大萱峠道探査・県境尾根 NO.324-12
日本山岳会メンバーと「中央分水嶺踏査」と「大萱峠(栗生沢-百村)踏査」を兼て県境尾根を歩く。 ロマンただよう百村街道は、栗生沢の源頭部・中央分水嶺が通る栃木福島県境、いずれも厳しい所です。
【山行日】 2005年 8月 27、28日 (土、日)
アノ山の先から三倉大倉山へつづく県境尾根
【山 域】  奥那須・男鹿山塊
【地 図】  1/2.5万図地理院 ・ 栗生沢
       地図(栗生沢集落)
       地図(大萱峠) 
【天 候】  雨のち曇り、時々日差し
【所在地】 栃木県那須塩原市 福島県田島町
【同行者】 半田さん、遠山さん(日本山岳会)
       桜山さん、山部の4人
【関連ページ】上海岳-1 (2005.07.30)
       男鹿岳-3 (2005.07.18)

       河川情報Cのリバーネット
       AGC山岳地理クラブのHP
【コースのタイム】
 8/27 自宅(4:50)==さくら市(5:40-50)==矢板IC==(東北道)==西那須野IC==尾頭峠==山王峠==田島町・赤井りんご園==栗生沢集落センター(7:50-8:25)−−伐採地・ビール箱(8:57)−−堰提上の(9:20-35)−−小崩沢河原・堰提(9:55)−−小崩沢本沢合流点(10:00)−−山王・祠(11:10)−−コイシロ沢分岐上流分岐・尾根へ取付点(13:25)−−尾根・1181点(14:55)−−コイ松山・1342m峰(15:50-16:00)−−1360峰(16:30)−−大萱峠手前にて幕営泊(17:00)
8/28 幕営・発(6:20)−−大萱峠(6:25)−−1445峰(7:25-30)−−上海岳北東峰−−大萱峠(8:57-9:05)−−大萱峠直下の小沢合流点(9:55)−−山王・祠(11:55-12:25)−−小崩沢堰提上の(13:25)−−伐採地・ビール箱(13:41)−−栗生沢(14:25)=中荒井・赤井りんご園()==尾頭峠==塩原・華の湯西那須野IC==(東北道)==矢板IC
==さくら市==自宅

今の大萱峠は薮に覆われている

大山祇神社の奥宮か、山王の祠

栗生沢出合までの古道
 栗生沢集落センターに8時集合、主目的は日本山岳会の「中央分水嶺踏査」のサポートとして同行した。 ライフワークの「栃木県境尾根歩き」と「百村街道踏査」も兼ねられるので期待している。集落に入るとすでに同会の半田さん、遠山さんのお二人は先着していた。地元の方より情報収集であろうか。初めての桜山さんを紹介して準備し出発だ。8月14日下見に途中まで歩いているのでおおよそのコースタイムは解る。大山祇神社の横の林道が百村街道だったのである。途中までは車が通れる(軽トラのみ、草が車体を擦るので注意)尾根に上がるまでは古道より大回りしている。半月で雑草も伸びて道は狭まり、草息れが感じられる。途中の畑の豆の花が赤く色ずいている。忠実に現在の林道は古道を示す明治九年作製「岩代国若松縣第一大区全図」の赤線の所をなぞっている。最終伐採地へは軽トラでも入れない途中に崩落地があるのだ、手前にビールケースが置かれた伐採地があり刈払いはここまでである。この先は植林地を抜けて自然林へ古道は少し手前から沢に降りたようだが傾斜の急なのを避けて前回確認しておいたルートへ向う。沢への下降点に目印に付けて赤布に到着、ここまで約1時間である。

 ここまで半田さんと山部が話しながら歩きその後を遠山さんと桜山さんがペアで少し遅れて来た。さあ、ここから小尾根の急斜面を沢に下るのだが、遠山さんが気分が悪くここから栗生沢へ戻ると言う。後で分かったのだが二日続けての睡眠不足だったようだ。残された三人は後髪を引かれる思いで出発する。下の沢には滑るように下りる、枝沢に降り小崩沢の河原に出ると水量が多いように思える。少し河原を下り歩き堰堤を越える、足元では黒い蛇(カラス蛇だそうである)が石の間に隠れる。栗生沢との出合で水量が多いのを再認識する。今回の大萱峠までの古道は何度も沢を渡るのでそれが一番気になる所だ。

