1781mであるから緩やかに100m下って100m上るようなものである。 志津からゲートまで800m位である、ここまで車が入れる。 林道は馬立から富士見峠(小真名子山と帝釈山の鞍部)さらに野門への昔の道である。 馬立から一旦荒沢川に下り河原を渡る。 ここで我々は小休止した、そこにメンバーのふーせんさんが合流する。 志津ではニアミス状態で駐車場を探していたようである。 荒沢川を越えて高度を上げていく、薙の横を通る登山道には明治の旧宮内省日光御料地の界標が見られた。 界標は山境界杭が補完しているが5基が確認出来た。 最後の界標は唐沢のガレ場下の水場の反対側である。 水場で一服し10分ほどで唐沢小屋前に着く。 唐沢小屋は日光修験の宿跡に立つ小屋である、開けた広場には金剛像や祠があり当時が偲ばれる。 前女峰が紅葉をまとって雲間に見え隠れしている。 山部の持参したロープ2本とハーネスを大野さんとふーせんさんに持ってもらう。 唐沢のガレ場を過ぎ樹林の高度限界が近くなるとハイ松に変わると直ぐに女峰の社に着いた。 沢山の登山者がピークや社に居る。 女峰山からは周囲の山々が鳥瞰出きる。 これから向う三界岳の尾根筋を観察するが詳細はわからない。 小休止のあと三角点峰へ向う、下り道10分ほどで標石に着いた。 日光の界標は、こちら>> |
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![]() 女峰山山頂にて、三岳探検隊 |
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![]() 二等三角点標石 |
![]() 女峰山山頂下の社 |
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【三界岳調査】 女峰山から北東方向に赤薙山への尾根を進み三界岳への分岐へ到着する。 疎林の中に黄リボンを幾つか見るがマークは少ない、この尾根に入る方にはマークはいらないだろう。 尾根は疎林でシャクナゲなども有るが歩きやすい、しかし程なく尾根が痩せてくる。 尾根はポイントによる岩がある、整然と積まれた石垣のような岩の列がある。 その先からさらにヤセて尾根を通せなくなり、ふーせんさんが岩峰の偵察に両側ともに落ちている。 近くに赤マークがあったがこれは単なる残置テープで行き詰った。 岩峰の東側の斜面を一気に下降し鞍部に出る作戦に出ようとしたが下ってもロープの予備がない。 12時半を過ぎ時間切れである皆で撤退に決する。 しかも尾根の様子が解からないままの撤退で心残りである。 三界岳 (09.10.11)のページは、こちら>> |
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![]() 尾根上の石垣のような岩列 |
![]() 尾根を塞ぐ岩峰 |
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【女峰山・専女山・帝釈山】 三界岳への尾根から戻って三角点標石峰、女峰山に戻る、ピークで群馬の方にシャッターを押していただいた。 女峰山のピダミダラスな形は栃木の山でも特異、日光には三角形は社山もあるが規模が違いすぎる、鋭利な山容はこの山を魅了するハイカーの憧れの山としているのだろう。 我々三岳探検隊は、三界岳の尾根の先が見たい思いで富士見峠へを下山ルートとした。 劔峰が一番の難所なのであろう、岩の角を選んで歩を進めた。 振り返ると女峰山はさらに凛と聳えて見える。 尾根のピークには祠もあり日光修験の峰修業の旧跡であろうか。 それから次のピークには専女山の山名板が立っていた、初めて聞いた山名だ。 絶えず三界岳の尾根を皆で見ながら岩の状態を見る、あの岩峰があれだ、その先のV字谷はどんな状況なのだろう。 尾根を歩けば歩くだけ回り込みさらに先が見える、そうこうしているうちに帝釈山に着いた。 V字の先の2189m点の峰はギザギザに見え、まるで恐竜の背中のようだ。 そこも通過しなくてはならない、アドベンチャー心を満足できない。 次の挑戦に新たな夢をいだきながら帝釈山を後にした。 実際には三界岳への色々のルートを思いいだきながら野門からの広大な台地を鳥瞰していた。 そこからは約40分富士見峠まで掘れた道を下った。 私の左足の膝が痛い、かばう右足がつりそうである。 先頭を上野さんに譲ると上野さんは飛ぶように駆け下って、途中で追いつくのを待ってくれている何度もそうしているうちに峠に着いた。 この峠を歩いた時から何年経っただろうか、その時の印象とは違っていた。 もっと樹林があったように思ったが今は明るい開けた峠になっているように思う。 この峠越えの道は昔からの道で、維新戦争時には東照宮の御物が野門に下ったと聞いている。 |
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![]() 秋色に染まる尾根を歩く |
![]() 帝釈山から野門と富士見峠間を見る |
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【富士見峠・馬立・志津】 | ||||
![]() 富士見峠 |
![]() 野州原林道 |
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峠から私は、足が遅いからと先に峠を出発した。 私の10分前に小真名子山から下ってきた方が志津へ下って行った。 歩き始めると快調だった、馬立までは約1時間であり下りのみ、しかし林道はゴロ石の道で拾い歩きでしばらくは淡々と歩く。 この林道には何ヶ所かのつづらになった所があるのを知っていたので絶えずショートカットを狙っていた。 3度カットした、最後のカットし笹原から林道に出た所で先行の方とばったり、熊かと思ったのだろう少し憮然とした表情であった。 その後は距離を少しとって歩き馬立に着いた。 2,3分後にふーせんさんが馬立に着いた。 そのあとガルータさん達が馬立に着いた。 志津について車に乗り込むライトを点けなければならない時刻になっていた。 |
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![]() 二等三角点標石から女峰山ピークを見る |
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三界岳へは、女峰山からの登山道はありません、ロープでの確保などが必要な危険な峰でした。 この山の登山は危険でお薦めできません。 一週間後の女峰山は、こちら>> 2009年登頂リスト こちら>> 栃木の山283+ こちら>> |