小坂三等三角点/新潟縣・三角標 NO.800-3
新潟県新発田市中浦駅近くに小坂三等三角点がある。 傍に新潟県設置のものと思われる標石が有る。 この標石は旧内務省設置の「原三角測点」のような形である、『載頭方錐形』であり同時期の標石なのかは不明であるが一見の価値はありそうである。 今回(2010.02.06)確認に訪問した。
【山行日】 2010年 2月 6日 (土) 【天 候】  はじめは曇り後、ミゾレから雪
【山 域】  下越 【所在地】 新潟県新発田市
【地 図】  1/2.5万図地理院 ・新発田  【同行者】 単独
       地形図 小坂三角点周辺   配点図、こちら>> 
【関 連】  米山のページは、こちら>>
【コースのタイム】
 2/6 自宅(11:00)==太田IC(11:50)=(北関東・関越・日本海東北道 \1000.)=聖籠新発田IC(15:00)新発田駅前(15:10)====
小坂の登口(15;30)小坂三角点・三角標(15:40-15:50)登口(16:00)=新発田駅前(16:30)   
片道350km


米山の内務省標石

米山にあるもう一つの標石 (こちらが似てる)

さて、何処から取り付くか
さすがに二月の新潟は雪があり寒い。現地は新潟・蒲原平野の真ん中で穀倉地帯の田んぼに囲まれた所の小高い丘に標石がある。丘は複雑な地形であるが地形図を見ると問題はない。東側の橋のある所から急斜面の獣道を使って尾根に上がる。篠竹と雑木に道がついている、粘土質の土と雪で滑るが立ち木に手掛りを得て高度を上げる。雪の尾根の最高点に着く地形図を見ると少し低いが小谷の向こう側のピークに三角点があるようだ。雪は10cmで足跡が付いて帰りの道案内に丁度良い。

吹き溜まりは深いので雪の少ない所を選びながら隣のピークへ回りこむ。篠竹に雪が着いて曲がり歩きづらい、落雪を避けて篠竹の無い所を歩く、白い表示杭が見えた着いたぞ。


「小坂」三等三角点

雪尾根に足跡を残す

【載頭方錐形標石】
載頭方錐形標石とは、堅苦しい名である簡単に言えば四角錐の頭をカットした形である。 標石として安定した形から当初は上部をすぼめた錐形としたのであろうか。 小坂のこの標石を知ったのは「標石グループ」の上西様のページで知った。 予めページで見ていたので現地では、これが標石かといった感じであるが設置当時のものとして価値のある標石である。

標石各面の刻字は、側面に「三角標」「新潟縣」「耕地整理」「△A33」、上面に「×」となっている。 それにより耕地整理測量の為に新潟県が設置したものと思われる。 この標石の資料はこれからなので不明である。 形状は米山の小さい方の標石にそっくりである。


刻字「三角標」

刻字「耕地整理」


「小坂」三等三角点

小坂三等三角点標石
三等三角点標石上面にICタグが穴を開けられて接着されていた。 側面の刻字面角が欠けているので三等の刻字が読みづらい。 新しい表示杭が追加されていた、傍の棒にピンクビニルが縛ってあった、標石近くを散策すると西にピンクビニルがあったのでICタグ設置の案内に付けたのであろう。 点の記も標石へは西からを案内している。

この小坂の丘は蒲原平野にある貴重な高まりであるので標石を設置したのであろう。 新潟県内には活断層が南北に縦断、櫛形山脈から五頭山の麓、五泉市の旧村松町の白山麓から長岡市山古志と平野部と山地の境にある。 日本海沿岸に砂丘があり信濃川や阿賀野川が運んだ土砂が砂丘との間に平野部を作った。 新発田市小坂の丘陵地は粘土質だったので、堆積物が隆起したのだろう。 周辺には潟などの湿地が点在する、肥沃な穀倉地帯でもある。 近くに福島潟があり明治、大正,昭和と幾度も干拓が進められた、その進捗は旧版図に表されている。

付近には、かつての新発田歩兵第16連隊の射撃場があったと聞いた、現在も射撃の標的の遺構が残っているらしい。(新潟県立文書館 本井様 2010.7.23)

      
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