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御料局三角点 『 七曲 』 男体山北斜面、溶岩台地
栃木県日光市奥日光 2011.11.13
太郎山東斜面の界標探索の帰路に寄った。 背後の大岩の苔の緑が鮮やかだった。 下方の裏男体林道から小太郎山や三岳などの眺望がすばらしい、やや遅いがカラマツ林の黄葉は圧巻でその上の聳える岳は三角点標石を置くには良地だなと思う。 |
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宮界標 『 宮 界乙四 』 太郎山東斜面
栃木県日光市奥日光 2011.11.13
乙系統で見つかっている界標の最若番がこの「界乙四」である。 今回も「界乙三、二、一」の探索をしたが見つからなかった。 そろそろ雪が降るだろうから次の探索は来年になるだろう。 前回から考えていたのだが「見出標」が界標付近に付けられていた。 その「見出標」は「界乙八」迄でその先には無い、その訳は不明である。
「宮 界乙四」は標高1982mである。 太郎山頂は2367.5mであるからまだ385mもある。 「宮 界乙四」の先には50m程の直立する岸壁が尾根の前に立ちはだかる。 その岸壁の直ぐ下まで前回来ているが登る気にはならない、それは得ている情報(国有林図)によると、「宮 界乙四」か「三」から北に直角に屈折するようなのだ。 今回も「宮 界乙四」の北から先の薙まで探索したが空振りだった。 付近の地形図は、こちら>> |
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界標尾根から下をのぞくと深い薙となっている。 写真は下方を撮影したもので遠くには、大真名子山と小真名子山の鞍部が見る。 いつ雪が降ってもおかしくない時期であるが、風は冷たいものの雪の気配はない。 周囲はコメツガ主体でダケカンバが混じる樹林で、樹林の中まで日が差し込む所がある、大木が倒れポッカリと青空が見える。 暗き樹林が下草を見せない、倒木の苔が緑色のビロード布を掛けたようなに見える。 |
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下の写真の奥の標石の裏面で、彫刻は「界」のみである。

宮界標 『 宮 界乙五 』 太郎山東斜面
栃木県日光市奥日光 2011.11.13
界標石材は彫刻加工したものを搬入し埋標していると思っていたが、写真の通り同じ場所に二っの標石がある。 奥の標石の裏面は「界 」のみの彫刻になっている。 乙と数字の彫刻はない、予備品なのだろうか。 実は、「界乙43」の界標石は予備品と同じように乙と数字の彫刻は無い。 何百本にも上る標石のうちには色々のものがあるだろうが、ミスは少ない当時の人の勤勉さを感じる。 |
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山名板 『 松倉山 』 (三角点名は、「白山」である。)
栃木県芳賀郡茂木町山内 2011.11.12
この山名板を設置したのは 2002.8 ですから、十年近く経過している。 未だ現役であった、沢山の山で消えてゆく中であまり色落ちもなく残置されていた。 その後二つの山名板が増えていたが、まだまだ存在感はあり風格も出てきた。 いつまでも元気で、 。 |
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一等三角点 『白山』 松倉山
栃木県芳賀郡茂木町甲 2011.11.12
標石の裾の汚れを取って再度寸法を確認した、規定のものだ。 変わっていたのは、ICタグが取付られていた。 残念ICタグが取付られる前に再訪したかった、少し遅れた無念である。 |

一等三角点 『白山』 松倉山
栃木県芳賀郡茂木町甲 2011.11.12
一等三角点「白山」(松倉山)には何度か来ている。 明治初期の一等三角点で数少ない貴重な「白山」で、内務省設置の「原三角測点」標石を探しにだ。 情報によると『原三角測点標石が栃木のある山にある、そこの山頂に神社が寺院がある』であり、そうなるとさくら市の羽黒山か、宇都宮の八幡山か、そして松倉山なのだ。 松倉山には観音堂(県有形文化財彫刻あり)があり、観音堂は馬頭尊の縁日として付近の農家より登る飾り馬の参詣で、境内は賑わったと伝えられることで有名であった。
さて、「原三角測点」標石であるが、2002.8 から探索しているが、未だ発見に至っていない、時間経過にともないますます発見が遠のくのではないかと思う。 前回に甲の登山口の家の方にチラシを置いた。 一段落したら集中した探索をしなければと思う。
今年、頂上付近の草刈と周囲の雑木を伐採したようで、きれいで広々としている。 ここで標石を見ていた時に二人がやって来た、聞くと下の道が崩落と倒木で危険なので頂上経由で観音堂へ行くと言う、ここも先の地震や大雨の影響であろうか。
写真は、相棒の「なな」である。 久し振りのハイキングに終始笑顔である。
付近の地形図は、こちら>>
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