栗生沢集落センター前で

栗生沢と小崩沢合流点

栗生沢歩き、山王・そしてその先の尾根へ
 台風11号が通り過ぎて直ぐなので仕方ないのだろうか、沢川の水量は源流域では一日も経つと水量は少なくなるはずと読んだがまだ多い。最初の渡渉点でつまづいた渡れない、やっと動かせる石を多数投げ込んで足場を作る。二度沢を渡ると薄っすらと踏み跡がある。進むと崖の大岩をつかみとるように大きなアスナロがあり、その先に朽ちた木の鳥居の先に祠があった。ここが山王か金属の鳥居4枚と125円が奉納してあった、祠には文化十年三月、、湯田右衛門?の刻みがある。
 沢はまだ穏やかな沢であるが周りの崖からは水が噴出し、小沢が流れ込み崩落している所が多い。栗生沢のおばさんが原生林と言っているが、原始の森だそこかしこにシダが大きく葉を広げている。ツルが木々が下がり大蛇でも居そうな感じだ。マーク代わりにシダの葉を切りながら歩く、沢を何度渡ったろう沢の傾斜も増すも百村街道と思うとなおも前進だ。コイシロ沢を分け進むと沢は滝の連続になる。ここで半田さんが沢左の斜面に取り付こうとの提案があり沢から上がった。街道探査はお預けである県境の分水嶺の未踏破部分を歩くには、大萱峠へ直登するよりはコイ松山へ登って峠へ向うほうがシンプルで効率的だ。間髪なく急な斜面に取り付く、約200m高度を上げると標高点1181mの尾根に立てる。しかしこの斜面は45度もあろうか沢からの1/2はチシマザサ、高度が上がり樹林が濃くなり日が射さなくなるとアスナロの幼木が増える、樹種はブナ、アスナロの大木がある。

 沢から一時間半ようやく尾根に着いた、標高点1181mの尾根の所は平たく下草はない。尾根はアスナロの枝が邪魔するがまあ歩き易く歩を進める。コイ松山が伺える尾根は岩尾根でシャクナゲ、ナナカマド、アスナロが絡み合い枝払いせずには通過できない所だ。岩尾根を通過してシャクナゲの下をくぐるとチシマザサの薮となりそれを突破するとコイ松山の頂に立てた。夕日に輝く那須の山々がとりわけ噴煙を上げる茶臼岳が鮮明に浮かび上がっている。実は途中の山王の所でカメラのモニターを見たらエラー表示が出て何をしても直らない、残念ながら写真はあきらめた。歩いたルートはこの眼とGPSのデータだけになった。県境尾根までは会津の山並みを見ていたがコイ松山に立つと大川の谷間に雲の湧くなんともよい感じだ。ここまでの汗も吹き飛んでしまう。次は1360m峰を目指すコイ松山からは密なチシマザサである、下りは上りの3倍のスピードだ。30分で1360m峰に着く大川の沢音が大きく聞こえる、ピークではチシマが密でピークに何かあるかと探し回ったが何も無かった。今日の予定は概ね達成したあとは寝床を探しながら大萱峠に向う。ピークからも背丈を越す笹の茂る尾根であり、快調にくだる。ガスが立ち込めて来て夕闇が迫ってくる。何度か小ピークを越すたびに次が大萱峠かと思うが違うようである。皆も疲れて早くテント場を得たい用に見える。次の鞍部か様子を見に行くこの辺が限界か、今日はここまでと丁度平らな所があったのでここに決める。早速鎌と鋸で笹を刈り取りテントを張った。取り合えず湯を沸かしてご飯を湯銭する。湯銭の合間にビールで乾杯、ご飯が出来た順に焼豚と鮭缶で食事とした。ガスが立ちこめて幻想的な宵を迎える、沢音だけが途切れなく聞こえる。
デジカメのメモリーがダメとあきらめていたが寝る前にスイッチを入れたら何と正常になっていた。なんだったんだろうか、よかった明日はカメラが使える。

