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陸軍界標 『 56 陸軍用地 + 』
栃木県宇都宮市鶴田 羽黒山神社西参道近傍(宅地内) 2011.10.30
* 民家門先に陸軍界標 『56陸軍用地』はある。 挨拶をし記録の許可をいただき調べた。 標石の由来は、「道路拡幅時に土中から出てきたのを現在の位置に保存された」との事。 標石(界標)番号は、拓本にて読み取れる、「56」号でこの地域での大きな番号である。 現在の鶴田沼緑地周辺は、戦前の演習地跡であるが今は閑静な住宅と中央競馬会の研究施設がある。 (鶴田沼緑地は宇都宮市街地の西方の南北に長い丘陵尾根である。)
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復興三角点? 『 三角点 4 + 』
栃木県宇都宮市駒生 羽黒山神社 2011.10.30
* 3度目の訪問ですが、標石が根元で折れていました。 今年災難に遭ったようです。 保護石も壊れていました、車が当ったのでしょうか。
この標石の設置情報を求めて神社関係者にお聞きしましたが、解らないとのことでした。 西参道近傍のお宅で92歳のご主人から標石の設置が戦後である事を聞きました。 戦前の陸軍関係ではない、戦後復興のための三角点であるようです。 上面にグラインダーの修理痕があります。* |
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陸軍界標 『 30 陸軍用地 + 』
栃木県宇都宮市駒生 鶴田沼緑地 2011.10.30
* 鶴田沼緑地で最初に見た界標がこの「30 陸軍用地」その時は「30」は見えなかった。 その後の調査で一連番号があるのが解った、「30」の刻字が見えるでしょうか? 多くの標石(界標)は、頭の「+」だけが見えるだけである。 * |
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【標 柱】 長さ770 刻字面部 □155X300 荒仕上部 □200-210 (単位:mm)
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陸軍界標 『 33 陸軍用地 + 』
栃木県宇都宮市駒生 鶴田沼緑地 2011.10.30
* 鶴田沼緑地の界標「陸軍用地」は、何度か調査しましたので、界標の場所や状態はわかっていました。 今回訪問したのはその内の一基が崩落しそうな状態だったので心配なので確認に来ました。 界標は案の定倒れていました。 界標の直ぐ隣には切り開かれて宅地開発され崖になっていた所にありました。 崩れ落ちたら10m下の住宅を直撃です。 この「陸軍用地」界標は、一連番号も刻字されています。 以前の写真のでは読み取れませんでしたが、今回の拓本にてわかりました。* |
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三等△ 『 社 山 』 国地院管理 (+の見える標石)
刻字面の向きであるが、巷手では「南向」と頑なに信じている方がいる。 今まで見てきた標石の向きは定まっていない「社山」標石は、刻字面は「皇海山」に向いているので西南西向きである。 最近標石に「ICタグ」が付いた。 正確な地図を作るためだった、標石に今何のためにI「Cタグ」なのか。 一過性のものにならないた゜ろうか、今「ICタグ」を付ける事は緊急にすべき事であろうか。 ICタグ設置も税金、投資対効果は夢以前の問題ではないだむろうか記載する。 |

林野局△ 『 主三角點 山 + 』
栃木県日光市 社山 2011.10.29
【標柱寸法】 長さ760 刻字面部 □140X230 荒仕上部 □180 (単位:mm)
* 「主三角點」標石で全体像が見られるのは栃木では社山だけ。 主三角点が少ない上に抜けて出て埋石されていないものも珍しい。 社山に「主三角點」が有る事に触れているページも見たことは無い。 標石の存在を知ったのは15年以上前になる。 当時、社山山頂(国地院標石周り)の土が30cm位今より高く笹もあった。 今は周囲の土は流出し横たわっているが、当時は横倒しに全体が埋まっていた。 その時は頭が僅か出てたのを見つけ確認した。 仲間に確認を依頼、確認したので亡失しないうちに今回再訪した。
★、私の残したい栃木の標石ベスト50でもある。★
日光のこの時期は紅葉見物の混雑がすごい、寝坊で歌ヶ浜からのスタートはAM9時になった。 快晴微風で湖岸の道は快適である。 社山への途中は宮界標を探しながら歩いたが今回も新たな「宮界標」は見つけられず空振りだ。* |
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宮界標 『 宮 界ハ六 字松立山 字スリバチ久保 × 』 帝室林野局
栃木県日光市 八丁出島基部 2011.10.29
日光の紅葉と言えば半月山展望台からの八丁出島だろう。 今年の八丁出島周辺は終了と言ったところだ。 出島基部を阿世潟への通る道には黄色に輝いていた。この界標は 八丁出島を切ってしまうように基部に約10本設置されている内の1本で阿世潟へ沿いにあるので直ぐわかる。 頭部を赤ペンキに染め現役の界標だ。 他の界標で『幸ノ湖』刻字のものもある。
界標に字名の記したものは多数あるが、半月峠と阿世潟峠の中間尾根にも同様の刻字がある。 最近「中禅寺山」と記した山名板があるが、字名をとると「松立山」がよい。また、江戸末期の古地図にも中禅寺山の記載があるが現在の「中禅寺山」とは規模が違い過ぎる。
この日(太田、益子、笠間、土浦、東京の方とお会いする。) |
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