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2011年-report-24   .

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宮界標 『 宮 界甲四五二 』
栃木県日光市 前白根山 2011.11.05


右奥の道標が前白根山頂、背後の大きな山容が白根山、中央の標石は宮界標『界甲四五二』です。 標石には、「宮 界甲四五二 字前白根山 字白根山 × 」と刻字彫刻されている。 この宮界標は他とは違い字(あざ)名が刻まれている珍品タイプです。

以前から白根隠山の東尾根には、三等三角点『白根山』標石がある。 白根山と言えば、一般には二等三角点『白根山(奥白根山・日光白根山)』を差すだろう。 隣に対峙して目と鼻の先よりも近くにもうひとつの白根山があるのだ。 二つの基準点「白根山」はどうして同じ名なのだろうかといつも疑問を持っていた。 今回の調査で宮界標『界甲四五二』の彫りの浅い刻字を読んだ、「字白根山、字前白根山」とある。 前白根山南の深い沢の向うに見えるのが白根隠山東尾根の「白根山」で、住所は「日光市字白根山」なのだ。 それで基準点名を「白根山」としたのだろう、時は明治のことである。 三等△を設置時はすでに二等△点は設置されていた。 しかし、同名の有る無しは考えなかったのだろう、二等と三等とは別だから同名問題はなかったのだろう。

写真中央の男性は標石探査に詳しい、宮界標ハンターの蘇原氏(栃木)です。 今回、氏が新たに発見した宮界標標石に案内いただきました。






宮界標 『 宮 界甲四四二 』
栃木県日光市 五色沼畔 2011.11.05


五色沼は明治時代は、御料地だった。 ぐるっと一周するように宮界標が設置されていたはずであった。 しかし、現在見つかっているのはこの「界甲四四二」と「界甲四四三」である。 誰も居なくなった晩秋の五色沼は寂しくひっそりとし、湖畔の宮界標が静かに沼の向うの白根山を見守っている。 宮界標の宮マークの向きが反対ではないかと思うので現在その解明をしている。 付近の地形図は、こちら>>






宮界標 『 宮 界甲四四三 』
栃木県日光市 五色沼畔・水場下 2011.11.05


前白根山周辺での不明な宮界標は、基部西尾根から五色沼の「界甲四四三」標石までの間が見つかっていない。 この「界甲四四三」標石は、彫刻がすばらしい「宮 界甲四四三 ×」、いい仕事をする石工によるものだ。






宮界標 『 宮 界甲四四七 』
栃木県日光市 前白根山西尾根基部下 2011.11.05


この宮界標「界甲四四七」の存在情報がもたらされ今回その確認にやって来た。 今まで「界甲四四八」から次の方向が解明出来ず五色沼へのルートが探査出来なかった。 水場への道は何度か歩いたが標石はなかった。 「界甲四四七」の発見で五色沼へのルートが見えた思いだ。 前白根山西尾根基部から30m下がったダケカンバの根元に標石はあった。 刻字の「界甲四四」までは地上に出ている、少し掘ると下の刻字が出てきた、"四四二かくにーん"と声を張り上げると、蘇原氏からの"えー"との声で手で標石の汚れを拭うと「二」が「七」と読めた。 

「界甲四四七」確認の意義は大きい「四四八」からの探査方向が解明されたのである。 昼食後、五色沼への斜面を二手に分かれて探査に下った。 小沢を越えた雰囲気の良い小尾根があり発見を期待したが無い、シャクナゲ、コメツガ、岩を巻きながらの探索だが、宮界標を見つけるに至らなかった。






宮界標 『 宮 界甲四四八 』
栃木県日光市 前白根山西尾根基部 2011.11.05


写真は「界甲四五〇」より「界甲四四八」の尾根を見る。 その間の「界甲四四九」は崩落したのだろう未だ発見に至っていない。 「界甲四五〇」と「界甲四五一」の距離は長いが見通せる、「界甲四五〇」と「界甲四四八」は「界甲四四九」が無くても短距離だが見通せない。 以前の地形を想像すると大岩か尾根があったのではないだろうか。 今となっては地形は想像するだけだ、「界甲四四九」標石の探査もしたが手掛かりすら得られなかった。

宮界標「界甲四四八」は、前白根山から白根隠山への西に延びる尾根基部(写真の右付近)のやや斜めの白木(ダケカンバ)の根元にある。 登山道から僅かしか離れていないのですぐ確認できる所だ。
 






宮界標 『 宮 界甲四五〇 』
栃木県日光市 前白根山南斜面 2011.11.05

宮界標「界甲四五一」を調査中に、蘇原氏が「界甲四五〇」の確認のため急斜面を降下する。 大岩の棚に埋もれた標石を発見の報だ幸い、『界甲四五〇』標石は崩落せず確認出来たようだ。 前白根山頂の道標やケルンから 80m下った岩棚に岩屑に半ば埋まっていた。 この辺りはいつ崩れても不思議ない所であるので注意を要する。 崩れたら標石なんかひとたまりもない捜索は不可能になるだろう、今回はしっかりと調査し記録を残したい。 調査完了した、標石を元に埋め戻しい残存を祈りつつ岩棚を後にした。

【ご注意】 : 前白根山南斜面や西斜面は、危険な急なガレ場地帯なので標石確認などは最大級の注意を要します。 全て自己責任の範疇の領域です。






宮界標 『 宮 界甲四五一 』
栃木県日光市 前白根山南斜面 2011.11.05

前白根山山頂南斜面の宮界標はすでに前回確認している。 今回、標石の資料採取のため斜面をくだる。 大岩下の小広い棚にありロケーションは最高、油断をすれば滑落するの足場だけは確認確保だ。 遠くに中禅寺湖の湖面が白く見える。 上面に黒い苔がこびりついている。 付近の地形図は、こちら>>






男体山と湖上山の間に小田代ヶ原の出現湖を見る




『 外 山 山 頂 』
栃木県日光市 外山   2011.11.05


奥日光の真ん中に突き出した尾根先、湯元温泉の真上に「外山」は聳える。 今回、御料局三角点標石探査に歩く。 山頂に[外山]山名板が残っていた、山名板のかかるダテカンバの木が最高点である。 その周囲はシャクナゲが密生している、御料局測標設置には最適と予想し探査したが標石はない。 外山山頂からは奥日光の山々や戦場ヶ原やキラキラ光る小田代原の出現湖が見える、その横「湖上山」を見下ろす事ができる次の目標が見えてきた。 標石探索人 蘇原氏と歩く。



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