 * 文中の山名の呼称「コイ松山」、「大萱峠」は「岩代国若松縣第一大区全図」明治九年による。

テント設営

笹を刈り払いテント場を作る

二日目、大萱峠へその先へ
 朝露に濡れる笹原を上海岳に向う、テントと荷物はそのままに下る。ここが最低鞍部の大萱峠のようだ。鞍部の北東側が一番低いようだ、鞍部の栃木側は下ウミ沢で鋭く落ち福島側も笹原の先は沢に崩落ている。道形を探すが見出せない笹に覆われて峠とは程遠いものだ。峠の調査は後にして尾根を上海岳に向う、深い笹が迎えてくれるシャクナゲなどが混じり迂回しながら笹を分ける。切れ落ちた栃木側の縁はミヤコザサのように低い笹で歩き易いが長く続かず直ぐに深い笹に入る。1445m峰は木立のある笹原である、ピークからだらだらと上海岳へ斜面が続いて行く。はるか遠くに男鹿岳から女鹿岳に続く尾根が見える、塩那道路の那須見台であろうか山肌を削られているのが見えた。来た時の跡をたどって大萱峠へ戻りテント場へ戻る。

 テントを撤収して大萱峠へ戻り持参したプレートを付ける。峠の福島側は樹林に覆われているが栃木側は木が少なく笹原だ。その分見通しは良く長く連なった県境尾根が見える。深い深い所にいる、那須も遠い「はるばる遠くに来たもんだ、、、、」とつい言葉が出た。峠で一人づつ記念写真を撮った。(栗生沢へ戻って集落の加登屋のご主人に聞いた話では、『峠の道はやや北側にあって東に尾根に沿って大川側に下降して行く』との事だ。)テント場と大萱峠の間の尾根を下った事を話をするとその尾根を下るらしい。大萱峠の印象は名の通り萱に覆われた峠だったと想像も出来ないほど当時の様子は伺え知れなかった。

1445峰から見た上海岳

大川の対岸の尾根の上に那須の山

落石のあった沢を横切る

大萱峠下の急斜面を下る

下 山、百村街道を探索
 大萱峠からの下降は道形を見つけようと探ったが下降ルートの探索となった、崩落している所や急なガレ場などを避けて手がかりの笹をつかみ必死で下る。途中何ヶ所かロープを使いガレ沢を横断をした。傾斜の緩んだ沢に下りたいがなかなか斜度は変わらず時間は過ぎていく。沢に降りられた所は源頭部の沢が三つの小沢に分かれる所だった。先頭の山部が沢に降り立つ直前にガレ場を横切った所で突然声か゛したと同時に1mも無い所を米俵くらいの岩が落ちて行った。斜度がありすごいスピードでヒヤッとさせられた一瞬だった。崩落は各所にありこの沢、山とも生きているなと感じた沢は成長中であることを伺わせる。沢に三人が降り立ち水を飲み慎重に石を拾いながら下降する。コイシロ沢のの分岐手前に栃の木の大木があり沢山の実が落ちていた。一日目に取り付いた所を過ぎると沢も斜度が緩みだした。ポイントに付けた赤布を確認しながら何度も沢を渡り山王様の祠を見て9割方無事戻ったと実感した。丁度昼になったので両側の岸壁の迫る枝沢の合流点の河原でラーメンを作った、口直しにドリップコーヒーを飲む。後は河原と元来た所を戻った。

 集落手前の神社下で沢水で靴を洗い、やったぞと思う気持ちで起点の加登屋の辻に戻るとなんと昨日帰宅したはずの遠山さんがにこにこしながら迎えてくれた。どうだったと話をしている所に加登屋の主人が『心配していた』と近づいて来られてどこを通ったと聞かれた。沢の渡渉、急登、岩尾根の密薮、チシマザサの薮、急斜面の降下、落石といろいろあったが全員無事栗生沢に戻った。栃木福島県境は簡単には歩かせてくれないと改めて思い知った。半田さん桜山さん遠山さんご苦労様でした楽しい薮山歩きが出来ましたお二人に感謝です、ありがとうございました。

忘備録
 帰り道国道沿いのりんご園で立ち話、塩原の「華の湯」で汗を流してここで解散した。

卵を落としました

赤井りんご園
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